第6章 悪毒な母、悲しい祖父
その夜、水原家。
夕食後、水原隆一は書斎へと向かい、リビングには二人だけが残された。
「美香、食事中ずっと上の空だったけど、逸人との進展がまだないのかしら?」
母の田中夢子が切り出すと、水原美香は話し始め、この数日間の出来事を一つ一つ語り始めた。
「まさか!高給で雇った外国のデザイナーがシュテルンジュエルだって?」田中夢子は娘から事の経緯を聞き、思わず表情を変えた。
あの生意気な女が五年前のあの事件の後でまだ帰国する勇気があるなんて?しかも、まさかシュテルンジュエルだなんて!高橋逸人が娘のために海外から招聘した会社を救う重要人物だというのに。
あの時は菅原やまの一件で計画が大きく狂ってしまった。もし水原蛍があの女が五年前の真相を知ったら、水原美香の立場なんてどうなるというの?
そうなれば、会社の支配権を失うだけでなく、親子共々水原家から追い出されることになりかねない。
そう考えると、思わず不安が込み上げてきた。
「美香、逸人はどう思っているの?」田中夢子は高橋逸人のことをよく理解していた。彼が認めない限り、水原蛍は会社に入れないはずだ。
「ママ、逸人さんは彼女の能力を高く評価してるみたいで……」
田中夢子は察した。水原蛍が高橋逸人の嫌悪感を買うような特別なことをしない限り、追い出すのは難しそうだ。
しかし、すぐに彼女はある事実に気付いた。
物事は単に追い払うだけでは解決できないこともある。
今回水原蛍を追い出したとしても、彼女が一生国に戻れないようにする力は持ち合わせていない。彼女が国内にいる限り、自分と娘は安心して暮らせない。
かといって輝煌グループに加わられては危険が多すぎる。
もっとも、良いこともないわけではない。
少なくとも目の前にいれば、何か動きがあってもすぐに分かり、対処できる。
水原蛍は高橋逸人が輝煌グループを救うために呼んだのだから、彼女の下で会社に進展が見られず、現状のままなら、たとえ何もしなくても高橋逸人は彼女を見逃さないはず!
年収数億で何の効果も出せなければ、良い目は見られないだろう。
高橋逸人の怒りを買えば、水原美香が少し耳打ちするだけで、彼女は彼の怒りを買うことになる。そうなれば会社どころか、二度と国に戻ってこられなくなるだろう。
もし水原蛍に本当に輝煌グループを立て直す能力があるのなら、それも構わない。それこそが私たちの望む結果なのだから。
最終的に会社の果実は私たちの手に入る。
後は適当なタイミングで彼女を追い出せばいい。
そう考えると、田中夢子は心に決めていた「美香、よく聞きなさい。水原蛍あのビッチが残ろうと去ろうと、私たちにとっては利点の方が大きいの。彼女が残れば、そばに私たちの目を置いて、常に彼女の行動を把握できる。それに、もし本当に会社を救えるなら、私たちが漁夫の利を得られる。もし会社を立て直せなくて、高給取りなのに何の成果も出せないなら、高橋逸人が彼女を許すと思う?」
水原美香は母の論理的な説明を聞いて、少し躊躇した。
しばらくして、やっと恥ずかしそうに口を開いた。
「ママ!私、逸人さんを取られちゃうんじゃないかって心配で……」
田中夢子は思わず笑い出した。「バカね、まだ分からないの?」
水原美香は首を傾げた。
「輝煌グループは今こんな状態だから、会社の内部は完全に停滞しているのよ。彼女が会社を救おうとすれば、大胆な改革は避けられないし、やらなければならないことも敵を作ることも多いはず。その隙に彼女に泥を塗ればいい。追い出す必要もないわ。高橋逸人に嫌われるようにすれば、たとえ会社にいても、逸尘は彼女に興味を持たないでしょう。そうすれば、あなたの心配も解決するじゃない?」
水原美香は聞けば聞くほど納得がいき、悩んでいた問題がついに解決した。
水原美香は田中夢子に抱きついた。
「ママ最高!大好き!」
「まったく、この子ったら」田中夢子は愛情を込めて頭を撫でながら、「そうそう、逸尘との進展はどう?」
その話題になると水原美香は落ち込んだ様子で首を振り、まったく進展がないと示した。
「ママ、アドバイスちょうだい」
