チャプター 5.
誰かがドアに出てくるまで、彼女は二度呼び鈴を鳴らした。ドアを開けたのはフラー夫人だった。彼女は大きめのグレーのカーディガンにスウェットパンツという姿だった。
「何の用?」
ドアを閉めようとしながら、夫人はきつい口調で言った。
「待ってください! 話だけでも聞いてください!」
ロリは懇願した。
「ただ……あの子に会いたくて……目が覚めたら、あなたたちが連れて行ってしまったと聞いて……」
「会うですって?!」
フラー夫人は鼻で笑い、怒りを込めてバスローブの紐を結び直した。
「あなたはあの子の母親じゃないわ。親権は放棄したでしょう? 覚えている?」
ロリは頷いた。
「わかっています。自分が何をしたかはわかっています。でもお願いです、どこに埋葬されているのかだけでも教えてもらえませんか? ただ……ただ、さよならを言いたいだけなんです」
「さよなら?!」
フラー氏が後ろから姿を現した。その顔には険しい表情が浮かんでいる。二人の会話を聞いていたに違いない。
「お前にそんな資格はない! お前に権利など何一つないんだ。あの子を危険な目に遭わせたくせに!」
「トム」
フラー夫人が呟いたが、彼は妻を無視した。
「お前のせいで、あの子は死んだんだ!」
フラー氏が怒鳴った。
ロリは固唾を呑んだ。
彼女は顔を伝う涙を拭った。
「お願いします。頼みますから」
「お前にやるものなど何もない」
「私たちがこれだけ良くしてやったというのに」
「これで終わりだ。二度とここに来たら、不法侵入で警察を呼ぶぞ」
フラー氏はそう言い捨てると、ドアを激しく閉めた。
ロリは外に立ち尽くし、彼らが戻ってくるのを待ち、そして願った。だが、彼らが戻ってくることはなかった。
彼女はゆっくりと玄関ポーチを離れ、通りの方へと重い足取りで歩き出した。
また来よう。諦めるつもりはなかった。何度必要になろうとも。
ロリは怒りと悲しみを抱えたままベッドに入った。また夢を見た。泣いている赤ん坊の夢だ。ベビーベッドの中にいる赤ん坊に手を伸ばすが、どうしても届かない。
恐怖で目が覚めると、全身汗びっしょりで、息が上がっていた。
その後、再び眠りにつくのは困難だった。彼女は搾乳を済ませると、目を冴えさせたままベッドに横たわっていた。
いつも通り仕事に向かったが、コーヒーテーブルの上に契約書を置き忘れてきてしまった。仕事は単調で、記憶に残るようなことはほとんど何もなかった。
仕事から戻り、コーヒーテーブルの上の契約書を目にすると、彼女はため息をついてそれを手に取った。
彼女は改めて契約書に目を落とした。今度は時間をかけて一言一句読み込み、添えられていた名刺を見た。ガブリエル・ケイン。ケイン・インクCEO。
ロリはラーメン用の鍋を火にかけながら、ノートパソコンを開き、彼のことを調べてみることにした。そういえば、午後はずっと何も食べていない。朝食の卵と、ダイナーで飲んだコーヒーだけだった。
ガブリエル・ケイン。名前を入力すると、彼の画像といくつもの記事へのリンクが表示された。
彼は二十八歳。巨大複合企業ケイン・インクのCEO。由緒ある名家の出身だ。不幸なことに両親はすでに他界しているが、九十七歳になる祖父はまだ健在だった。兄弟はおらず一人っ子だが、いとこはたくさんいるようだった。
アメリカとヨーロッパの至る所にビジネスを展開している。弱冠二十歳で会社を引き継ぎ、その三年後に学校を卒業していた。娘に関するニュースは一切なく、メディアから遠ざけているに違いなかった。
彼の写真が表示された。著名な富裕層と一緒にいる姿が頻繁に見られ、噂されているカルト集団「ザ・ローズ」の一員であるという主張もあった。
「ザ・ローズ」は、世界中の著名人だけで構成されたエリート集団のカルトだ。メンバーはその事実を肯定も否定もしないが、世界各地の秘密の場所で会合を開いていると言われている。何をしているのか、なぜ結成されたのかは誰にもわからないが、非常に強力なグループであるようだった。
陰謀論では、彼らは悪魔崇拝者だとか、悪名高いイルミナティの一部だとか推測されていたが、ロリはそれらにはあまり関心がなかった。彼らが何者であれ、世間がどう思っていようと、彼らは畏怖されるカルト集団なのだ。
ガブリエル・ケインの人生は公に晒されているものの、ネット上には彼の私生活に関する情報はほとんどなかった。彼は世間から隔絶し、森の奥深くにある、一般人には手の届かない秘密の場所で暮らしているようだった。ロリにとって奇妙に思えたのは、その点だけだった。
