第5章 離婚協議書
自分が言い間違えたことに気づいた斎藤智子は、慌てて口を押さえた。「何でもないわ。村上家に入ったからには、規則を守るべきよ。その姿、ふさわしくないわ！」
松本由美は手を上げて遮った。「今すぐ着替えます」
「本当に恥ずかしいわ。村上龍平がどこを気に入ったのかしら。H市のどの令嬢でも君より優れているのに……」
斎藤智子が軽蔑の言葉を続けていると、突然、灰色のスーツが松本由美の肩にかけられた。
体が温まり、馴染みのある香りが漂ってきた。
「彼女がどうであれ、恥をかくのは君じゃない」村上龍平は彼女を抱き寄せた。「斎藤さん、少し口出ししすぎだ」
松本由美は反射的に避けようとしたが、汚してしまうのが心配だった。
しかし、村上龍平は強引に彼女を抱きしめた。これが彼女をさらに恐怖に陥れた。村上龍平は一体何を考えているのか……
雨に濡れたのは彼女なのに、熱でもあって頭がおかしくなったのか？
斎藤智子は彼を見て、急いで笑顔を作った。「龍平、お嫁さんに規則を教えているのよ」
「俺の規則が規則だ。あなたの規則なんて必要ない！」
斎藤智子の笑顔が凍りついた。
松本由美も同様に驚いた。
聞き間違いではないだろうか……村上龍平が彼女を擁護しているなんて。
村上龍平は彼女を優しく抱きしめ、別荘へと歩き出した。「執事、客を送ってくれ」
「はい」
松本由美は慣れない状況に戸惑い、動けなかった。「さっきの方は君のお母さんですか？」
「継母だ」
「そうですか……」松本由美は答えた。「さっき私を助けてくれたことで、怒らせてしまったでしょう」
村上龍平は淡々と答えた。「怒らせたならそれでいい」
彼は全く気にしていなかった。
さらに……
「彼女には君をいじめる資格はない」村上龍平は薄く唇を引き締めた。「世界中で、俺だけがあなたをいじめることができる」
松本由美はその言葉に心が震えた。彼女を侮辱する権利さえも彼だけのものだと。
「さっき斎藤智子に謝ったのか？」
松本由美はうつむいた。「はい」
「自分の頬を叩け」
彼の視線を見つめ、なぜ自分の言葉が間違っていたのか理解できなかった。
斎藤智子に謝ったからだろうか？
村上龍平は説明もせず、冷たく眉を上げた。
彼の言葉は絶対だった。
「パチン」という音と共に、松本由美は歯を食いしばり、自分の頬を強く叩いた。
音が響き、力を込めて、頬に赤い跡が残るようにしなければ、村上龍平は満足しない。
さもなければ、二度目、三度目の叩きが続く……彼が満足するまで。
「悪くない、少しは分かってきたな」村上龍平はテーブルの上の保温箱を指差した。「行け、それを開けろ」
松本由美は言われた通りにした。
蓋を開けると、香ばしい香りが漂い、食欲をそそった。
「これは……」
「斎藤智子が持ってきたスープだ」
松本由美は思い出した。母親もよくスープを作ってくれたが、もう二度と母親の手料理を味わうことはできない。
植物人間が目覚める確率は非常に低い。
松本由美は突然、大声で泣きたくなったが、泣くことはできず、涙をこらえるために目を瞬かせた。
村上龍平は足を組み、顎を少し上げた。「松本由美、飲め」
え？飲むの？
「それはちょっと……」松本由美は言った。「これは斎藤智子があ君のために用意したものです」
「飲めと言ったら飲め」村上龍平の声は不機嫌になった。「今日から、彼女が持ってくるスープは全部君が飲むんだ」
彼は自らスプーンを取り、スープをすくって口元に持っていった。
「自分で飲みますから……」
「飲め」
仕方なく、松本由美は口を開けた。
村上龍平は意味深な笑みが浮かんだ。
このスープを男性が飲むと、生殖能力に影響が出て、女性を妊娠させにくくなる……ちょうどいい、松本由美に飲ませよう。
女性だから、このスープは影響しない。
