第3章
亜理亜視点
海鳥の声と、柔らかな朝の光で目が覚めた。頬に、温かい何かが触れている。
大和の肩だった。
凍りつく。全身の筋肉がこわばった。
彼の声はざらついていて、やけに楽しそうだ。「おはよう。よく眠れたか?」
私は勢いよく身を起こし、今起きたことを帳消しにでもするかのように髪をかき乱した。
「地面が硬かっただけ。それだけよ」
大和は首筋をさすりながら、もうにやにやしている。「だろうな。だから俺によだれ垂らしてたのか?」
「垂らしてない!」
「どうだか」彼は気楽な様子で伸びをする。「ちょっといびきもかいてたぞ」
「いびきなんてかかないわ!」
「そう思ってた方がよく眠れるなら、それでいいんじゃないか」彼は立ち上がると、ジーンズについた砂を払った。「文字通りな」
顔がカッと熱くなる。彼の肩で、本当に一晩眠ってしまったのだ。最悪なことに、よく眠れた。ここ五年で一番、ぐっすりと。
大和は肩を回す。「水が必要だ。ココナッツだけじゃなく、真水が」
私も立ち上がる。「内陸に行けば、小川があるはず」
ネットでは、コメントが殺到していた。
『大和のからかい方、最高w』
『うろたえてる亜理亜かわいいwww』
『寄り添って寝てたとか無理しんどい』
ジャングルに足を踏み入れた途端、湿気が肌にまとわりつく。すぐに汗が噴き出してきた。私が先頭に立ち、大和が後ろにつく。木々の隙間から、太陽の光がまだらに差し込んでいた。
歩きながら私が植物を調べているのを、彼が見ている。「本当に詳しいんだな、そういうの」
私はシダのそばにしゃがみこむ。「白峰にいたおばあちゃんが庭を持っててね。食べても安全なものと、食べたら死ぬものを教えてくれたの」
「桜坂じゃ重宝しただろうな」彼は軽い口調で言った。
私は立ち上がって歩き続ける。「どうやら、こっちの方がもっと重宝するみたいね」
おばあちゃんの庭で過ごした、あの夏の午後。あの時の教えが、いつか自分の命を救うことになるなんて、思いもしなかった。
水の流れる音が聞こえてくる。
「聞こえる?」私は速度を上げた。
「水だ!」大和が追いついてくる。
苔むした岩に足を乗せた、その時。足が滑った。
ぐいっと手首を掴まれ、引き戻される。彼の胸に、勢いよくぶつかった。
大和の腕が私の腰に回り、もう片方の手は手首を固く握っている。気づけば、顔が数センチの距離にあった。彼の瞳の、あらゆる青の色合いが見える。潮と太陽の匂いがした。悪くない、全然。
「危ない」彼は息を切らしながら、静かに言った。「こんな所で怪我されたら困る」
心臓が激しく脈打つ。私は一歩後ろに下がった。「ありがとう。大丈夫だから」
彼は手を離したが、その目は私から離れない。「本当に?」
「大丈夫だって言ってるでしょ」私は背を向けて歩き続けた。
『まだココナッツと、何か別の……あいつだけの匂いがする。こりゃ、長い一週間になりそうだ』大和のそんな思考が、すぐ後ろから聞こえてくるかのようだった。
私たちは小川にたどり着いた。澄んだ水が、滑らかな岩の上を流れている。大和が指で水に触れる。「綺麗だな。飲んでも大丈夫そうだ」
ココナッツの殻や大きな葉を器にして水を汲む。私が先に飲んだ。冷たい水が喉を滑り落ちていく。永遠に何かを味わっていなかったかのような、最高の味だった。
コメントが爆発する。
『完全にドラマのワンシーン』
『亜理亜の顔、真っ赤だった!』
『性的緊張感、爆上がり📈📈📈』
キャンプに戻り、水を日陰に置く。日差しはさらに強くなっていた。大和は私たちの備品に目をやる。
