第8章
午前二時を回った頃、緒方智也が小笠原玲奈を連れて帰ってきた。
玄関をくぐるなり、小笠原玲奈は彼の首に腕を絡ませ、甘ったるい猫なで声を出す。
「ねえ智也、今夜は泊まっていってよぉ」
「あたし、智也が欲しい……」
彼女は唇を寄せようとしたが、緒方智也は顔を背けた。
私はソファに座り、小笠原玲奈の茶番劇を冷ややかな目で見つめていた。
緒方智也の視線が、私に向けられる。
小笠原玲奈はようやく私の存在に気づき、振り返って一瞥すると、挑発的な笑みを浮かべた。
「あら、沙耶さん。いらしたの? 知ってたら、もっと早く送ってもらったのに」
「今夜は花火が見られなかったから、智也が気を利かせて海までドライブに連れて行ってくれたのよ」
「ねえ沙耶さん、気にしないでね。悪いのは全部あたしなんだから、智也に怒らないであげて」
酒が入っていたせいで頭が少しふらついたが、私は立ち上がり、一直線に彼女の元へ歩み寄った。
開口一番、私は問いただす。
「お母さんの形見のお守り、どこへやったの」
小笠原玲奈は瞳を揺らしたが、笑みは崩さなかった。
「金庫に入ってた、あのゴミのこと?」
「整理してた時にうっかり破っちゃって。どうせ大した価値もないし、ついでに捨てちゃったわ」
瞬間、涙が溢れ出した。全身の血が凍りついたようで、唇が勝手に震える。
脳裏に浮かぶのは、母が息を引き取ったあの日のこと。母は私を強く抱きしめ、何度も涙を拭ってくれた。
怖くないよ、どこにも行かないから、と言って。
お地蔵様にお願いしてあるの、と言って。
『お守りがある限り、お母さんはずっとそばにいるよ』
私は手近なグラスを掴むと、小笠原玲奈めがけて投げつけた。グラスは床で砕け散り、飛び散った破片が彼女のふくらはぎを切り裂く。
彼女は悲鳴を上げて後ずさり、緒方智也の背後に隠れた。
泣きそうな声で訴える。
「痛いよぉ」
私は駆け寄って彼女の襟首を掴み上げ、裏返った声で叫んだ。
「どこに捨てたの! 一体どこに捨てたのよ!」
緒方智也が止めに入ろうとすると、私はとっさにその頬を思い切り張り飛ばし、怒号を浴びせた。
「まだ離婚もしてないのに、どうしてこの女を連れ込んだの? 何の権利があって私の物に触らせたのよ? どうして!」
「そんなにこの女と寝たかったの? 緒方智也、自分が気持ち悪いって思わないの!」
彼は少し乱暴に私を抱きすくめると、髪を撫でながら声を落とした。
「沙耶、落ち着け」
「俺も一緒に探すから。な?」
「泣くなよ、頼むから。お前が泣くとこ、見てられないんだ」
