第7章

 私はおとなしく、森原覚の車に乗り込んだ。

 ハンドルを握る森原覚は、やっぱり絵になる。

 もし私の心の中に、あのジムのトレーナーの居場所がもうなかったら――きっと私は、とっくに森原覚の顔に惹かれていた。

 こういう男は、どこにいたって目を引く。

 ただそこにいるだけで、勝手に周りが明るくなるみたいな男だ。

 助手席でシートベルトを整えながら、私はさりげなく宮沢詩音のことを探り始めた。

「覚君。さっきの宮沢さん、雰囲気よかったよね。なんだか、すごく学がありそう」

 森原覚は一度うなずいて、それから少しだけ笑みを作った。

「学歴のことまでは知らないな。使用人の採用は、ずっと白原さんに任せてる」

「ただ、前に白原さんが言ってた。お婆さんのそばで専属で仕えてる人たちは、みんな大卒だって」

 私はわざと、長く引っ張るように相槌を打つ。

「へえ……」

 まるで本当に何も知らないみたいな口ぶり。

 でも、そういう顔ができる男だということも、私はちゃんとわかっている。

 私はさらに聞いた。

「宮沢さんって、森原家で働き始めて長いの?」

 森原覚は首を横に振る。

「詳しくは知らない。まあ、かなり長いんじゃないか」

「お婆さん、腰が悪いだろ。しょっちゅう鍼を打ってもらってるみたいでさ。腕は悪くない」

 その言い方には、ほんの少しだけれど、宮沢詩音を認める響きが混じっていた。

 私はもう一度「へえ」と返しながら、わざと表情を曇らせる。

 ほんの少し、拗ねたみたいに。嫉妬している女の子みたいに。

 ちょうどそのとき、森原覚がこちらを見た。

「どうした? さっきまで普通に話してたのに、急に不機嫌になったな」

 私は唇を尖らせて、シフトにかけていた彼の腕にそっと絡みついた。

「覚君……私、やきもち焼いちゃった」

 甘える声で、少しだけ体を寄せる。

「覚君が、ほかの女の人と何かあるの、やだもん」

 こうして頬をふくらませると、自分でも可愛く見えるのはわかっている。

 たいていの男は、この程度の拗ね方で簡単に揺れる。

 案の定、森原覚はふっと笑った。

 その笑い方には、どこか甘やかすような響きがある。

「まったく……お前はほんと、馬鹿だな」

 ――それで十分だった。

 その一言だけで、私は確信する。

 森原覚の中に、まだちゃんと私の場所は残っている。

 たとえ今、宮沢詩音に少し気を取られていたとしても、構わない。

 私がその気になれば、最後に森原覚を手に入れるのは私だ。

 たぶん私の機嫌を直そうとしたのだろう。

 森原覚は話題を変えるように、前を見たまま言った。

「そういえば、土産があるって言ってただろ。俺には何を持ってきたんだ?」

 その言葉に、私はわざと頬を赤くした。

 ――まだ秘密。

 今ここで教えるわけにはいかない。

 私は少し顎を上げて、意味ありげに笑う。

「今は内緒。もう少ししたら、わかるよ」

 その顔が面白かったのか、森原覚はくすっと笑った。

 やがて車は、私の別荘の前に滑り込んだ。

 この家は、海外へ行く前に買っておいたものだ。

 留守の間も定期的に清掃を頼んでいたから、室内は今でも新しくて、どこもきれいなまま保たれている。

 森原覚に送られて中へ入ると、私は靴を脱ぎ捨て、裸足のままぺたぺたと小さなキッチンへ走った。

 冷蔵庫を開けて、あらかじめ冷やしておいたフルーツジュースを取り出し、そのまま彼の前へ持っていく。

 これは全部、森原覚が昔好きだった味。

 今夜の計画をきっちり成功させるために、掃除を頼んでいる人に前もって用意しておいてもらったのだ。

「覚君、これ飲んで待ってて。座って、ちょっと休んでてね。すぐ戻るから」

 そう言ってから、私は頬を染めたまま森原覚を一目見る。

 そしてスーツケースを引いて、足早に寝室へ向かった。

 けれど、彼がそのまま帰ってしまったら困る。

 扉を閉める直前、私はもう一度だけ振り返った。

「覚君。もうすぐ、私からのプレゼント見せてあげるね」

 そう囁いて、私は恥じらうように寝室のドアを閉めた。

 部屋に戻るなり、私は身につけていた服を手早く脱ぎ捨て、そのまま浴室へ向かう。

 湯を張って、頭の先からつま先まで、丁寧に洗い上げた。

 私はずっと、自分を「清純な女」として見せてきた。

 その印象を守るため、帰国前には一流の医師に頼んで、秘密の修復手術まで済ませてある。

 名家が女に求めるものなんて、結局はそういうことだ。

 森原奥様の座を手に入れたいなら、このくらいの手間は惜しめない。

 そして今夜、森原覚に贈るプレゼントは――私自身。

 彼の私への気持ちを思えば、きっと抗えない。

 最後には、必ず私に落ちる。

 風呂を上がると、髪は完全には乾かさなかった。

 三分ほど乾かして、毛先には水滴をいくつか残す。落ちそうで落ちない、その湿り気が色っぽさになる。

 髪を整えたあと、海外で買った香水を手に取る。

 首筋に、胸元に、太腿の内側に――ほんの少しずつ吹きかけた。

 この香りは、甘くて危うい。

 まるで男の理性を鈍らせるためにあるみたいな匂いだ。

 森原覚がひとたび私に触れたら、もう離したくなくなる。

 私は本気でそう思っていた。

 それからスーツケースを開け、中からひときわ大胆な下着を取り出す。

 布地の少ないブラとショーツ。胸も腰も、いちばんきれいに見える形のものだ。

 私は顔立ちも悪くない。

 体にも自信がある。ここまで整えた私を前にして、心を動かさない男なんていない。

 身支度を終えると、私は深く息を吸って気持ちを整えた。

 男と寝たことがないわけじゃない。

 それなのに、今夜の私は妙に緊張している。

 しばらくして、ようやく寝室のドアを開けた。

 髪に指を通しながら、足元まで意識したゆっくりした歩き方で、私はリビングへ出ていく。

 森原覚の前に立った、その瞬間。

 彼の目が、ぴたりと私に留まった。

 可愛く笑う私も。

 清楚なふりをした私も。

 機嫌を損ねて拗ねる私も。

 彼は今までいろいろ見てきたはずだ。

 でも――こんなふうに熱を帯びた私を見るのは、たぶん初めてだった。

 私はゆっくり彼のそばまで歩み寄ると、ほとんど裸に近い体をそのまま彼の胸へ押しつけた。

 持ち上がった胸が、わざとらしく彼の目の前で揺れる。

 私は舌先でそっと唇を湿らせ、顔を持ち上げて彼の口元へ近づいた。

「覚君。これが、私のプレゼント」

 甘く囁いてから、耳元へふっと熱い息を吹きかける。

「……好き?」

 その瞬間、森原覚の腰がぴくりと強張った。

 私は柔らかい手をそっと伸ばし、彼の下腹に触れる。

 ――わかる。

 もう、反応してる。

 持ち上がったスラックスの前を見て、私は胸の奥で確信した。

 今夜、必ず落とせる。

 私の目的は、ただ彼と寝ることじゃない。

 欲しいのは、森原奥様の座だ。

 私はさらに一歩、距離を詰める。

 豊かな胸を、これでもかと彼に押しつけた――。

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