たとえ影響があったとしても、どうでもいい。
彼女の生死など気にしない。
松本由美は何も知らず、ちょうどお腹も空いていた。
「サインしろ」飲んでいると、村上龍平は一枚の契約書を投げてきた。
彼女は目を凝らして見た。離婚協議書だった。
結婚してすぐに離婚、村上龍平は一体何を企んでいるのか？
「三ヶ月後、俺たちは離婚する。君は何も持たずに出て行く。この三ヶ月間、きちんと奥さんとしての役割を果たせ」村上龍平は自信満々に言った。
村上龍平は絶対的な自信を持っていた。彼は三ヶ月以内に、あの夜一緒に過ごした女性を見つけることができると。
その時、松本由美の存在は意味を持たなくなる。
その女性と結婚するつもりだ。
あの夜の彼女のすべての美しさ……彼は無意識にそれを懐かしんでいた。
「分かりました、離婚します」松本由美は答えた。「でも、条件があります」
村上龍平は鼻で笑った。「条件を言う資格があるのか？母親を解放してほしいのか？」
「違います」
村上さんの死因を再調査したいと思っていた。
これは村上龍平の傷であり、触れてはいけない。誰がそれを暴こうとすれば、命を失うことになる。
松本由美は彼の性格をよく知っていたが、他に方法はなかった。
彼女は慎重に口を開いた。「考えたことがありますか？もしかしたら、あなたの父親の死には……何か裏があるのでは？」
予想通り、村上龍平の顔色は急速に暗くなり、まるで嵐のようだった。
彼はテーブルを蹴り飛ばし、スープが床にこぼれた。「松本由美、よくもそんなことを言えたな！？死にたいのか！」
怖いか？
もちろん。
松本由美はそれでも勇気を振り絞って言った。「私の父は経験豊富な救急科の医者です。生死の境で、彼が薬を間違えるなんてありえません……ああ！」
言い終わる前に、村上龍平の手が彼女の首を掴んだ。「もう余計な口を利くな！」
肺の空気が徐々に薄くなり、松本由美は息ができなくなり、彼の美しい顔を見上げた。
村上龍平の額には青筋が浮かび、手の力がますます強くなった。
「父親の仇は共存できない。松本由美、君は弁護しようとするなんて、夢にも思わないで！この一生、俺は松本家の人間を生き地獄にしてやる！」
「私はただ父を信じているだけ……」
「黙れ！」村上龍平は彼女の言葉を厳しく遮った。「証拠は揃っている。君の父親も罪を認めて刑務所に入った。まだ何か言うことがあるのか！」
「罪を認めるように強制されたんです……ゴホゴホ……」
松本由美の視界が暗くなり、窒息しそうだった。
もしこのまま死んでしまえば、それもいいかもしれない。解放される。
生きるのはあまりにも辛い。
しかし……村上龍平は手を緩めた。
「そんなに簡単に死なせない」彼はまるで悪魔のように言った。「君を生かして、日々苦しめる」
松本由美は地面に倒れ込み、無意識に涙が流れた。
どうやら、村上さんの死の真相を調べるのは、彼女一人でやるしかないようだ。
松本由美は悲しむ時間もなく、涙を拭いて立ち上がり、村上龍平に従って主寝室へ向かった。
「私は床で寝ます」彼女は自分の立場をよく理解していた。
村上龍平は彼女を無視し、窓辺でタバコを吸っていた。
松本由美は自分で布団を敷いて横になり、体を丸めて目を閉じた。
苦しさを感じなかった。ここで寝ることは、汚れた精神病院よりも何百倍も良かった。
タバコを吸い終えた村上龍平が振り返ると、松本由美はすでに眠っていた。
月明かりが彼女の頬に落ち、肌が白く見え、長いまつげが影を落とし、唇は赤くて水々しい……
思わずキスしたくなる。
村上龍平はすぐに目をそらし、浴室に入り、冷水シャワーを長い間浴びて冷静になった。
松本由美に対して感情を抱いてしまったのか！
くそ！
村上龍平はシャワーヘッドを投げ捨て、大股で寝室に戻り、松本由美を地面から引きずり上げた！
