第76章

松野博は顔を横に向け、彼女の赤く染まった耳たぶの先に視線を落とすと、重く息を吐いた。

そのため息は狭い車内にふわりと広がる。苛立ちも怒りもない。むしろ、理不尽に拗ねてはいるのに自分だけがひどく傷ついた顔をする子どもを宥めるみたいで――

どうしようもない甘さと、諦めに似た寛容が滲んでいた。

「薫子」

掠れた低い声。かすかな笑みが混じる。

「俺に、言うことはないのか?」

沈村薫子の頬がかっと熱くなる。また――薫子、と呼ばれた。

自分の名前がこの人の口から出るだけで、どうしてこんなにも恥ずかしいのか。耳の奥までじりじり焼ける。

彼女は勢いよく顔を上げ、ひらめいたように背筋を伸ばした...

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