第2章 『孤独な王子』
今でも、まだ少し信じられない。
神谷悠――学校一の人気者である彼が、まさかあの謎の『孤独な王子』だったなんて。
私はベッドに横になり、天井を見つめながら、さっきの屋上での一幕を頭の中で何度も再生していた。彼が『願い屋』と口にした時のあの当たり前のような表情は、まるで全てを知っていたかのようだった。
待って。
もし彼が本当に『孤独な王子』なら、じゃあ……。
私は勢いよく身を起こし、スマホを取り出してアプリのユーザー登録記録を確認した。
彼は、私がこのアプリを開発し終えた直後の、最初のユーザーの一人だった。
一年前。
あの、私が最も思い出したくない日々。
目を閉じると、記憶が潮のように押し寄せてくる。
◇
一年前のあの午後、私はスーツケースを引きずって、この名門校の門をくぐった。
学校で唯一の特待生である私に、周囲から様々な視線が突き刺さるのを感じた――好奇の、軽蔑の、そして同情の。
私は俯き、息が詰まるような視線から逃れる一心で、足早に寮へと向かった。
しかし、物事は思ったほど順調には進まなかった。
寮の前で、私は数人の女子に呼び止められた。
「あら、この子が例の特待生でしょ?」
ウェーブのかかった髪の女子が、私を上から下まで値踏みするように見つめる。
「成績はすごくいいんですってね~」
「そうそう、でも着てる服、すっごく安っぽくない?」
もう一人の女子が口元を隠してクスクス笑う。
「あんな安物ブランド、私たち見向きもしないのに」
私はスーツケースのハンドルを握りしめ、必死に平静を保とうとした。
「通してください」
私は小声で言った。
「あら? 意外と強気じゃない」
ウェーブ髪の女子が私の前に立ちはだかる。
「でも特待生なら、礼儀くらい弁えてるべきじゃない? 先輩に会って挨拶もできないわけ?」
私が深く息を吸い、口を開こうとしたその時、遠くから見慣れた人影が歩いてくるのが見えた。
金色の髪、すらりとした長身、整った顔立ち――神谷悠。そこら中がお金持ちの子息ばかりのこの学校でも、彼は最も輝いている存在だった。
私は無意識に彼に視線を送り、心に一筋の希望を抱いた。彼が一言口を挟んでくれれば、この女子たちの幼稚ないじめも止まるかもしれない。
しかし神谷悠は、私たちを淡々と一瞥しただけで、何事もなかったかのように通り過ぎていった。まるで何も見えていないかのように。
その瞬間、私は骨身に徹すほどの冷淡さというものを感じた。
「見た? 神谷君ですら、あんたみたいな相手はしないのよ」
ウェーブ髪の女子が得意げに笑う。
「貧乏人は貧乏人らしく、私たちの輪に入ろうなんて高望みしないことね」
私は唇を噛み締め、無言で彼女たちを押し退け、スーツケースを引きずって寮に入った。
その夜、私は狭い一人用の寮室に座り、窓の外で生徒たちが三々五々楽しそうに談笑しているのを眺めながら、ふと一つの考えを思いついた。
この輪に溶け込めないのなら、いっそこれを利用してやればいいじゃないか。
これらのお金持ちの子どもたちには、何一つ不自由はない。ただ一つ欠けているものがあるとすれば――それは、自分が直接手を下すには『都合の悪い』ことをやってくれる人間だ。
私はパソコンを開き、学内懸賞プラットフォームの雛形を構想し始めた。
『願い屋』の最初の機能はごく単純なものだった。匿名で依頼を投稿し、他の生徒がそれを受注して達成すれば、相応の報酬が手に入る。
初めのうち、依頼のほとんどはごく普通のものだった。お弁当の代理購入、資料のコピー、ノートを借りる、などなど。しかしユーザーが増えるにつれて、依頼の種類もどんどん豊富になっていった。
宿題の代筆、授業の代理出席、果ては行きたくない集まりへの身代わり参加――金を払う者がいれば、どんなことでもやる者が現れた。
そして『孤独な王子』は、最初の登録ユーザーだった。
彼が最初に投稿した依頼は、とあるクラスメイトが今日の昼食に何を食べたかとか、とある女子が髪型を変えたかどうかとか、そういう簡単な確認作業だった。
依頼は楽で、報酬も気前が良かったので、私はほとんど毎回、内緒で自分で引き受けていた。
次第に、彼はもっと面白い依頼を投稿するようになった。
『バスケ部の部活の写真をこっそり撮ってきてほしい』
『今日の午後、テニス部の練習が通常通り行われるか確認してほしい』
『春野年嘉さんがどんな服が好きかを教えてほしい』
待って! 春野年嘉?