「次は、火だ」
彼は火打ち石を手に取り、火を起こそうとし始めた。一回。二回。五回。つかない。汗が彼の顔を伝う。失敗するたびに、握る手に力がこもっていく。
十回試した後、彼は石を砂の上に投げ捨てた。
「無理だ、こんなの」
彼は膝に手をついて座り込む。
私は火打ち石を拾い上げた。「無理じゃない。あなたが短気なだけ」
彼が勢いよく顔を上げた。「ああ、じゃあお前がやってみろよ。何でもお上手なんだから」
「ええ、やってやるわ」
私は膝をつき、乾いた草を並べ直す。一回目は失敗。角度を調整する。二回目も失敗。草を入れ替える。五回目も失敗。体勢を変える。
大和が見ている。
『こいつは昔からこうだ。一度決めたら、何があっても曲げない。だから出て行った。だから、俺は引き止められなかった』
「昔から頑固だったな」彼の声は、さっきより柔らかくなっていた。
「これは粘り強いって言うの」
「知ってる」さらに静かな声で。
彼の声色に含まれた何かに、私の手が止まる。後悔?考えたくなかった。
十八回目。火花が燃え移った。煙が立ち上る。私は息を止め、そっと息を吹きかけた。
小さな炎が現れる。
「うそ……大和、見て!」
彼も同じくらい興奮して身を乗り出す。「動くな!もっと木を持ってくる!」
私たちは慎重に小枝をくべていく。火は大きくなった。安定したのを確認して、私たちは同時に立ち上がった。
大和が手を上げる。
私も、無意識に手を上げた。
二人の手のひらが、合わさる。
パン。
すべてが、止まった。
指先から心臓へと、電気が突き抜ける。私たちは二人とも固まった。この仕草は、あまりにも馴染み深い。五年も前、撮影現場で、私たちが一つのシーンを完璧にこなすたびに、こうして祝っていた。私たちの、お決まりの仕草だった。
大和が先に手を引いて、咳払いをした。
私も慌てて手を下ろし、また髪を直す。
「よくやった」彼の声はかすれていた。
「あなたもね」彼の顔が見られない。
大和は海を見つめる。「タンパク質が必要だ。魚を獲る」
彼は枝と蔓、それに先端を尖らせた棒で槍を作り始めた。
そして、シャツを脱いだ。
何気ない動きだったが、私の目はそれを追ってしまう。太陽の光が彼の筋肉を照らし出す。汗で肌が輝いていた。五年前よりも、さらにいい体つきになっている。
私がじっと見ていることに気づいて、彼がにやりと笑う。「いい眺めだろ?」
私は目をそらし、呆れたようにため息をついた。「夢でも見てなさい、馬鹿」
彼は水の方へ歩きながら、ちらりと振り返る。「もう経験済みだ」
顔がカッと熱くなる。五年経っても、彼は相変わらず口説くのがうまい。
大和は槍を手に、浅瀬に入っていく。水面下を凝視し、じっと待つ。一投目、失敗。魚は速すぎる。二投目、失敗。三投目、まだだめ。五投目、槍が折れた。
私は浜辺に座り、膝を抱えながら彼を見ていた。水には入れない。水が怖いのだ。泳げない。でも、彼が挑戦する姿を見ていると、胸の奥で何かがざわめいた。
七回目の失敗の後、大和は息を切らしながら岸に戻ってきた。
「もう一週間、ココナッツだけ食って過ごすか」
私は彼にココナッツの水を渡す。「水分補給して。もう一回やってみなさい」
彼はそれを受け取り、私を見た。「ずいぶん俺を信用してるんだな」
言葉が滑り出た。「あなたがもっと大変なことをやり遂げるのを見てきたから」
すぐに後悔した。彼のキャリアを追っていたことがバレてしまう。
彼の眉が上がる。「へえ?例えば?」