「バカね、男は女を追いかけるの二倍の努力が必要だけど、女が男を追いかけるは簡単よ。急いで、既成事実を作りなさい」
「でも逸人さん、私の体に興味がないみたいで、全然触ってくれないの」
「彼が触らないなら、あなたから触ればいいじゃない。普段は我慢できても、欲望を煽られたら我慢できるかしら?」
水原美香は田中夢子の大胆な発言に頬を赤らめ、もじもじしながら言った「でも、もし逸人さんに気付かれたら……」
「気付いてどうするの?あなたが彼を愛していて、手に入れたいと思うのは当然でしょう?それに五年前だって、彼が酔った勢いでしたことなんだから、もう一度そうなったって構わないじゃない?」
水原美香は素直に頷いた。彼女の心の中では既に策が練られていた。
高橋家
高橋逸人は静かにおじいさんの部屋の前に立っていた。
ノックをして、落ち着いた「入れ」という声を聞いてから、ドアを開けた。
部屋の中で、白髪の男性が一枚の写真の前に凛として立っていた。彼が着ている軍服は、時を経て体に完璧にフィットしていた。その服は時の流れで少し色褪せていたが、それでも強い意志を感じさせる雰囲気を放っていた。
物音を聞いて、彼はゆっくりと振り向き、高橋逸人を見た。その穏やかな眼差しには悲しみの色が混じっていた。胸に輝く数々の勲章は、それぞれが歴史の証人のように、栄光と変遷を物語っていた。
「おじいさん」
「蛍が帰国したそうだな?」
高橋逸人は頷いた。
「こっちに来て、この写真の人物を見てみろ」
高橋逸人はその写真の人物が水原蛍のおじいさんである水原松林、おじいさんの高橋国夫の戦友だと知っていた。
彼は姿勢を正し、高橋国夫の横に立って写真を見つめた。
彼の背の高い体格はおじいさんより一頭分高かったが、おじいさんから放たれる威厳に、思わず圧迫感を感じた。
「水原一家は家柄も清く、家風も純朴だ。蛍はわしが見て育った。あんな事をするような子じゃない」
「しかし、事実は既に起きています」高橋逸人は淡々とした声で返した。
五年前、二人の老人が懸命に取り持とうとした時も、彼は水原蛍に興味がなかった。まして、あんな途方もない事件が起きた後では尚更だ。
「既に起きた?お前は目撃したのか?」高橋国夫の声は少し厳しくなった。「証拠のないことを、そう断定的に言うものではない。他人に利用されかねんぞ」
高橋国夫は経験者として高橋逸人に諭すように言った「蛍は良い子だ。お前が小さい頃からわしが目を付けていた孫嫁だ。松林の孫だ、間違いようがない。松林がどんな性格か、わしが一番よく知っている!」
「おじいさん、水原おじいさんの人柄は孫の保証にはなりません」高橋逸人は反論した。普段なら、おじいさんの言葉に従うところだが、明らかに相手の言葉に違和感を覚え、急いで制止しようとした。
しかし、もう遅かった。
正確に言えば、高橋国夫は彼の考えなど全く気にせず、独り言のように続けた「逸人、蛍は良い子だ。一ヶ月の期限をやる。彼女を取り戻せ」
高橋逸人は首を振って拒否した。それは不可能なことだ。彼女のことは好きではないし、まだほとんど会ったことすらない。相手の印象は最悪だった。
まして当時、あんな淫らな噂が立った。その因果関係に彼は興味がなかった。
高橋国夫は溜息をつき、写真の中の水原松林との最後の一枚を見つめながら、手を伸ばして高橋逸人の肩を叩いた。
「おじいさんもこんな年だ。生きているうちにお前の結婚と子供の顔が見たい。できれば、曾孫も抱きたいものだ」
「おじいさん、私は……」
高橋逸人にもおじいさんの意図は分かっていた。反論したい気持ちもあり、言いたいことは山ほどあったが、おじいさんの悲しげな眼差しを見ると、結局心が軟化した。
「おじいさん、彼女に観察の機会を与えることはできますが……」
「本当か?」
高橋国夫の目が輝いた。
「でも、前もって言っておきます。最大一ヶ月です。それでもお互いに感情が芽生えなければ、おじいさんはもう私を強制しないでください」
「よし、おじいさんは信じているぞ。蛍はきっとお前の心を取り戻せる!」































