第2章
何かに引っぱられるように、私の意識は絢紀から引き剥がされ、電話の向こうから聞こえる聞き慣れた声――渡辺昭へと向かった。
視界がぼやけ、歪み、いつの間にか私は、D市の混み合ったホテルのボールルームの後方に立っていた。これは祝勝会だ。あちこちにある選挙の看板からして、渡辺昭の予備選挙での勝利を祝うものだろう。
彼はそこにいた。ステージ上の演台の後ろに立ち、どこからどう見ても自信に満ちた政治家の姿で。紺色のスーツ、かつて私の胸をときめかせたあの笑顔。彼はスピーチの最中で、歓声を上げる群衆に身振りを交えていた。
「……そして、皆さんの継続的なご支援をいただければ、我々はC市に真の変革をもたらします。働く家庭のために、そして――」
若い側近が慌ててステージに上がり、彼の耳に何かを必死に囁いた。
私は渡辺昭の顔色が変わるのを、目の前で見ていた。頬から血の気が引き、自信に満ちた笑みがほんの一瞬、揺らいだ。彼は演台を強く握りしめ、指の関節が白くなった。 わかったんだ。私が死んだ、と。
だが、彼はそこに囚われていた。何百人もの人々が見つめ、カメラが回っている。渡辺昭は咳払いを一つしてスピーチを続けたが、私には聴衆には見えないものが見えた――彼の手に走る微かな震え、特定の言葉で詰まる声が。
「申し上げた通り、我々には犠牲を理解するリーダーが必要です。自分自身よりも他者を優先する……」
「やめて」と彼に言いたかった。
「今だけは、無理しなくていいのに」
だが、彼はそうしなければならなかった。これが彼の世界なのだ。カメラ、期待、絶え間ない演技。八年前と、まったく同じように。
ー
八年前。
記憶が波のように押し寄せてきた。私は日連山の吹雪の中、崖をラペリングで下りていた。眼下では、高価なスキーウェアを着た人影が狭い岩棚にしがみついており、その足はありえない角度に曲がっていた。
「しっかり掴まってろ!」
風に負けないよう、私は叫んだ。
「今、助けに行く!」
それが、私が初めて目にした渡辺昭の姿だった。風に吹かれ、恐怖におびえ、完全に場違いな様子で。誰もが知る洗練された政治家ではなく、吹雪の中でコースを外れるという馬鹿げたミスを犯した、ただの一人の男。
彼に応急処置を施してヘリコプターまで引き上げ、総合病院へのフライト中も隣に座っていた。彼はその間ずっと意識があり、まるで私が守護天使か何かであるかのように見つめていた。
「ありがとう」
着陸すると、彼は囁いた。
「命を救ってもらった」
三日後、彼は花束を持って病院に現れた。私たちは何時間も話した――政治以外の、あらゆることについて。
それが始まりだった。人目につかない場所での秘密のデート、静かなディナー、誰にも気づかれない山奥への長いドライブ。
「愛してる、榎本栞」
ある夜、D市にある彼のアパートで私を抱きしめながら、彼は言った。
「結婚したい。君と人生を築きたいんだ」
私は彼を信じた。我ながら馬鹿なことに、その言葉のすべてを信じ切っていた。
妊娠がわかったとき、怖かったけれど、同時にわくわくもした。渡辺昭は家族が欲しいと、成功の裏で自分の人生がいかに空虚に感じるかと話していた。彼に打ち明けるところを、彼の顔がぱっと輝くところを想像した……。
その代わりに、私のアパートに現れたのは白石航だった。
「榎本さん、少しお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
白石航は、今とまったく同じ姿をしていた。完璧に仕立てられたスーツ、冷たく計算高い目。
「渡辺議員には輝かしい未来が待っています。選挙への出馬も検討されており、いずれはさらにその上も狙えるでしょう。しかし、その未来は、ある種の……イメージを維持することにかかっています」
話がどこへ向かっているのかはわかっていた。それでも、私は彼に最後まで言わせることにした。
「労働者階級のヘリパイロットとの間にできた隠し子?それではC市の有権者に良い印象を与えません。ご理解いただけますね」
