第4章
エレベーターのドアがゆっくりと閉まり、外の喧騒と伊藤尚久の怒りに満ちた表情を遮断した。
一瞬にして、世界が静かになる。
私と月島正海は、エレベーターの中で肩を並べて立っていた。
私は無意識に、いつも持ち歩いているキャラクターデザインのスケッチブックを指でなぞっていた。緊張したり、考え事をしたりするときの癖だ。
「ありがとう」
と私は小声で言った。
「助けてくれて」
月島は私を見て、口角をわずかに上げた。
「どういたしまして」
彼の声は低く、穏やかだった。
「君が誰かにいじめられているのを見たくなかっただけだよ」
エレベーターはゆっくりと下降し、ディスプレイの数字が移り変わっていく。
ふと何かを思い出し、私は顔を上げて尋ねた。
「彼らのこと、知ってるの?私のクラスメイトたちのこと」
月島は首を横に振った。
「いや、知らない。でも今、君を通して何人か知ることができた」
彼は少し間を置いて続けた。
「あの伊藤尚久というのが、君が言っていた元カレか?」
私は頷いたが、その話題にはあまり触れたくなかった。
私の落ち込んだ様子に気づいたのか、月島はそっと私の腰を抱き、引き寄せた。
その仕草に少し驚いたが、不快ではなかった。
彼は私より頭一つ分背が高く、彼から漂う淡いオーデコロンの香りに、微かなインクの匂いが混じっているのがわかった。
「友佳子」
と彼は親しげに私を呼んだ。その呼び方に、心が揺れる。
「何を飲んだんだ?僕も味わってみたいな」
彼は頭を下げ、私の瞳を優しく見つめると、そっと顔を捧げてキスをしてきた。
私のスケッチブックが手から滑り落ちたが、拾う余裕はなかった。
彼のキスはとても軽やかだったが、目眩がするほどで、清酒の香りが彼の口内のミントの味と混ざり合い、ひどく陶然とさせられた。
エレベーターが止まり、「チーン」という音が鳴る。月島は私を離し、床からスケッチブックを拾い上げると、ごく自然に私の手を握った。
エレベーターを降りても、私の思考はまだふわふわと定まらなかった。さっきのキスがあまりに突然で、ホテルの廊下の絨毯の縁につまずきそうになる。
月島はさっと私を抱きとめ、笑いながら尋ねた。
「僕らの偉大なアニメーター先生は、新しいキャラクターでも構想中かな?そんなに上の空で」
私の顔は一気に赤くなり、慌てて話題を逸らした。
「今回の東京アニメーションフェスティバルでの主な予定は?」
月島は私を離したが、手は握ったままだった。
「君に会いに来たこと以外だと、海外の配信プラットフォーム数社との提携交渉かな」
彼は少し間を置き
「ホテルのスイートを予約してあるんだ。少し休んでいかないか?ちょうど君と話したい新しいプロジェクトもある」
「まずはINFINITYの仕事のほうを片付けて」
と私は提案した。
「私は東京に数日長く滞在して、展示でも見て回るから」
月島は私を見つめた。その眼差しには、私が抗うことのできない優しさが宿っていた。
「でも、僕は君と一緒にいたい」
彼の瞳にはまるで渦があるようで、私を強く引き込み、思わず心が揺らいでしまう。
私は頷いて、彼の誘いを受けた。
「ちょうどいいわ。お互い、もっとよく知り合うためにも」
私たちの結婚式の日取りはもう決まっているが、確かにお互いのことをよく知らない。
というより、私は彼のことを知っているが、彼は私のことを知らないのだ。
二年前、父が病気で入院し、私の将来を心配し始めた。私は伊藤尚久に結婚の話を持ちかけたが、何度もはぐらかされ、先延ばしにされた。
別れた後、親友の高橋夢子が彼女の従兄である月島正海を私に紹介してくれた。
会ってみて初めて、彼が大学時代に私が参加したアニメコンテストの先輩審査員だったことに気づいた。あの頃、私は創作のスランプに陥り、毎日が苦痛だったが、彼が私に道を示してくれたのだ。
この数年間、彼は灯台のような存在として私の心の奥底に隠れていた。何年も会っていなかったけれど、私は一目で彼だとわかった。
けれど彼にとって、当時の私は世に出たばかりの小娘に過ぎなかったのだろう。彼が私を覚えているはずもなかった。
その後、私たちは東京国際アニメーションフェスティバルで再会した。彼は私のキャラクターデザインの才能を高く評価し、すぐに両家は顔を合わせ、双方の両親も大変満足して、すぐに婚約が決まった。
すべてがアニメのストーリーのように、とんとん拍子に進んでいった。
