第57章

小春はごくりと唾を飲み、腹を括って嘘をついた。

「薫子さん……薫子さんは外に出て、クライアントに会いに行きました。今日はたぶん、もうスタジオに戻らないと思います」

松野博の黒い瞳が、わずかに細まる。小春の肩越しに、視線はスタジオの奥――ぴたりと閉じた磨りガラスの扉へ落ちた。

下手な嘘だと気づいていないはずがない。

それでも彼は暴かず、踵を返して屋上を出た。

屋上は風が強い。

外に立った松野博は、眉間に深い皺を寄せた。

ここにも、彼女はいない。

自分が何を間違えたのか分からない。掴めない、触れない、宙ぶらりんな無力感。何もかも掌握してきたはずの彼が、生まれて初めて胸の奥をざわつ...

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