第8章
榎本日織が浮かれているのとは対照的に。
涼太と優斗は知らせを聞いた瞬間、顔がみるみる曇った。露骨に不満そうで、心底乗り気じゃないのが丸わかりだ。
けれど――ママがそれで悲しむかもしれない。
そう思うと、二人は渋々、折れるしかなかった。
「……ママの言うとおりにする」
榎本日織は息子たちの不機嫌を見ないふりをして、そのまま幼稚園まで送り届けた。
初日ということもあり、受付で手続きを済ませ、担任にも挨拶をする。
一通り整えてから、彼女はしゃがみ込み、笑って二人の目を見た。
「悪さしないで、いい子にするのよ。お迎えはママが来る。分かった?」
涼太と優斗はおとなしく頷いた。
榎本日織が門の外へ消えていくのを見送ってから、二人は教室に入る。
先生がぱんぱん、と手を叩いて注意を集めた。
「みんな、静かにね。今日は新しいお友だちが二人来ました。前に出て、自己紹介してくれる?」
子どもたちの視線が一斉に涼太と優斗へ集まる。
可愛い顔立ちを見た瞬間、教室がぱっと華やいだ。
「いいよー!」
「かっこいい!」
美形は正義。小さくても例外じゃない。
涼太と優斗は怯むことなく前へ出て、堂々と名乗った。
「はじめまして。榎本優斗です。仲良くしてね」
「榎本涼太です。涼太って呼んで」
二人がにこっと笑うと、あちこちから「かわいい!」と声が上がる。
先生も満足そうに頷き、席を指した。
そして――二人の前の席にいたのは、葉月だった。
葉月は涼太と優斗を見た瞬間、ぱっと目を輝かせた。
ふわりと甘い笑みを浮かべ、嬉しそうに二人を見上げる。
けれど、涼太と優斗の表情は冷えたまま。
ママが傷つけられた記憶が、頭から消えていなかった。
葉月の方から近づいてきても、まるで見えないふり。
視線すら合わせない。
葉月の瞳の光が、少しずつ消えていく。
俯いて、小さく唇を噛んだ。悔しそうで、泣きそうで。
――どうして?
昨日まで優しかったのに。私、何か悪いことしたの?
葉月は小さい頃から自閉症で、あまり喋らない。クラスでも浮きがちだった。
だからこそ、涼太と優斗と仲良くなれたことが、本当に嬉しかったのに。
指をぎゅっと絡め、泣くのを堪える。
涼太と優斗も葉月の気配に気づかないほど鈍くはない。胸がちくりと痛む。
それでも――守るべきはママだ。
この世界で一番大事なのは、ママ。
葉月とは、友だちになれない。
そう決めたみたいに、二人はわざと明るく振る舞い、あっという間にクラスの輪の中心に入っていった。
葉月は遠くから、じっと見ているだけ。
笑い声が上がるたび、肩がきゅっと縮む。羨ましくて、でも入っていけなくて、頭がどんどん下がっていった。
涼太と優斗も、決めたはずなのに目で追ってしまう。
一人きりで座っている姿が、捨てられた小さな獣みたいで――胸が重い。
優斗が何でもないふうを装って、ぽつりと聞いた。
「……あの子、みんな遊ばないの?」
少しふっくらした男の子が肩をすくめる。
「喋らないんだもん。誘っても無反応だし。ちょっとぶつかっただけで先生に怒られるの、こっちだよ? めんどくさいし、やっかい」
別の子も口を挟んだ。
「かわいそうって思ってさ、優しくしたことあるよ。でも反応ないし、たまに叩くし……」
最初の子が言い切る。
「いじめる子がいたら追い払うよ? でもお礼も言わない。失礼じゃん。ねえ、みんなもそう思うでしょ」
周りの子がうんうん、と頷く。
優斗の目に、複雑な色がよぎった。
海外にいた頃、自分たちも「父親のいない子」だと陰口を叩かれた。野良の子だと笑われ、からかわれ、よく意地悪された。
葉月は父親がいるぶん、少しはマシなのかもしれない。けれど結局、彼女も一人だ。
――あの孤独は、きつい。
二人は葉月を遠ざけると決めたはずなのに、心までは追いつかなかった。
葉月が悪いわけじゃない。
涼太がにこっと笑い、前へ出て葉月の手を取った。
「俺はさ、葉月ってすごく可愛いと思う。姫様みたいじゃん。姫様は守られるべきだよ」
「喋らないのは恥ずかしいだけかも。一緒に遊べば、きっと嬉しいって」
子どもは単純だ。可愛い子が中心に立てば空気は変わる。
周りも次第にその気になっていく。
「じゃあ、今度から一緒に遊ぼう!」
「葉月いじめたら、僕がやっつける!」
さっきの男の子は小さな拳を握りしめた。
「俺、毎日葉月と遊ぶ! 誰かいじめたら殴る!」
葉月は反応が遅いけれど、馬鹿じゃない。
涼太と優斗の意図を理解して、小さく頷いた。
「……うん」
そう囁きながら、葉月は二人の服の裾をぎゅっと掴んだ。離さない。
休み時間。
子どもたちが別の遊びへ散っていくと、優斗は途端に表情を冷やした。
「……離して」
葉月の目に涙が溜まり、ぽろり、と落ちる。
「や……やだ……」
その泣き声に、優斗と涼太の苛立ちは増していく。
叱りたいのに、突き放せない。
葉月の赤い頬を見て、結局、優斗が先に折れた。ぶっきらぼうに言う。
「……もう、泣くなよ。分かった。遊んでやるから」
葉月の顔がぱっと上がる。
そして、恐る恐る小指を差し出した。
「ゆ……指きり……?」
涼太と優斗は顔を見合わせ、ため息をつきながら小指を絡めた。
