第5章

「足首はまだ痛むか?」

碧海庭園を後にして車を走らせていると、健一の声が沈黙を破った。耳の奥では、まだクリスタルが砕け散る音と、青村翔太の怒声が鳴り響いていた。

「少しだけ」助手席で身じろぎし、怪我をした方の足に体重をかけてみる。途端に、鋭い痛みが脚を駆け上がった。「今夜は、ありがとう」

彼はハンドルを握る指の関節が白くなるほど力を込めた。「礼を言うな。私たちはもうすぐ結婚するんだ」

「もうすぐ結婚するんだ」その言葉は、私たちの間に重く沈み込み、まるで引き金が引かれるのを待つ銃のような緊張感を生み出していた。これは元々、ビジネスのための取引だったはずだ。でも、さっきのあれは……演技なんかじゃなかった。

彼の横顔を盗み見る。顎の筋肉はまだぴくぴくと引き攣り、戦いが終わったというのに肩はこわばったままだ。今夜、何かが変わってしまった。そして、私たちは二人とも、それを一体どうすればいいのか分からなかった。

「健一の秘書の方が言っていたことだけど――」

「その話は今じゃなくていい」彼の声には、今まで聞いたことのない刺々しさがあった。

私のマンションの前に車が停まる。私が大丈夫だと言い張っても、健一は部屋まで送ると言って聞かなかった。エレベーターの中は息が詰まるようだった――狭い空間に充満する、彼のレザーとシダーウッドが混じったコロンの香りが、私を狂わせそうになる。

「ここからは一人で大丈夫だから」玄関のドアの前でそう言ったけれど、ひどく手が震えて、鍵を鍵穴に差し込むことができない。

彼は私の手からそっと鍵を受け取った。「私がやる」

カチャリとドアが開き、暗い玄関に足を踏み入れて、壁の照明スイッチに手を伸ばす。だが、まさにその瞬間、この役立たずの足首が言うことを聞かなくなった。

前によろめいたけれど、床に叩きつけられる寸前で、力強い腕が私を捕らえた。健一は私をぐっと胸に引き寄せ、その腕が腰に回される。

私たちは暗闇の中で凍りついたまま立ち尽くした。彼の胸に背中を押し付けられ、その心臓の鼓動が肩甲骨に直接響いてくる。

「健一……」私は囁いた。

彼の吐息が耳元を温める。速い彼の脈拍の一つ一つが感じ取れた。

「心臓、すごく速い」私はそう呟いた。

「ああ」いつもより低く、掠れた声だった。「すまない、抑えられないんだ」

彼は片手を私の腰に回したまま、もう一方の手で照明のスイッチを探し当てた。明かりがついても、私たちはどちらも動かなかった。彼の体温と、コロンの香りが伝わってくる。私の心臓も、彼に聞こえているに違いないと思うほど速く脈打っていた。

やがて私は彼の腕から抜け出し、びっこを引いてリビングへ向かうと、顔をしかめながらソファに身を沈めた。健一も後からついてきて、私の向かいに腰を下ろす。顎の緊張が見て取れるほど、近い距離だった。

