第32章

その一瞬で、藤原のお爺さんは顔色を変えた。

傍にいた松野博でさえ、思わず拳を握りしめる。

――だが、歯を食いしばって、彼女を止めには行かなかった。

「よい子だ、何をしてる……! 早く立ちなさい! 宮崎、早く若奥様を起こして差し上げろ!」

藤原のお爺さんの声は裏返り、焦りで掠れていた。

「お爺さん」

沈村薫子は宮崎の手をすっとかわし、膝をついたまま顔を上げる。声だけが、不思議なくらい冷静だった。

「今日のこの一礼は……この五年間、私を可愛がってくださった恩に報いるためです」

一拍。

「でも――藤原智史の妻は、もう一日だって続けられません」

藤原のお爺さんが呆然と見つめる中、...

ログインして続きを読む