第2章
深夜のコンピュータ室は静まり返り、サーバーの駆動音だけが沈黙を破っていた。ここが、私のお気に入りの作業時間だった。やかましい議論もなく、無意味な社交に気を散らされることもない。ただ私と、私のコードだけが存在する。
ソートアルゴリズムの最適化をしていると、背後から足音が近づいてきた。振り返る気にもならない。
「明美?」
探るような、その声色。私はタイピングを続けた。
「今日の課題の件なら、共有フォルダに資料を上げてあるわ」
「いや、実は……」椅子を引きずる音がして、拓也が私の隣に腰を下ろした。「このループ文で困ってて」
私は手を止め、彼に目をやった。バスケ部の練習着姿に、流れる汗。練習を終えて駆けつけてきた、いかにも体育会系といった風貌だ。この時間にここへ現れるということは、本気で助けが必要か、あるいは下心があるかのどちらかだ。
「どのループ?」私はできるだけ平坦な声で尋ねた。
彼は自分のノートパソコンを開き、画面を指差す。
「これ……どうしても理解できなくて」
彼のコードを一瞥しただけで、私は評価を終えた。これは最初の週に習うような導入レベルの内容だ。基本的な論理的思考力さえあれば、ここで躓くはずがない。だが、昨日の授業での彼の様子からすると、理解力はむしろ悪くない方だった。
「基本的な反復処理の構造よ」私はぶっきらぼうに言った。「あなたの論理的思考は、見せかけているよりずっと上。とぼけるのはやめて」
彼の目に、一瞬、驚きの色が浮かんだ。
「俺のこと、頭いいと思ってくれてるのか?」
面白い。どうやら、彼にそんなことを言った人間は今までいなかったらしい。
「賢いことと、怠けることは矛盾しないわ」私は自分の画面に向き直り、作業を再開した。「でも、才能を無駄にする人間は嫌い」
拓也は数秒間、黙り込んだ。彼が私をじっと見つめているのを感じたが、余計な関心を払うつもりはなかった。
「……じゃあ、教えてくれないか?」
私の指がキーボードの上で止まった。プロジェクトのパートナーとして、彼がついてこられるようにするのは必要なことだ。しかし別の見方をすれば、これは勉強を口実に私に近づくための彼の戦略かもしれない。
「家庭教師じゃないの」私はまず釘を刺した。
「分かってる。でも……プロジェクトのパートナーとして、俺がちゃんとついてこられるようにする責任、あるだろ?」
一理ある。
「まったく、一度だけよ」
それから一時間、私は基本的な概念を体系的に説明した。拓也の学習能力は実のところかなり高く、要点をすぐにつかみ、的確な質問を返してきた。どうやら私は彼を見誤っていたらしい。彼は本当に馬鹿なのではなく、ただ今まで真面目にプログラミングを勉強したことがなかっただけだ。
驚いたのは、その間、彼が終始プロフェッショナルな態度を崩さなかったことだ。不要な私語も、学業以外の話題に話を逸らそうとする試みも、不適切なボディランゲージも一切なかった。
「もう分かった?」私はコードファイルを保存した。
「ああ」彼の返事は正直そうに聞こえた。
「じゃあ、帰るわ」私は荷物をまとめ始めた。
「待って」彼が立ち上がった。「夜食でもどう?いい店を知ってるんだけど……」
来た。……やはり、こうくると思っていた。
「遠慮しておく」私はバッグを肩にかけた。「おやすみ」
研究室を出ながら、私はさっきの出来事を考えずにはいられなかった。拓也は、実際かなり頭がいい。けれど、私に対する彼の興味が、単なる勉強以上のものなのは間違いない。
これは、面倒なことになるかもしれない。
翌日の昼休み。私はトレーを持ってカフェテリアのいつもの席へ向かった。壁を背にした隅のテーブル。そこは食堂全体を見渡せる一方で、簡単には邪魔をされない、私の定位置だ。
テーブルの上には、シャンパン色の薔薇の花束が置いてあった。
私は立ち止まり、素早くあたりを見渡す。近くの柱の陰から拓也が現れた。これまで数えきれないほどの女子を落としてきたであろう、彼お得意の自信に満ちた笑みを浮かべて。
「サプライズ!」と彼は言った。
私は花を見て、それから彼を見た。花?本気で私がこんなものに靡くとでも思っているのだろうか。
「これは何?」答えは明白だったが、あえて尋ねた。
「昨日の夜、助けてくれたお礼だよ」
「プログラムのデバッグはパートナーとしての義務。お礼なんて必要ないわ」私は花束を回り込んで席につき、サラダを食べ始めた。花束には指一本触らなかった。
