第7章 価値がない

篠宮家の祖母は熱いお茶を手に、客間の貴妃椅子に腰掛けていたが、その視線は常に綾辻詩織を追っていた。

「彰人」その口調には、有無を言わせぬ厳粛さが含まれていた。

「詩織にどういう口の利き方をしているの?少しは優しくできないの?」

葛城彰人は傍らに立ち、顔を曇らせたまま、何も言わずにいた。

「お祖母様がお前に話しているんだぞ」篠宮家の祖父が彼を睨みつけ、低く厳しい声で言った。

「俺は……」葛城彰人が感情を抑え、口を開こうとしたその時、綾辻詩織がそっと遮った。

「私は大丈夫です」彼女の声は淡々としており、まるで篠宮家の祖母の気遣いに全く心を動かされていないかのようだった。

篠宮家の祖母はため息をつき、彼女の手をさらに強く握りしめた。

「詩織や、いつもそう意地を張らないで。何かあったら口に出して言うのよ。彰人はあなたの夫なのだから、あなたを守ってくれるはずよ」

葛城彰人は目を伏せ、心の底の苛立ちが極限まで増幅されていくのを感じた。

「少し話がある。詩織と二人で」彼は冷たく言い放つと、有無を言わさず綾辻詩織の手首を掴んだ。

綾辻詩織は抵抗せず、彼に引かれるまま外へと歩いていく。

葛城彰人の歩みは速く、綾辻詩織は小走りにならなければついていけないほどだった。

彼女の足取りが次第に遅くなり、手首に伝わる力に微かに眉をひそめた。

「何故そんなに遅い?」葛城彰人が振り返り、その視線は微かに震える彼女の手に注がれた。

彼は眉をひそめたが、それ以上は何も問わず、ただ無意識のうちに歩調を緩め、さらには彼女の手を離した。

綾辻詩織は俯き、目の中の皮肉な光を隠した。

『あら、私の気持ちを気遣うこともあるのね』彼女は心の中で冷笑し、歩みを進めて彼について行った。

遠くない場所で、篠宮家の祖母と祖父が並んで立ち、彼らを見送っていた。

「彰人もやっと詩織を思いやることが分かってきたのね」篠宮家の祖母は安堵したように微笑んだ。

「だといいがな」篠宮家の祖父は頷いたが、その目にはどこか複雑な色が浮かんでいた。

葛城彰人は綾辻詩織を旧家の客室の一つに連れて行った。

扉を開けると、室内の調度はシンプルだが、息が詰まるような圧迫感があった。

葛城彰人は扉を閉めると、振り返って彼女を直視した。その眼差しは冷ややかだ。「この数日、何をしていた?なぜ別荘に戻らなかった?」

綾辻詩織は淡々と彼を見つめ、その瞳は静かで波一つなかった。「葛城彰人、言っておくけど、私たちはもう離婚したの。別荘は私の家じゃない」

葛城彰人の顔色が瞬時に険しくなった。

「綾辻詩織、あまり図に乗らない方がいい」彼の声は低く、いくらかの怒気を帯びていた。「俺が何度も機会を与えてやると思うな。大人しく葛城夫人でいろ。これ以上騒ぎを起こすな」

「葛城夫人?」綾辻詩織は軽く笑い、その口調には皮肉が滲んでいた。「ごめんなさい、そんな称号には興味ないわ」

「興味ないだと?」葛城彰人の怒りは完全に火をつけられ、冷笑した。「興味がないなら、なぜあれほど躍起になって俺に嫁いだ?」

綾辻詩織は僅かに顔を上げ、静かに彼を見つめた。「なるほど、あなたは私がずっと葛城家の財産目当てだと思っていたのね?」

葛城彰人は何も言わなかったが、それは彼女の推測を認めているも同然だった。

彼女は俯いて笑い、その声にはどこか冷ややかさが宿っていた。「葛城彰人、あなたが一番落ちぶれていた時、誰からも馬鹿にされていた時、私は両親の遺産を全てあなたに差し出して支えたわ。私が何を企んでいたと思うの?」

