チャプター 1
赤ちゃんが生まれる。
すべてが奇妙な出来事だった。転倒した後、彼女は病院へと担ぎ込まれた。耐え難い激痛に襲われる中、医師や看護師たちが彼女の周りに群がってくる。赤ちゃんが生まれる。彼女が必死に保てる思考は、それだけだった。
赤ちゃんが生まれる。
なぜ? どうして?
まだ三週間も早いはずだ。あと三週間! それなのに、ジャレッドが現れてすべてを台無しにしてしまったのだ。いつものように。
フラー夫妻も知らせを聞いて駆けつけたに違いない。薬で意識が朦朧とし、激痛に苛まれる最中、彼らの声が聞こえた気がした。遠く、不安げな声。彼らが尋ね続けていたのは赤ちゃんのことであり、彼女のことではなかった。
何が起きたのか、すべては霞の中だった。だが、それは慈悲だとロリは思った。運命が彼女の記憶を消し去ってくれたのは、慈悲なのだと。
そうでなければ、耐えられなかっただろうから。
翌朝、目を覚ますと、病室の照明が突き刺さるように明るかった。目が光に慣れるまでしばらくかかった。ようやく視界がはっきりすると、病室には人っ子一人いないことに気づいた。誰もいなかった。
誰かが来るなんて期待していたわけではない。フラー夫妻にしてもそうだ。彼らは新しい赤ちゃんのことで頭がいっぱいで、きっと手一杯になっているはずだ。
腕を動かそうとしたが、全身がひどく痛んだ。とにかく痛い。
(ああ、痛い……)痛みに目を閉じながら彼女は思った。痛みを消し去りたくて、もう一度眠ろうと念じながらどれくらい目を閉じていただろう。
幸いにも、少しして黒髪の看護師が入ってきた。
「目が覚めましたね。よかった」
看護師が言った。ロリは何か言おうとしたが、喉がひどく渇いて張り付いていた。ナイトスタンドにあるペットボトルの水に手を伸ばそうとしたが、その単純な動作だけで激痛が走った。
「無理しないで。私が取りますから」
看護師はそう言って水を受け取った。
彼女はナイトスタンドの横にあった小さなプラスチックのコップに水を注ぎ、ロリが座って飲めるようにベッドの背を起こしてくれた。
ロリは二口ほど飲んで動きを止めた。
「何があったんですか?」
あたりを見回しながら尋ねる。
「帝王切開の後、すぐに気を失ってしまったのよ。みんな心配して怖がっていたわ。先生も、もう駄目かもしれないって思ったくらい」
看護師はコップをナイトスタンドに戻しながら言った。そしてメモを取りながらバイタルをチェックする。
「何が起きたか覚えている?」
看護師に問われ、ロリは首を横に振った。
「思い出せないんです。覚えているのは、ここに来たことと……痛みだけ……」
彼女がそう言うと、看護師は頷いた。
「ええ。相当強い痛みだったはずよ」
その時、医師が入ってきた。背が高く、髪が薄くなりかけていて、眼鏡をかけている。ロリはどこか見覚えがあるように感じた。病院に到着した時に見たのかもしれない。
「おはようございます、ワイアットさん。具合はいかがですか?」
医師の問いに、ロリは肩をすくめようとした。
「どう感じていいのか分かりません。全身が痛くて。とにかく痛いんです」
彼女が答えると、医師は看護師に視線を送った。二人の間で、ロリには理解できない無言のやり取りがあったようだった。
「ワイアットさん、昨晩運び込まれた時、あなたは非常に危険な状態でした」
ロリは頷いた。当然だ、早産になってしまったのだから。
「緊急帝王切開の準備をしました。手術自体は成功しました。ですが……残念ながら、赤ちゃんは亡くなりました。報告によると、胎児機能不全に加え、呼吸器にも異常があったようです」
ロリは死んだように静まり返った。
赤ちゃんが、駄目だった?
何ですって?
「え……?」
彼女が小さな声を漏らすと、医師はため息をついた。
「我々も手を尽くしました。ですが、そもそも助かる見込みは低かったのです。早産が始まった時点で、それは懸念されていました」
医師がそう付け加えると、ロリは嗚咽を漏らした。その口から出た音は、人間のものとは思えなかった。彼女自身から発せられた音だとは信じられないような響きだった。
「あの子は……今どこに?」
彼女が尋ねると、医師は再びため息をついた。
「フラーご夫妻が遺体を引き取りに来られました。あなたが母親としての権利を放棄したことを示す書類をお持ちでしたので」
彼らは待つことさえできなかったというのか?
一目会わせることさえ?
