第3章
江崎玲子の足はガクガクと震えていた。顔を上げる勇気なんてあるはずがない。
穴があったら入りたいほどだった。
古江直樹は彼女のことを認識したのだろうか?
江崎玲子は緊張のあまり、古江直樹の艶やかな革靴から目を離せなかった。彼が一歩前に進むと、彼女は反射的に一歩後ろに下がった。
彼女から漂うかすかなミントの香りに、古江直樹は思わず近づき、昨夜の記憶がよみがえってきた。
突然、古江直樹が彼女の胸元に手を伸ばすと、江崎玲子は驚いて顔を上げ、両手で胸を守りながら、警戒心に満ちた目で古江直樹を見つめた。「こ、古江社長...」
江崎玲子のその姿は毛を逆立てた小さな野良猫のようで、鋭い爪を見せていた。古江直樹は確信していた。もう一歩近づけば、目の前の野良猫は噛みついてくるだろうと。
古江直樹の視線は江崎玲子を上から下まで舐めるように観察した。白い肌、厚い前髪と黒縁メガネで顔全体はほとんど隠れており、ジーンズにシャツという極めて地味な出で立ち。手首には安物の髪ゴムまでしていた。
江崎玲子に対する古江直樹の第一印象は、「地味」だった。
彼は江崎玲子が昨夜の女性だとは気づかなかった。先ほどの微かな既視感も、江崎玲子の顔を見た瞬間に完全に消え去っていた。
古江直樹は冷ややかな表情で江崎玲子の胸元にある社員証を指さした。「江崎玲子?インターン?どこの大学を卒業して、会社に入って何ヶ月だ?」
江崎玲子は古江直樹の意図が分からなかったが、本能的に答えた。「経済大学を卒業して、入社して三ヶ月です」
「経済大学か」古江直樹はつぶやいた後、傍らにいる長島健に言った。「彼女にしよう。秘書課に報告させろ」
長島健は恭しく答えた。「かしこまりました」
江崎玲子は疑問を感じる。
彼女が何か質問する前に、古江直樹は長い脚で歩き去ってしまった。
彼女に責任を問いに来たわけではなかったのか?
江崎玲子はほっと息をつき、長島健の方を向いた。「長島さん、古江社長はどういう意味でしょうか?」
長島健は笑いながら言った。「おめでとう。秘書課に異動になったんだ。昇進だよ。インターンから正社員の秘書への直接昇格は君が初めてだ」
「どうして私なんですか?長島さん、本当のことを教えてください。そうじゃないと不安で」江崎玲子は不思議に思った。もしかして古江直樹は彼女だと気づいて、側に置いて少しずつ苦しめるつもりなのだろうか?
結局、女性に寝られたなんて噂が広まれば、面目が立たないだろう。
長島健は江崎玲子を一瞥して言った。「おそらく地味な見た目で、婚約者がいるから安心だからだろう。古江社長はちょうど秘書が必要だったから、君を選んだんだ」
結局、独身で美人の女性秘書を雇えば、上司を誘惑することばかり考えるだろうからね。
江崎玲子は「……」と言葉を失った。
そのことは、聞かなくてもよかった。
江崎玲子の顔立ちは実際とても整っていて、学校では一の美人だった。彼女は意図的に地味な服装をし、厚い前髪とメガネで容姿を隠していたため、見た目の魅力は大幅に下がっていた。
彼女はただのインターンで、この大企業では、コネもなく、彼女より学歴の高い人も大勢いる。そんな状況では、見た目が良いことは必ずしも良いことではなく、不必要なトラブルを招くこともある。
江崎玲子が黙っているのを見て、長島健は自分の言葉が彼女を傷つけたと思い、謝った。「江崎さん、悪気はなかったんだ。頑張って、秘書課に報告に行ってくれ」
江崎玲子は我に返り、微笑んだ。「ありがとうございます、長島さん。今度ご飯でもおごります」
突然正社員になって秘書課に異動することになり、江崎玲子は不安だった。古江直樹に会うのが怖くて、今や秘書課に異動して毎日彼に会うことになるなんて。
彼は昨夜の女性が彼女だと気づいたのだろうか?
たった数分の間に、江崎玲子は責め苦にあったような気分だった。毎日顔を合わせるなんて、どうなるのだろう?
江崎玲子はようやく退社時間になると、秘書課のオフィスにダチョウのように隠れていた。社長室に行く必要がなければ絶対に行かず、存在感を最小限に抑えていた。
会社を出ると、江崎玲子は長く息をついた。今日の勤務は拷問のようだった。
昇進して給料が上がったものの、江崎玲子は何だか体を売ったような気分になっていた。
江崎玲子は今日は地下鉄に乗るのをやめて、贅沢にタクシーで帰ることにした。
道中、江崎玲子は林澤明美にメッセージを送った「明美、正社員になって給料上がったよ。今夜はおごるから、出かけましょう。もうすぐ家に着くから、準備してて」
青山レジデンス。
林澤明美は居間のソファに不安げに座っていた。そして彼女の前に座っていたのは、古江直樹その人だった。
江崎玲子からのメッセージを受け取り、彼女の心は沈んだ。スマホを一目見ただけで、すぐに画面を消した。























