葛城彰人の眼差しが複雑なものに変わり、何かを言おうとしたが、彼女に冷たく遮られた。

「でも、もう飽きたの」彼女は淡々と言った。まるでどうでもいいことを述べるかのように。

「飽きた?」葛城彰人はその言葉を低く繰り返し、声にはどこか危険な冷たさが含まれていた。

「綾辻詩織、お前は飽きたようには見えないがな」

彼は冷笑すると、猛然と一歩前に出て、彼女を壁際に追い詰めた。

「この旧家の部屋で、幾夜も俺に縋りついてきたお前が、今更飽きたと言うのか?」

彼は身をかがめて近づき、その吐息が彼女の耳元にかかる。声は低く、危険な響きを帯びていた。

葛城彰人の手がそっと持ち上がり、その指先が彼女の頬を滑った。

「綾辻詩織、お前は本当に俺を面白がらせる」

彼の声はどこか戯けるようで、彼女の耳元で囁いた。「飽きたと言うが、お前の目はそうじゃないと語っているぞ」

綾辻詩織は動かず、ただ静かで波立たない瞳を上げて彼を見ていた。

その眼差しに、葛城彰人は一瞬はっとした。

怒りも、感情の揺らぎもない。

あるのはただ、冷めた隔絶感。まるで冷たい壁のように、彼を外へと隔てている。

彼の心に、ふと苛立ちが込み上げてきた。

「気取ってんじゃねえよ」彼の声は低く嗄れ、指がゆっくりと彼女の首筋へと滑っていく。

しかし、彼がそれ以上動く前に、彼女が突然口を開いた。

「葛城彰人、触らないで」

彼女の声は相変わらず静かだったが、彼の動きをぴたりと止めた。

「あなたには何の興味もない」彼女は彼を直視し、その口調には何の起伏もなかった。

葛城彰人の呼吸が僅かに止まり、眼差しが次第に冷えていく。

彼は乱暴に手を離すと一歩下がり、口元に皮肉な笑みを浮かべた。「綾辻詩織、あまりいい気になるな」

彼はドアに向かって歩き出したが、その足取りはいつもより速かった。

ドアノブに手をかけた瞬間、彼は足を止め、振り返って冷たく言い放った。「お前を生かしておいてるのは、篠宮家の機嫌を取るためだ。駆け引きのつもりならやめておけ」

そう言うと、彼は振り返ることなく部屋を出て行った。

綾辻詩織はその場に立ち、彼が去っていくのを見送った。

彼女の手はゆっくりと握りしめられ、顔の上の冷淡さは次第に疲労へと変わっていった。

綾辻詩織はベッドの縁に腰掛け、俯いて自分の服を整えていた。

指がドレスの生地を滑ると、その繊細な手触りが、十指に隠れた痛みを呼び起こす。

彼女は動きを止め、呆然と自分の手を見つめた。白い手の甲には、細かな傷跡が無数に散らばっている。

それらは二年前の交通事故が残した記憶で、今も完全には消えていない。

目尻から、なぜか一筋の涙が流れた。

彼女は微かに驚き、頬に手を触れると、涙がすでにスカートの裾に滴り落ちていることに気づいた。

綾辻詩織は目を閉じると、胸の奥から鈍い痛みが込み上げてきた。

『きっと痛いだけ』彼女は自分に言い聞かせたが、胸に広がるこの抑えつけられた感情を無視することはできなかった。

彼女はゆっくりと手を伸ばし、首のネックレスに触れた。

それはシンプルな銀のネックレスで、ペンダントは小さいが、彼女はそれを掌に固く握りしめていた。

彼女は力強くそれを握り締め、まるで僅かな慰めでも探そうとするかのようだった。

ペンダントが開かれると、中には一枚の写真があった。

写真の中では、榊伊織が優しく微笑んでいる。その眉目の穏やかさは、時を超えて届くかのようだった。

綾辻詩織の涙は、堰を切ったように瞬時に溢れ出した。

彼女は唇を噛みしめたが、喉元の嗚咽を抑えることはできない。

『榊伊織……ごめんなさい』

彼女は心の中で何度も繰り返したが、声に出すことはできなかった。

涙で視界がぼやけ、指は力を入れたせいで一層痛みを増す。

綾辻詩織は自分の手を見下ろし、その痛みはまるで骨の髄から伝わってくるかのようだった。

彼女の瞳に後悔と自嘲が渦巻く。

『葛城彰人のためだなんて、本当に価値がなかった』

この瞬間、彼女は改めて、自分の献身がいかに滑稽であったかを痛感した。

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