「でも! でも! 私、まだあの子を見てさえいないのよ! あの子に会わせてもくれなかったなんて!!!」
彼女が叫ぶと、医師と看護師は再び無言で顔を見合わせた。
「ワイアットさん、あなたは長い間意識がなかったんです。それに法的に、彼らには遺体を引き取る正当な権利がありました」
ロリは目の眩むような痛みを無視して、ベッドの上で身をよじった。
「あの子はどこ? 今どこにいるのよ!? 息子に会わせて!」
彼女は金切り声を上げ、冷たい大理石の床に片足を下ろした。その動きだけで激痛が走ったが、彼女は歯を食いしばって耐えた。
看護師が駆け寄り、その逞しい腕で彼女を取り押さえ、ベッドへ引き戻そうとした。
「動いてはいけません、ワイアットさん。まだ体力が戻っていないんです!」
看護師が顔を近づけると、ロリは渾身の力でその手を振り払った。
医師は看護師に一瞥をくれた。
「鎮静剤を打て。彼女には休息が必要だ」
医師はそう言い残し、部屋を出て行った。
その瞬間、別の看護師が駆け込んできた。ロリはまだ泣き叫び、手を振り回して抵抗していたが、新しい看護師が彼女を組み敷いた。一分もしないうちに強烈な眠気が襲い、すべてが暗闇に包まれた。
ガブリエル・ケインは病棟の廊下を落ち着きなく行ったり来たりしていた。彼は神経質になり、少しの恐怖と、そして少なからず怒りを感じていた。スージーはどうかしている。完全に狂っている。彼女は陣痛が始まったことを彼に知らせなかったのだ。予定日はまだ数日先だったため、彼はまだ大丈夫だと思っていた。
出産が近いと感じたら必ず電話するようにと、あれほど言い聞かせていたのに。出産間近の彼女を一人にしておくことに十分罪悪感を抱いていたからこそそう言ったのだが、あいにく彼女は彼の言葉に耳を貸さなかったようだ。
グレースからの電話を受けた時、彼はニューヨークにいた。
彼はニューヨークから急いで家に戻った。可能な限り急ぎ、どうにか間に合った。赤ん坊は生まれようとしていたが、まだ到着してはいなかった。
彼は心配していたし、正直なところ、彼の群れの者たちも同様に案じていた。
ガブリエルとスージーは他人同然の関係だったが、それでも彼なりに彼女のことを気にかけてはいた。
ガブリエルがスージーと出会ったのは、カナダで開催された定例のアルファ会議でのことだった。彼女は別の群れ、それも弱小の群れに属していたが、ディナーパーティーの間ずっと、彼に色目を使っていたのだ。彼は彼女のことを知らず、彼女について知っていることと言えば、下位の階級とはいえ、人狼であるということだけだった。
彼は行儀よく振る舞うつもりで彼女のアプローチをすべて無視していた。しかし、パーティーが終わった後に立ち寄ったバーで彼女に捕まり、二人とも深酒をして、結局ホテルの部屋で一夜を共にしてしまったのだ。
翌朝、裸で目覚めた彼は、すでに自分の行動を後悔していた。彼女が目を覚ます前に部屋を出て、彼女が自力で帰れるようにとナイトスタンドに現金を置いていった。
連絡先の番号さえ残さずに。
三ヶ月後、ガブリエルが「走り」から戻ると、ベータが電話を差し出し、スージーという見知らぬ女性から緊急の電話が入っていると告げた。その頃には彼女のことなどすっかり忘れていたが、礼儀として電話に出ただけだった。
スージーは妊娠していると主張し、最初は激怒した彼だったが、やがて冷静さを取り戻した。彼は彼女のデンバーまでの航空券を手配し、DNA鑑定を受けさせた。
結果は陽性。赤ん坊は彼の子だった。スージーは産みたいと激しく主張し、ガブリエルも同意した。彼にそれ以外の選択肢はなかった。
もちろん、彼は自分自身に少なからず失望していた。世界でも有数の名門パックのアルファが、私生児の父親になることなど滅多にないことだ。彼自身の家族でさえ驚いていた。
スージーはすぐに引っ越してきた。それ自体に異存はなかったが、彼は彼女に自分の立場をわきまえさせた。たしかに彼女は彼の子の母親だが、決して彼の「番(つがい)」にも「ルナ」にもなれない。それらの地位は、彼の運命の相手が現れるまで空席のままなのだ。
スージーはその事実を無視しがちで、彼のベータたちを顎で使おうとしたが、それでも彼は彼女の行き過ぎた行動を大目に見ていた。彼女は彼の子の母親なのだから。
彼がほんの少しの間、出張のために離れた矢先、彼女が産気づいたという恐ろしい知らせを受けたのだ。
医師が手術室から出てきた。血の付いた手袋を外しながら、足早に歩いてくる。
その表情は険しく、心拍数は早かった。
「ケインさん……申し訳ありません」
ガブリエルは奥歯を噛みしめ、知らせを聞く覚悟を決めた。
「母親は助かりませんでした。ですが、美しい女の子ですよ」
罪悪感はあったものの、後半の言葉を聞いて、張り詰めていた緊張の糸が少しだけ緩んだ。
「ガルシアさんは出産直後に心停止を起こしました。我々は彼女の病歴を把握していなかったのです。もし知っていれば、助けられたかもしれません」
ガブリエルは言葉を失ったまま頷いた。
「娘に会わせてもらえますか?」
彼が尋ねると、医師は頷いた。
すぐに看護師が赤ん坊を乗せたワゴンを押して手術室から出てきた。ガブリエルは娘を見ようと近づいた。
赤ん坊は火がついたように泣き叫んでいた。その甲高い泣き声に、ガブリエルの心は張り裂けそうだった。
彼の娘は、母親なしで育つのだ。
スージーなしで育っていくのだ。
心のどこかで、ガブリエルは自分がすでに娘に対して失敗してしまったような、そんな無力感に苛まれていた。
