第3章 乱闘

「はい、三郎様」

羽鳥紅蓮はベッドのそばへ戻り、スマホを手に取って会社へ向かうつもりだった。

だが、ふと視線を落とした瞬間――雪のように白いシーツに咲いた赤い痕が目に入る。

……梅の花みたい。

胸の奥がざわつき、喉がひりつく。唾を飲み込み、さっき結び直したネクタイを指でいじった。

そしてスマホを取り出し、特別補佐へ電話を入れる。

「玉城崇。センチュリーホテルを買収しろ。それと、俺が使ったこの部屋には誰も入れるな。清掃も禁止だ」

言い切ると、羽鳥紅蓮は通話を切った。

そのまま大股でホテルを後にする。

◇

少し時間を巻き戻す。

千葉椿は朝、疲れ切った身体を引きずるようにして大学へ戻った。

寮の同室の女子たちは、椿が男物のシャツを羽織っているのを見るなり、ひそひそと指をさす。中には、本人がいるのも構わず、平然と嫌味を投げつける者までいた。

「最近の女の子って、ほんと恥知らずだよね。外泊するだけじゃなくて、翌朝に男の服で帰ってくるとか。うちの部屋は真面目な子ばっかなんだから、そういう風紀乱すのやめてほしいんだけど」

もともと機嫌が最悪だった椿のこめかみが、ぴくりと跳ねた。

「相馬咲……あんた、どういうつもり?」

椿は、遠回しに自分を刺してきた少女を睨みつける。

「は? 図星だから反応したんでしょ。文句あるなら外泊すんな。朝っぱらから男の服で帰ってくんな。……クズ」

相馬咲は調子に乗り、言葉はどんどん汚くなっていく。

椿は奥歯を噛みしめ、ベッドから起き上がると相馬咲の襟首を掴んだ。

「相馬咲。今日のあたし、機嫌最悪なの。これ以上煽ったら後悔するよ」

「後悔? してみろよ、クズ。生徒会長に色目使うだけじゃ足りなくて、外で怪しい男にも尻尾振って、今度は暴力? 最低」

相馬咲も目を吊り上げ、拳を握りしめる。今にも殴りかかってきそうな顔だった。

「口、気をつけて」

「自分のやってることが汚いくせに、言われるのは嫌なんだ? ――クズ」

ぱんっ、と乾いた音がした。

椿の平手が、相馬咲の頬を打ったのだ。

相馬咲は頬を押さえて目を剥く。

「千葉椿! このクズ、よくも殴ったな!」

叫ぶなり相馬咲は椿の髪を掴み、二人は取っ組み合いになった。

そのとき――。

「どんっ!」と、寮のドアが外から蹴り開けられる。

椿と相馬咲は止まらない。髪を引き、腕を掴み、互いに引き倒そうとする。

「相馬咲! 千葉椿に手ぇ出すとか、いい度胸じゃん。あたしが叩き直してやる!」

飛び込んできたのは、椿の親友・原野暁だった。

相馬咲が椿の髪を掴んでいるのを見るなり、暁は迷いなく乱戦に加わる。

形勢は一気に逆転した。

暁が相馬咲を床へ押さえつけ、容赦なく頬を叩く。

「相馬咲。あたし原野暁の親友に手ぇ出したんだよ? 覚悟できてる?」

相馬咲も必死に反撃しようとするが、押さえつけられて身動きが取れない。

そこへ、誰かが呼んだのだろう。寮母が怒鳴り込んできた。

「千葉椿! 原野暁! 何してるの!」

椿が言い返そうとした瞬間、暁が相馬咲から離れ、寮母の前へ立つ。寮母より頭ひとつ、いやそれ以上高い。

「坂東おばさん、見りゃわかるでしょ。あたし、こいつを躾けてんの。くそ女だから」

寮母は顔を真っ赤にし、その場で教務部長・相馬大木へ電話を入れた。

結果、千葉椿、原野暁、相馬咲の三人は相馬大木のオフィスへ連れて行かれることになる。

相馬咲は腫れ上がった顔で、勝ち誇ったように二人を見た。腫れがひどくて、身内でも一瞬迷いそうなほどだ。

それでも煽るのをやめない。教務部長は、相馬咲の叔父なのだから。

「教務部長……千葉椿と原野暁が二人で、私一人を殴ったんです。見てください、顔がこんなに……!」

そう言って、自分の頬を相馬大木のほうへ突き出す。

相馬大木は椿と暁を睨みつけた。

「君たち! 大学生の自覚はあるのか! 暴力沙汰、それも二人で一人を――これはいじめだ。わかっているのか!」

椿は鼻で笑った。

「相馬先生。まず、あなたの姪がなんで殴られたのか聞いたら?」

「理由があろうが暴力は暴力だ。千葉椿、保護者を呼べ」

「私のことは私が責任取ります。保護者はいません」

「なら後見人だ。呼べ。どこにいる」

「いません。何度も言ってます。私のことは私が――」

「いいだろう。なら退学だ」

相馬咲の腫れた顔が、歪んで笑った。

「そうよ! こんなクズ、学校に置いとく価値ない! 名誉を汚すだけ。退学にして!」

「今、なんて?」

「今、なんて言った?」

椿と暁が同時に声を荒らげる。

二人が再び殴りかかろうとするのを、相馬大木が慌てて止めた。

「もういい。千葉椿、寮に戻って荷物をまとめろ。君は退学だ」

椿は冷たく笑う。

「江川大学って、いつから相馬大木の独裁になったんです? 退学は学長の承認が必要でしょう」

「私は教務部長だ。校則違反の学生を退学にする権限がある」

暁が氷みたいな目で相馬大木を見据えた。

「……相馬先生。覚悟しといて」

そう言って、暁はポケットからスマホを取り出した。

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