「あなたの映画とか、スタントとか……そういうのよ。時々、記事で読んだりしただけ」
彼がぐっと顔を寄せてくる。「俺のこと、読んでるのか?」
私は彼を押しやった。「うぬぼれないで。あなたの映画なんてどこにでもあるでしょ。見逃す方が難しいわ」
彼は満足げに笑った。「そうだな。どこにでもある」
コメント
『大和上半身裸警報🚨』
『亜理亜、見てた。私にはわかる』
『もう経験済みだですって???』
『彼の記事読んでるんだ😭😭😭』
夜が訪れ、星が瞬き始める。焚き火がぱちぱちと音を立てる。私たちは、私が安全だと確認した焼いたココナッツとベリーを食べて座っていた。
沈黙が続く。気まずくはない。むしろ、穏やかですらあった。
大和が炎を見つめながら、その沈黙を破った。「撮影現場での、あの雨のシーン覚えてるか?」
私は手を止める。「どれ?五つくらいあったじゃない」
彼は微笑んだ。「俺たちが笑いが止まらなくなって、何度もNG出したやつだよ」
あのシーン。人工の雨。監督は十数回もカットをかけた。
「あなたが人工の水たまりで滑りまくってたからでしょ」
「お前があんまり笑うもんだから、ブタみたいに鼻を鳴らしてな」
「鳴らしてない!」
「絶対鳴らしてた。クルー全員に聞こえてたぞ。音響さん、録音までしてたし」
思わず笑ってしまった。「わかったわよ、少しだけね。いい一日だったわ」
「ああ」彼の声が和らぐ。「そうだな」
間。
「いい日は、たくさんあった」
「そうね」私は炎を見つめる。
再び沈黙。今度は違う。私たちが口にしないことで満ちている。
本当に、いい日はたくさんあった。私たちは、ずっと一緒にいられると思っていた。あのオファーが来るまでは。あの選択をするまでは。
『覚えてる。あいつも、俺とまったく同じように、全部覚えてる』大和の思考が響いてくるようだった。
「もう寝ましょう」私は言った。「明日はもっと食料を探さないと」
彼は頷いた。「そうだな」
私たちはシェルターに横になる。昨日の夜より、近い距離で。彼の呼吸が聞こえる。ヤシの葉の隙間から、焚き火の明かりが漏れていた。
今日は疲れた。でも、あまりにも心地よすぎた。一緒に火を起こし、一緒に食べ物を探し、昔を思い出す。奇妙で、同時に懐かしい感覚。
「亜理亜?」大和の声が暗闇を裂いた。
心臓が跳ねる。「何?」
彼は少し間を置いた。「君でよかった」
息が止まる。「何が?」
「ここで。もし無人島で誰かと一緒に遭難しなきゃならないなら、それが君でよかった」
心臓が、一瞬止まった。どういう意味?
「感傷的にならないでよ」私は声を平静に保とうと努めて言った。「まだ二日目でしょ」
彼は静かに笑った。「了解」
それ以上、音はなかった。でも、私たち二人とも眠っていないことはわかっていた。私は上を見つめる。彼の言葉が頭の中で繰り返される。『お前でよかった』。
ネット
『君でよかったって😭』
『彼女がそっけなく返したけど、絶対心に響いてるのわかる』
『またお互い好きになってるのに本人たちだけが気づいてないやつ』
『あと五日……これ、私の心が持たない』
なぜ私なの?五年も経ったんだから、彼は私を憎んでいるべきなのに。私はキャリアを選んだ。私は去った。彼を傷つけた。なのに、彼は私でよかったと言う。それって、どういう意味?
外では、波がリズムを刻み続けている。焚き火の光は弱まっていく。二人は目を覚ましたまま、お互いのことを考えて横たわっている。物理的な距離は近い。心の溝も、少しずつ埋まっているように思えた。
あと五日。
この先、何が起こるのだろう?