「私に、怒っているの?」抑える間もなく、そんな質問が口から滑り出た。

彼は私の向かいに座ったまま、黒髪をかき上げた。「理恵……君は青村翔太に会って、誤解を解きたいと言ったな」

「それで、私が――」私は言葉を止めた。彼の顔に一瞬よぎった痛みの色を見て。

「あいつのところに戻るのかと思った」彼は簡潔に言った。「よりを戻したいのかと」

「健一、私はただあのお金を返して、完全に縁を切りたかっただけで……」足首の痛みを無視して、私は身を乗り出した。「彼とよりを戻すつもりなんて、一度もなかった」

彼の肩から力が抜け、その目に安堵の色が浮かぶのが見えた。「そうか……君たちがよりを戻す可能性は、もうないんだな。絶対に」

その「絶対に」という言い方に、心臓が跳ねた。彼の声は独占欲に満ちていて、有無を言わさぬ響きがあった。そしてそれが、不覚にも私をひどく興奮させた。

「どういう意味?」 気づけば彼に手を伸ばし、そのシャツを掴んでいた。「本当は何が言いたいの?」

健一はしばらく私を見つめていた。その視線が一度私の唇に落ちてから、また顔に戻ってくる。見つめられて、息をするのも苦しい。

「愛している」

その言葉は、とんでもない衝撃で私を打ちのめした。頭の中が真っ白になる。

「え?」

「愛していると言ったんだ、理恵」

私は彼を見つめたまま、聞いた言葉を必死に理解しようとした。松山健一――あの、いつも冷静で、何事にも慎重な男が――私を愛していると、そう言ったのだ。

「でも、あなたはいつも冷静で、自分を完璧にコントロールしてて……」

「分かっている」彼の声は落ち着いていたが、その瞳には今まで見たこともない脆さが宿っていた。「普段なら、全てをコントロールできている。だが、これは……君は……何もかもが計画外だったんだ」

私が何かを言う前に、青村翔太からの着信音が鳴り響いた。その音は、完璧にこの場の空気を台無しにした。

画面を一瞥してから、健一を見る。「無視した方がいいわよね」

「出ろ」彼の声がまた冷たくなった。「あいつが何を言ってくるか、聞いてやろう」

私は渋々スピーカーボタンを押した。

「理恵!」もつれた舌で、怒りに満ちた青村翔太の声が部屋に響き渡った。「何か勝ったとでも思ってんのか?金持ちの彼氏ができたからって、俺より上になったつもりかよ?」

「青村さん、もう終わったの。放っておいて」

「お前が本当はどんな女か教えてやろうか?」翔太の声が悪意に満ちたものに変わる。「上に這い上がるためなら何でもする女だ。最初は俺で、今度はそいつか。そいつと結婚するために、一体どんな手を使ったんだ? お前みたいな女はな、そういう手口で――」

怒りが腹の底からこみ上げてきた。青村翔太の声も、その非難も、今になっても私を貶めようとするその根性も、もううんざりだった。

健一を見ると、彼の目にも翔太の毒のある言葉を聞いて怒りが宿っているのが分かった。

もう知らない。青村翔太にこれ以上、私の人生をコントロールされてたまるか。

私は立ち上がって、健一にキスをした。

それは純粋な反抗心から始まった。青村翔太を黙らせ、彼がどの程度の存在なのかを思い知らせるための行為。けれど、私の唇が健一のそれに触れた瞬間、全てが変わった。彼はすぐに応え、両手で私の顔を包み込むと、膝が砕けそうになるほどの激しさでキスを返してきた。

スピーカーからは青村翔太が喚き続ける声が聞こえていた。

「健一」彼の唇に唇を寄せたまま、私は囁いた。「まだ電話、繋がってる」

「聞かせておけ」ざらついた声で言い、その手が私の髪の中に滑り込む。「あいつが何を失ったのか、きっちり聞かせてやるんだ」

彼は再び、今度はもっと深くキスをしてきた。私たちの間の熱がどんどん高まっていくのが分かる。唇が離れた時、二人とも激しく息をしていたが、健一は私から視線を外さなかった。

「言え」低く、命令するような声だった。「君が誰のものか、あいつに教えろ」

心臓が激しく脈打ち、まともに考えることもできない。「私は、あなたのものよ」青村翔太に聞こえるよう、はっきりとそう言った。

健一の手が、私の髪を強く掴んだ。「もう一度言え」

「私はあなたのもの、健一」息も絶え絶えに、懇願するように言葉が漏れた。

スピーカーから青村翔太が罵声を張り上げる声が爆発したが、健一はただ笑みを浮かべた――暗く、満足げなその笑みに、腹の底がじんと熱くなる。

「その通りだ」彼は囁き、私たちの体が密着するまで私を引き寄せた。「君はもう、私のものだ」

彼は手を伸ばして通話を終了させ、青村翔太の怒鳴り声を途中で断ち切った。そして、彼の全ての意識が再び私に向けられ、その手は私の腰へと移った。

「さあ」欲望に掠れた声で彼は言った。「ようやく、さっきの続きができるな」

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