拓也はこの反応を明らかに予想していなかったようだが、それでも私の向かいに腰を下ろした。
「それで……土曜に大事な試合があるんだ。最高の席、取れるけど」
私は顔を上げなかった。
「スポーツに興味はないし、特権にも興味はないわ」
「特権?」
「特別席は特権の一形態よ」私はフォークを置き、真剣な目で彼を見た。「特別扱いされる必要はない」
彼の自信に満ちた表情に、ひびが入り始めた。
「じゃあ、何に興味があるんだ?」
ようやく本題に入ったか。私は食べるのをやめ、彼に正直な答えを返すことにした。
「完璧なコードを書くこと。現実の問題を解決すること」
「例えば?」
「例えば、キャンパスの無線ネットワークの帯域割り当てを最適化したり、もっと効率的な履修登録システムを設計したり」この話題になると、私はいつもの興奮を覚えた。「こういうことは、実際に何千人もの学生の生活に影響を与えうるの」
拓也は複雑な表情で私を見ていた。明らかに、そんなことを考えたこともなかったのだろう。
「よくわからないけど、君は、本当に特別だな」と彼は言った。
「私はただ論理的なだけ」私は食事を再開し、それから花に目をやった。「その花、持って帰っていいわよ」
それからの数日間、拓也はいくつか違うアプローチを試してきた。図書館での「偶然の」遭遇、研究室での「学術的な議論」、果てはネットワーク技術の問題について私と議論しようとさえした。しかし毎回、私は彼の浅はかな企みを簡単に見抜くことができた。
彼は、私がこういった表面的なジェスチャーを求めていないことを、まだ理解していないらしかった。
四日目、彼がまた私の前で「ルーターの設定」についてどもっているのを見て、私はついに我慢の限界に達した。
「基本的なネットワークプロトコルも理解してないくせに、何がルーターの設定よ」私は彼をまっすぐに見据えた。「本気で私を理解したいなら、せめて私が本当に何を大切にしているかくらい、まず把握してからにして」
彼は呆然と立ち尽くしていた。まるで、自分のやり方がすべて間違っていたことに、初めて気づいたかのように。
正直、この男のことはよく分からなかった。拓也はキャンパスで一番の人気者で、彼と付き合いたがっている女子は寮の建物まで列をなすほどだ。なぜ彼は、明らかに自分に興味のない人間に固執するのだろう?しぬ!
もっとも、大抵の男は私にこれほど冷たくされれば諦めていただろう。彼の粘り強さは、ある意味驚きではあった。
真夜中に寮へ戻り、シャワーを浴びながらも、私はそのことを考えていた。バスルームから出ると、絵里はすでにベッドでSNSをスクロールしていた。
「明美、正気?」絵里が突然、体を起こした。「拓也がアプローチしてきてるのよ!キャンパス中の女子が彼と付き合いたがってるのに!」
私は髪を乾かしながら答えた。
「人気があるからって、私に合うとは限らないでしょ」
「でも、すっごいイケメンでお金持ちで、バスケ部のスター選手よ!」絵里の声は信じられないといった響きだった。「恵理子なんて、彼に気に入られようとしてわざわざバスケのルールを勉強したのよ?」
「それは、恵理子が自分が本当に何を求めているか分かってないってだけのことよ」私は自分のベッドに腰を下ろし、濡れた髪を梳かし始めた。「見た目が綺麗で、親の財産でのうのうと生きてるだけの男には興味ないの」
「でも彼は努力してるじゃない!今日だって、あなたに花を渡したってカフェテリア中が噂してたわよ!」
私は髪を梳かす手を止めた。
「間違った方法での努力は、ただの時間の無駄よ」
「じゃあ、どんな男がいいのよ?」
それはいい質問だった。私は考えた。
「少なくとも、私と普通に会話ができる人。ただ『君は綺麗だね』とか、どれだけ金を持ってるか自慢するだけじゃなくて、ちゃんと話ができる相手」
絵里はベッドにばたんと倒れ込んだ。
「オッケー、あなたの基準は間違いなく……ユニークね」
「ユニークじゃなくて、他の人と違うだけ」私は電気を消した。「おやすみ」
暗闇の中で横になっていると、窓の外からかすかな音が聞こえた。おそらく、木の葉が風にそよぐ音だろう。
考えすぎかもしれないが、拓也の執着は少し奇妙に思えた。論理的に考えれば、彼のような人間は数回断られたら、さっさと他の相手に移るはずだ。なぜ彼は、ここまで私に固執するのだろう?
まあいい。くよくよ考えても仕方ない。寝返りを打ち、眠りについた。











