章 14

北境では、大昭の雲中衛守軍と周辺の大昭属国十四国との交流が頻繁に行われていた。唐浅は大昭民族の優位性を振りかざして他国の風習を軽視するような狭量な人間ではなく、むしろ進んで他国の人々と交流し、彼らの言語や生活習慣を学ぶことを楽しんでいた。

だが、唐浅がこれまで見てきた様々な挨拶の形式の中でも、今朝のように「まだ生きているのか」という言葉で朝の挨拶をされたことは一度もなかった。

この奇妙な問いかけにどう礼を失せずに答えるべきか考えあぐねている間に、大昭の崇光皇子が先に動いた。墨無痕は無駄話を好まず、何事においても人に説明する必要も習慣もなかった。

しかし今回の墨無痕の行動はいつもの粗暴さと...

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