第2章
寮の自室に戻ると、私は五分もかからずにプロジェクト要件書を整え、コービンの学校用メールアドレスへ送信した。
あの容赦なく細かいタスクリストなら、さすがに尻込みするはずだ。そうなれば教授に、一人で進めさせてほしいと頼めばいい。
これで解決。
――のはずだった。
だが翌朝七時、スマホがぶぶっと震えた。
見知らぬ番号からのメッセージ:【インターフェースのモックアップ版1・0を添付。君が言ったとおり、できるだけスッキリさせた。――CH】
添付を開く。デザインはたしかにクリーンだった。配色は少し「体育会系」寄りだが、機能配置は堅実だ。何より――提出が十二時間も早い。
私は数秒、画面を見つめた。
十二時間前倒し。手を抜いた仕事には見えない。
短く「承認」とだけ返信して、コード書きに戻った。
それから数日、コービンは期待を上回り続けた。
火曜の夜、八時前には最適化版のインターフェースが届いた。水曜には、バックエンドのAPI呼び出し形式について自分から確認してきた。木曜には、午前一時にバグ報告まで送ってきた――文章は少し拙いが、問題の記述は正確だった。
木曜の夜には、彼と組むのも案外悪くないかもしれない、と考えはじめていた。
少なくとも、答えを丸写しするだけの他のチームメイトとは違う。彼は実際に学んでいる。動機が「私の足を引っ張りたくない」だけだとしても、結果は悪くない。
――金曜の正午までは。
私はトレーを持って学食のいつもの席へ向かった。壁を背にできて、部屋全体が見渡せるのに、簡単には邪魔されない位置。私がコーディングしているときは、大抵みんなが避ける隅のテーブルだ。
そのテーブルに、シャンパンローズの花束が置かれていた。
私は足を止め、素早く周囲を見渡した。近くの柱の陰からコービンが現れる。本人は魅力的だと思っているのだろう、そんな笑みを浮かべて。
「サプライズ」
私は花を見て、それから彼を見た。
「……これは何?」
「君に。ここ数日一緒にやってさ……なんていうか、コーディングって、今はちょっと面白いかもって思えてきた」わざとらしいほどの軽い調子で言う。
「礼がしたくて」
「共同作業者としてデバッグするのは義務よ。礼はいらない」私は花束を避けて席に座り、サラダに手を付けた。花はテーブルに置かれたまま、手つかずだ。
コービンは一瞬固まった。明らかに、そんな反応は想定していなかったらしい。
彼は向かいに座り、長い脚を無造作に投げ出した。
「じゃあ……来週の土曜、プレーオフの決勝があるんだ。ガラスのすぐ後ろの最前列、選手の家族席。君の分、取っておいた」
私は落ち着いて顔を上げた。お決まりの手口。
「スポーツには興味ない」フォークを置く。
「一回も試さない? キャンパスで一番の人気席だぞ」
「そういうVIP扱い、しないの」私は視線を合わせる。
「それに、氷の上であなたが人に突っ込んでいくのを見て楽しむ趣味もない」
彼の笑みが固まった。顎の線がきゅっと締まり、喉仏が一度だけ上下するのが見えた。
「じゃあ、何に興味があるんだ?」声が低く落ちる。
ようやく、正しい質問。
「完璧なコードを書くこと。現実の問題を解くこと」私はまたフォークを取る。
「例えば、学内ネットワークの帯域配分の最適化とか。もっと効率的な履修登録システムの設計とか。何千人もの学生の生活に、実際に影響するもの」
コービンは数秒、複雑な表情で私を見つめた。
「君、本当に変わってるな」
「私はただ論理的なだけ」私は立ち上がる。
「花は持って帰って」
これで終わりだと思った。
ところがその後数日、コービンはいろいろ手を変えてきた。
図書館での「偶然」の遭遇が三回。ラボに突然現れて「学術的な質問」をしてくる。挙げ句、ネットワークプロトコルの話題で私と議論しようとまでした――もっとも、スリーウェイハンドシェイクの説明は完全に間違っていたけれど。
毎回、狙いは透けて見えた。
四日目、彼がまたコンピュータラボの入口で私の前に立ちはだかり、「ルーターの設定が……」などとどもりながら言い出したとき、私はついに堪忍袋の緒が切れた。
「ネットワークの基本プロトコルすら分かってないのに、どんなルーター設定の話?」
