第6話
あの頃、晴美は法学の指導教官のもとで最も優秀な教え子だった。学年トップの座を譲らず、数え切れないほどの賞を手にしてきた。
卒業の際、教官は進学を続けるよう何度も説得し、この入職の招待状を直接彼女の手に押し付けたのだ。
「私の教え子が立ち上げた法律事務所だ。君なら入ってすぐに中心メンバーになれる。君の能力があれば、数年でシニアパートナーになれるはずだ」
だが、彼女はどうしたか。
和也のために教官の誘いを断り、藤原グループに飛び込んで、いわゆる“法務顧問”になったのだ。
――馬鹿みたい。
これまで藤原グループでやらされてきた仕事を思い返すと、晴美は自嘲の笑みを漏らさずにはいられなかった。
名目上は部長でも、実際は雑用から汚れ仕事まで何でもやらされた。会社のインターンでさえ、平然と彼女に仕事を押し付けてくる始末。それでも、確かな専門知識だけを武器に、どうにか社内で自分の居場所を築き上げてきたのだ。
晴美は深呼吸をし、招待状に書かれた見覚えのある名前を見つめた。――景墨法律事務所。
創設者の九条司は、同じ大学の先輩だ。数年が経ち、この事務所はすでに業界を席巻し、司自身も無敗の伝説を打ち立てている。
指先で封筒を撫で、晴美は結局それをしまい込んだ。
長年連絡を取っていないのに、突然押しかけて迷惑をかけたくはない。けれど、仕事は探さなければならない。今の彼女には、早急に収入源が必要だった。
パソコンを開き、法律相談の受任プラットフォームにログインする。すぐに、ある小さな案件が目に留まった。
依頼人はナイトクラブで働くシングルマザーで、子どもの親権を取り戻したいという内容だった。
職場が特殊なため、面倒を避けて尻込みする弁護士は多い。だが、晴美にとっては関係なかった。働く環境が世間的にどうであれ、母親が子どもを愛する気持ちに変わりはない。
彼女は眉間を揉み、迅速に初期の訴訟方針をまとめて送信した。
夜明け近くになって、晴美はようやくあくびを噛み殺しながらベッドに倒れ込んだ。
……
翌朝。
晴美はけたたましい着信音に叩き起こされた。
朦朧としながら通話ボタンを押す。
「晴美!あんた、ずいぶんといい度胸してるじゃない!外泊なんて、一体何を考えてるの!」
雪枝のヒステリックな怒鳴り声が鼓膜を裂いた。
「さっさと帰ってきてご飯を作りなさい!拓海は胃も頭も痛いのよ!もしあの子に何かあったら、ただじゃおかないからね!」
声が大きすぎて、耳がキーンと痛む。
晴美はスマホを少し遠ざけ、その瞳は一瞬で氷のように冷たく冴え渡った。もう離婚するというのに、どうしてこんな理不尽な扱いを受け続けなければならないのか。
言い返そうとした矢先、電話の向こうから葵の甘ったるい声が聞こえてきた。
「おばさま、怒らないでください。きっと晴美さんも気分が悪いんですよ。昨日の慈善晩餐会で、あんな恥をかいたんですから……」
「あの子が気分悪い?そんな資格どこにあるのよ!」雪枝はさらに逆上した。「ろくでもない育ちのくせに、あんな場所で恥を晒して!いいこと、晴美。三十分以内に今すぐ戻ってきなさい……」
延々と続く罵倒を聞きながら、晴美は無表情のまま、迷わず通話を切った。
次の瞬間、再び狂ったように着信が入る。
晴美は見もしないで番号をブロックし、スマホをマナーモードにすると、布団を頭まで被って再び目を閉じた。
……
一方、藤原家の老宅。
雪枝はツーツーという音が鳴るスマホを握りしめ、怒りで胸を激しく上下させていた。
「あの女、よくも私の電話を切ったわね!」
葵は伏し目がちに口角をそっと上げながら、いっそう聞き分けのいい声を作った。
「おばさま、晴美さん、きっと本当に怒ってて……」
「怒る資格なんてねーよ!母さん、胃が痛い……」
ソファに寝転がった拓海がお腹を押さえて文句を言う。
「絶対甘やかすなよ!家出するわ、兄貴の電話も無視するわで、調子に乗りすぎだ!」
雪枝は怒髪天を突く勢いで叫んだ。
「今すぐ和也に電話するわ!あの女のカードを全部止めさせて、経済を断ってやる!意地を張りたいなら張らせておきなさい。藤原家から離れて、どうやって生きていくのか見ものだわ!」
雪枝の目には、晴美が今持っているものはすべて藤原家が恵んでやったものだと映っている。経済の命綱さえ握ってしまえば、あの女は犬のように這いつくばって許しを請いに来るに決まっている。
……
藤原グループ最上階、会議室。
室内は凍りつき、誰も息をすることすらできない。
和也は上座に座り、人を寄せ付けない冷気を放っていた。先ほど母親からの電話を切ったばかりで、胸の奥では怒りが狂ったように渦巻いている。
電話を切る?外泊?家出だと?
――いいだろう。ずいぶんといい度胸だ。
傍らに立つ秘書が、低気圧に耐えながら声を潜めて報告した。
「社長、法務部より……雪見部長が本日出勤していないと」
欠勤までしたというのか。
和也の顔色は完全に黒く沈み、冷ややかな視線を秘書に向けた。
「彼女名義の口座とカード、すべて止めろ」
秘書は心臓を跳ねさせ、慌てて頷き退室した。
社長室に戻り、指示を受けた助手は呆然とした。
「停止ですか……?奥様の収入源って、ご本人の給与口座だけですが。それも止めますか?」
秘書は目を丸くし、信じられないという顔をした。
「まさか。藤原家に嫁いで五年だぞ。手元に藤原家の家族カードが一枚もないとでも言うのか?」
いくら冷遇されている政略結婚だとしても、毎月の小遣いや衣装代くらいはあるはずだろう。
助手の確信に満ちた表情を見て、秘書はすぐに財務システムを開いて確認した。
数秒後、彼は息を呑み、驚愕に顔を引きつらせた。
本当だった。
堂々たる藤原家の若奥様でありながら、その身に藤原家のカードを一枚も持っていなかったのだ!この五年間、彼女は法務部で徹夜と残業を重ねて稼いだ給料だけで生活し、藤原家の金には一銭たりとも手をつけていなかった。
「おかしいな……」秘書はふと何かを思い出した。「昔、社長と奥様が結婚された時、私が自ら限度額なしのブラックカードを作って奥様にお渡ししたはずだが!」
助手は冷笑を漏らし、声を潜めて言った。
「忘れたんですか?あの時、カードは作りましたけど、結局奥様の手には渡らなかったんですよ。その日のうちに、拓海様が奪って自分のものにしてしまったんですから!」
秘書は驚きで言葉を失った。
「そ……それ、社長はご存じなのか?」
助手は首を振った。
当然、知るはずもない。
その頃、和也は会議室に座り、部下の戦々恐々とした報告を聞きながら、頭の中で晴美が追い詰められ、自ら泣きついて許しを請う姿を思い描いていた。
カードを止め、すべての資金源を断つ。
彼は冷酷に口角を上げた。
――三日も経たずに、大人しく頭を下げるだろう。
