第1章

居酒屋の個室は、アニメーション学院を卒業後、それぞれの業界で奮闘する同級生たちで満ちていた。

卒業以来、私と伊藤尚久が彼らに会うことは滅多になかった。

「そうだ、伊藤君と友佳子、二人はいつ結婚するんだ? もう長年付き合ってるだろ?」

クラス委員長だった中村が、不意にこちらへ話を振ってきた。

伊藤尚久は酒の入ったグラスを置き、目を泳がせる。

「まだ考えてない」

「十一月二十二日よ」

私たちが同時に口を開き、場の空気が一瞬で凍りついた。伊藤尚久が勢いよくこちらを振り返り、その眼差しには不可解と詰問の色が浮かんでいる。

この返事が彼を不快にさせることはわかっていた。けれど、もう我慢の限界だった。

確かに私たちは結婚について話し合ったことがある。しかし、その度に彼は『アニメ』の新規プロジェクトを理由に先延ばしにしてきた。それが単なる口実で、本当は私と結婚したくないだけだということも、私は知っていた。

「おや、どうやら二人でまだ話し合ってなかったみたいだな?」

中村が笑って場を収めようとする。

「伊藤君、男として、もっと積極的にいかないとだろ?」

私は伊藤尚久の問い詰めるような視線を無視し、背筋を伸ばすと、毅然とした口調で言った。

「十一月二十二日に私、結婚します。みなさん、ぜひ来てくださいね!」

個室内は歓声と拍手に包まれた。

伊藤尚久は、複雑な表情を浮かべたままその場で固まっている。

同級生たちは次々とグラスを掲げて祝いの言葉を口にする。伊藤尚久が秘密にしていたサプライズだと勘違いしているようだった。

「伊藤君、ずいぶん慎重なんだな。結婚の日取りまで企画書みたいに秘密にするなんて!」

と同級生の一人がからかう。

伊藤尚久はかろうじてグラスを持ち上げ、しきりに私の方を見ては視線で何かを問いかけてくる。しかし、私は意図的にその視線を避け、同級生たちとグラスを掲げて祝杯をあげた。

八年間。アニメーション学院を卒業してから、私たちは付き合ってきた。だが、この三ヶ月ですべてが変わってしまったのだ。

「覚えてるか? 友佳子が新入生作品展で発表したキャラクターデザイン、あれは度肝を抜かれたよな! しかも作者本人があんなに綺麗だなんて思わなくて、あの日からうちの学部のマドンナになったんだよな」誰かが私たちの学生時代を懐かしみ始めた。

「そうそう! 伊藤がその場で友佳子と組みたいって言ったんだよな」

と別の同級生が続ける。

「今じゃ長年一緒に仕事してるだけじゃなく、結婚まで決めたんだから、まさにキャンパスラブの模範だよ!」

私は心の中で乾いた笑いを浮かべた。あの頃の誓いや想いなど、とっくの昔に時間によって洗い流されてしまっている。

伊藤尚久は上の空でその話を聞きながら、何度か何かを言いかけては口をつぐみ、苛立たしげに指でテーブルを叩いていた。

化粧室へ行くと口実を設け、私が個室を出た途端、手首を強く掴まれた。

伊藤尚久は私を廊下の角へと引きずり込み、その顔には怒りが満ちていた。

「『青空』の今季の新作が終わってから結婚の話はするって言っただろ? こんな風に同級生の前で結婚を迫って、何か面白いのか?」

彼は声を潜めて私を問い詰める。

「あなたはあなたの仕事で忙しくすればいい。私は私で結婚するから」

私は彼の手を振りほどこうと試みた。

「俺は結婚したくない。お前がどんな手を使おうとな」

彼の声には嘲りが含まれていた。

私が力任せに彼の手をこじ開けると、伊藤尚久の力が強かったせいで、手首に赤い跡が残った。

「伊藤尚久、放して! 痛いじゃない!」

「今すぐ戻って、結婚の話は冗談だったって皆に説明しろ」

彼は命令した。

私は深く息を吸い、彼の目をまっすぐに見つめた。

「私が結婚することと、あなたには関係ない」

「後で引くに引けなくなっても知らないぞ。俺がお前の結婚ごっこに付き合うことは絶対にないからな!」

伊藤尚久は冷笑を浮かべる。私が駆け引きをしているとでも思っているようだ。

「もう一度言うわ。あなたには関係ない!」

私が背を向けて立ち去ろうとした時、彼は再び私の腕を掴んだ。

「どういう意味だ? 何を血迷ってる? 別れたいなら、はっきり言えよ!」

私は振り返り、静かに問いかけた。

「私たち、とっくに別れたんじゃなかった?」

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