彼がコーヒーテーブル越しに滑らせてきた契約書は単純なものだった。姿を消し、沈黙を守り、二度と渡辺昭に連絡しないこと。その見返りに、どこか別の場所で再出発できるだけの金を受け取れる。
「断ったら?」
私は尋ねた。
白石航は、あの爬虫類のような笑みを浮かべた。
「それなら、渡辺議員の無謀な行動を世間に知らしめるまでです。飲酒、大学時代のギャンブルの借金、そして彼がなぜ本当に一人であの山にいたのか、その理由をね。彼のキャリアは終わるでしょう」
だから私はサインした。そして、胸が張り裂けるような思いで、渡辺昭に手紙を書いた。
私がついた、人生最大の嘘。
ボールルームに戻ると、渡辺昭はスピーチを締めくくっていたが、その全身から緊張がにじみ出ているのが見て取れた。ステージを降りた瞬間、彼は出口に向かって歩き出した。
私は彼の後を追い、プライベートエレベーターに乗り、彼のスイートルームであろう部屋まで上がった。
渡辺昭はウィスキーをグラスに注ぎ、肘掛け椅子に沈み込んだ。サイドテーブルには、見覚えのある写真が額に入れて飾られていた。ハイキングコースでの私たち二人の写真だ。私が彼の首に腕を回し、二人とも笑っている。
彼は持っていたのだ。八年も経つのに、彼は持っていた。
「榎本栞、君を愛さなくなったことなど一度もなかった」
彼は誰もいない部屋に向かって、途切れがちな声で言った。
「俺たちのために戦うべきだった。君を追いかけるべきだったんだ」
私の心は、またしても粉々に砕け散った。
あなたは知らないのよ、と彼に言いたかった。
絢紀のことも。白石航の脅迫のことも。
彼の悲しみを遮るように、ドアがノックされた。白石航は許可を待たずに入ってきた。
「渡辺昭さん、お辛いところとは存じますが、戦略について話さなければなりません。メディアはすでに嗅ぎ回っています――」
「出ていけ」
渡辺昭は静かに言った。
「……今、何と?」
「出ていけと言ったんだ、白石航。俺は大切な人を失ったばかりだというのに、君はメディア戦略の心配か?」
白石航の表情は変わらなかった。
「彼女は過去の人間です。だからこそ、我々が話の筋道をコントロールする必要があるのです。記者たちにあなたの個人的な経歴を掘り返させるわけにはいきません」
渡辺昭は椅子が床をこする音を立てるほど素早く立ち上がった。
「彼女は過去の女なんかじゃない。俺のすべてだったんだ」
「彼女は、あなたのキャリアにとって足枷でした。そして、もし誰かがあなたが今夜亡くなったパイロットと関係があったことを発見すれば――」
「そしたらどうなる?俺のキャリアが終わる?いいさ。そうなるべきなのかもしれない」
白石航の顔が、かろうじて抑えられた怒りでこわばるのを私は見た。この男が、私の娘が生まれる前から、彼女の父親を奪ったのだ。
もしその瞬間に私に肉体があったなら、彼を引き裂いていただろう。
「よくお考えなさい。あなたは、死んだ女一人のためにすべてを投げ打つには、あまりにも努力を重ねてこられた」
その言葉は物理的な打撃のように渡辺昭を打ちのめしたが、白石航はまだ終わらなかった。
「メディアの注目は数日で収まるでしょう。しかし、いかなる……厄介事も……表面化させるわけにはいきません。私の言いたいことはお分かりですね?」
白石航が去った後、渡辺昭は椅子に崩れ落ち、三十五歳という年齢よりも老けて見えた。
だが、彼の苦悶に満ちた囁きはほとんど私の耳には入らなかった。恐ろしい事実が、私に重くのしかかってきたからだ。
渡辺昭は絢紀の存在をまったく知らない。私がいない今、八歳の娘は里親制度という大きな流れに飲み込まれようとしていた。
その考えが私を渡辺昭のスイートルームから引き剥がし、山岳救助基地へと引き戻した。
絢紀。絢紀のところへ戻らなければ。
どうすれば彼にわかってもらえる?彼に、助けを必要としている娘がいることを、どうすれば伝えられる?