この依頼を見た時、私はしばらく固まってしまった。彼が調査を依頼しているのは、なんと私自身だったのだ。
それでも私は依頼をこなし、返信にこう書いた。
『制服が一番です』
報酬は、いつも通り時間通りに振り込まれた。
思い返せば、もっと早くに気づくべきだったのだ。
『孤独な王子』の依頼の多くは私に関連するもので、しかも彼は私の日常生活を非常によく把握しているようだった。
けれど当時の私は金儲けに夢中で、深く考えることなどなかった。
今夜、神谷悠が『願い屋』という言葉を口にした時、全てが突如として鮮明になった。
彼は最初から、私がアプリの開発者だと知っていたのだ。
彼がそういった奇妙な依頼を出していたのは、本当にその情報が必要だったからではなく、ただ……。
突然スマホが鳴り、私を回想から現実へと引き戻した。
新しい依頼の通知。
アプリを開くと、『孤独な王子』がまた新たな依頼を投稿していた。
『明日の午後二時、学校のテニスコートに偶然現れること。テニスボールが当たったフリをして、僕が心配する口実を作ってほしい。報酬:五万円。注意:自然に演じること』
私はこの依頼を見て、複雑な気持ちになった。
今や神谷悠が『孤独な王子』だと知ってしまった以上、この依頼の性質は全く違ってくる。
彼は私に、彼が仕組んだ芝居に付き合えと言っているのだ。彼が私を心配している、という芝居に。
でも、どうして?
五万円の報酬は依然として魅力的だが、今の私はもう、以前のように単なる金儲けの機会として捉えることはできなかった。
私は長いこと迷った末、最終的に『依頼を受諾』をタップした。
お金のためだけじゃない。好奇心もあった。
神谷悠が一体何を企んでいるのか、知りたかったのだ。
翌日の午後、私は約束の時間通りにテニスコートへやってきた。
学校のテニスコートは体育館の裏にあり、普段は人も少なく、比較的静かな場所だ。私はわざと自然に見える場所を選び、スマホをいじっているフリをした。
まもなく、神谷悠が現れた。
彼はスポーツウェアに着替え、テニスラケットを手にしている。見たところ、本当に練習に来たようだ。しかし、彼が私を見つけた時、その目に浮かんだ一瞬の笑みが彼を裏切っていた。
彼はサーブの練習を始めた。そのフォームは標準的で優雅だ。テニスボールは彼のコントロールの下、正確に反対側のネットへと飛んでいく。
そして、彼が依頼内容を忘れてしまったのかと思ったちょうどその時、一球のボールが突然私の方向へ飛んできた。
私は脚本通り、とっさに当たったような反応をし、大げさにのけぞってみせた。
「あっ!」
「すみません! 大丈夫ですか?」
神谷悠がすぐに駆け寄ってくる。その顔には心配の色が満ちていた。
「ボール、当たりましたか?」
「いえ、大丈夫です。当たってません」
私は頭をさすりながら、驚いた様子を演じてみせる。
「ただ、びっくりしただけです」
「本当にごめんなさい」
彼は腰をかがめ、私の足元に転がったボールを拾い上げる。
「医務室で診てもらいますか?」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
私たちはそのまま向かい合って立っていた。彼の心配そうな眼差しに、私は少し居心地の悪さを感じる。これがただの演技だと分かっているのに、彼の演技はあまりに巧みで、本気で心配されているのかと錯覚しそうになるほどだった。
「あの……」
彼は少し躊躇うように言った。
「お詫びに、何か飲み物でもご馳走させてくれませんか?」
これは依頼の要求にはなかった。
私は彼を見つめ、その瞳から何かを読み取ろうとしたが、何もない。その深い瞳は静かな湖面のようで、底が見えなかった。
「はい」
私たちは連れ立って、校内の自動販売機へと向かった。道中、誰も口を開かず、奇妙な空気が漂っていた。
私はこっそりと彼を観察しながら、今この穏やかで礼儀正しい神谷悠が、ネット上で私に様々な奇妙な依頼をしていた『孤独な王子』なのだと想像してみる。
このギャップが、どうにも現実味をなくしていた。
彼は私にジュースを一本買ってくれ、自分はブラックコーヒーを選んだ。
「ありがとうございます」
私は飲み物を受け取った。
「こちらこそ、ありがとう」
彼は自販機に寄りかかる。
「昨日の夜も、今日の午後も、迷惑をかけましたね」
私は危うくむせるところだった。
彼は何かをほのめかしているのだろうか?
「どういう意味か、よく分かりません」
私は慎重に言った。
神谷悠は私を一瞥し、口の端を微かに上げた。
「別に、特別な意味はありませんよ」
彼は言った。
「ただ、物事は思ったよりずっと面白いな、と思っただけです」
そう言うと、彼は校舎の方へ歩き出した。
「さようなら、春野さん。依頼、見事にこなしてくれました」
彼の声はとても小さかったが、私にははっきりと聞こえた。
角を曲がって彼の背中が見えなくなるのを見送りながら、私は悟った。私と神谷悠の関係は、今日から複雑なものになったのだと。
私たちはお互いが芝居をしていることを知っている。けれど同時に、このゲームを楽しんでもいる。
またスマホが鳴った。
振込完了:五万円。