私は彼の目をまっすぐ見据えた。
「本気で私を理解したいなら、まず私が何を大事にしてるのかくらい把握して。あなたの取り巻きみたいに、イケメン笑顔を見せられたら溶ける――そんな扱いをしないで」
コービンは凍りついたように立ち尽くした。自分のやり方が最初から最後まで的外れだったと、今になってようやく気づいたみたいに。
私は彼の横をすり抜け、そのまま寮へ戻った。
ドアを押し開けた瞬間、ルームメイトのリオラがベッドから跳ね起きた。
「スローン、正気なの!?」彼女はスマホを掲げる。
「コービンがあんたを追いかけてるんだよ!? キャンパス中の女子が彼と付き合いたがってるのに!」
私はバッグを置きながら答えた。
「人気と相性は別」
「でも超カッコいいし! 家も金持ちだし! それにホッケー部のキャプテンだよ!」リオラは信じられないという声を張り上げる。
「ハーパーなんて、彼の気を引くためにホッケーのルール全部覚えたんだよ?」
「それは、ハーパーが自分の欲しいものを分かってないってだけ」私は机に座る。
「見た目と親の金で惰性に乗ってるだけの男に興味はない」
「でも彼、頑張ってるじゃん! 花束に、今度はどこにでもついてくるし!」
私はノートパソコンを開いた。
「方向の間違った努力は、努力じゃなくて無駄」
「じゃあ、どんな男がいいの?」
少し考える。
「少なくとも、普通に会話ができる人。『君って可愛いね』しか言えないとか、信託基金の自慢しかしないとかじゃなくて、ちゃんと話ができる相手」
リオラは目をぐるりと回し、ベッドにごろんと倒れた。
「はいはい。あんたの基準、ほんとに……なんか別次元」
「別次元じゃない。違うだけ」
私は灯りを消してベッドに横になった。
正直、コービンのしつこさは少し奇妙だった。普通、ああいうタイプの男は何度か拒まれたら、さっさと別の相手に乗り換える。
でも、それは私が悩むべき問題じゃない。
―――
土曜の夜七時。プレーオフ決勝で、キャンパスはホッケー一色になっていた。
私はいつもどおりコンピュータラボでコードを書いていた。サーバーの低い唸り、キーボードのクリック音、蛍光灯の白い光――私の世界は、こういう音であるべきだ。
スマホが一度、震える。
コービンからのメッセージ:【もうすぐ試合始まる。来ないって本気?】
ちらりと見て、返さない。アルゴリズムのデバッグを続ける。
また震えた。
【席、ずっと取ってある】
私は通知を切り、コードに集中した。
翌朝、リオラがスマホを構えたまま寮に飛び込んできた。
「スローン! これ見なきゃだめ!」画面を顔の前に突きつける。
「コービン、昨夜マジで暴走してた!」
スマホから昨夜の試合の動画が流れる。
映像の中のコービンは、氷上の獣みたいだった。タックルはどれも苛烈で執拗で、観客が息を呑み、悲鳴を上げるような当たりばかり。
どこにでもいる――ボードへ叩きつけ、パックに食らいつき、まるでそれが生きるための唯一の手段みたいに戦っている。
最後のクリップは、相手選手をガラスに凄まじい勢いで叩きつける場面で止まった。防護壁全体がぐらりと震える。
リオラが拡大する。
「ここ見て! 大きい当たりのたびに、ガラスの後ろの最前列をずっと見てるの。あの席、試合中ずっと空いてたんだよ」
私は画面を見つめた。粗い映像越しでも、インターバル中にセンター付近へ立つコービンが見える。胸が大きく上下し、首筋を汗が伝っていた。
彼は空席を見ていた。以前の、あの生意気な自信の表情じゃない。剥き出しで、飢えたような何か。
「コービンがあんな攻撃的にプレーしたことないって、みんな言ってる」リオラが小さく言う。
「何かを証明しようとしてるみたいだったって」
私は動画を閉じ、ノートパソコンを開き直した。
「私の問題じゃない」
――なのに、指がキーボードの上で止まったまま動かない。
頭の中であの映像が何度も再生される。彼が氷上に立ち、空席を睨みつけるように見つめていた姿。まるで、その席に個人的な恨みでもあるみたいに。
見たことがある目だった。アルゴリズム競技で、命がけみたいに一位を取りにいく人間の顔に浮かぶ、あの表情。
ただ今回は――追いかけている賞品が、私だった。