ロリは携帯電話を手に取り、名刺にある番号にダイヤルした。
この仕事、受けることに決めた。
一度の呼び出し音の後、彼が出た。
「ワイアットさん?」
彼がそう言うと、ロリは目を見開いた。
「どうして……どうして私だとわかったんですか?」
彼女が尋ねると、彼はくすりと笑ったようだった。
「お電話をお待ちしておりました」
彼は言った。
「それで、どうされますか、ワイアットさん? 私のオファーを受けていただけますか?」
ロリは深呼吸をし、それから息を吐いた。
「はい。お受けします」
彼女は答えた。
「素晴らしい。すぐに業務を開始していただきます。荷物をまとめてください。一時間後に私の運転手が迎えに行きます」
彼がそう言い、ロリは頷いた。
通話を切るとすぐに、彼女は小さな寝室へと向かった。
ベッドの下に押し込んであったスーツケースを、膝をついて引っ張り出す。
彼女はスーツケースの埃を払い、ベッドの上で広げた。
キッチンに戻り、コンロの火を止める。興奮しすぎて、食べる気にはなれなかった。
少なくとも、今は。
彼女は状態の良い服を選んで詰め込み、必要なものをすべて揃え、靴も数足入れた。冷蔵庫には大したものは入っていなかったが、冷凍しておいた母乳のパックを取り出し、氷と一緒にクーラーボックスに詰めた。
それから彼女はアパートを片付け、不要なものや、長く放置すれば腐ってしまうようなものをすべて処分した。ゴミを出しに行くと、アパートの建物の前で一台の黒い車が待機しているのが目に入った。運転手が彼女に近づいてくる。
「ワイアット様ですか?」
彼が尋ねると、彼女は頷いた。
スキンヘッドにサングラスをかけた、背の高い男だった。
「トニーです。ケイン様の運転手をしております。お迎えにあがるよう仰せつかりました」
彼がそう言うと、ロリは頷いた。
「少々お待ちください。スーツケースを下ろしてきますので」
***
車での移動は長く、彼女が予想していた以上の時間がかかった。数分後、丘の頂上に建つ大きな屋敷に到着した。そこへたどり着く唯一のルートは、屋敷へと真っ直ぐに続く、ひと気のない暗い道だけだった。
ロリはそれほど驚かなかった。彼について読んだ情報からすれば、ガブリエル・ケインがいかにも好みそうな立地だったからだ。それに彼は私生活を極端に隠す男だ。木々に囲まれた丘の上の家は、俗世間を避けるにはこれ以上ない場所だろう。
ようやく長く孤独な道が終わりを告げると、目の前に錬鉄製の門が現れた。門は自動的に開き、車は中へと滑り込む。私道は広大で、両脇には手入れの行き届いた低木や彫像が並んでいた。屋敷に近づくと、正面に噴水が見えてきた。頭を後ろに反らせた巨大な狼男の像があり、その口と足先から水が流れ出ている。奇妙だわ、と彼女は思った。これほど変わった彫刻は今まで見たことがない。
車が屋敷の前で止まり、ロリが車を降りると、トニーがトランクからスーツケースを取り出した。気候は暖かく、屋敷は想像していたよりもさらに巨大に見えた。左手には一回り小さな家があり、おそらくゲストハウスだろう。右手には小さな庭園を備えた広大な芝生が広がっている。トニーが玄関ポーチまでスーツケースを運ぶと、ドアが自動的に開いた。まるで誰かが待ち構えていたかのように。
どうやら、本当に誰かが待っていたようだった。
隙のないスーツに身を包んだ、背の高い黒人男性だ。
「いらっしゃいませ、ワイアット様。私の名はグレゴリー。執事でございます」
彼は言った。
「ケイン家へようこそ。ここまでの道中、不快なことはございませんでしたか?」
わずかに英国訛りのある言葉と、浅黒い肌に映える完璧な白い歯を見せた素敵な笑顔。ロリはすぐに彼に対して親しみを覚えた。
「ええ、快適でしたわ。ありがとう」
彼に促され、彼女は中へと入った。
まあ、と玄関ホールに足を踏み入れながら彼女は心の中で呟いた。奥へと進むにつれ、その家のすべてが目に飛び込んでくる。
なんということだろう! 確かに予想していたよりもずっと壮大だ。
「お部屋までご案内いたします。しばらく休憩して、お召し替えをなさってください。詳細は後ほどグレースがお伝えに上がります」
彼女は頷いた。
「あ! 忘れるところでした」
彼女はそう言い、搾乳して冷凍した母乳の入ったクーラーボックスを彼に手渡した。
「赤ちゃんのために」
彼女が言うと、執事は頷きながらそれを受け取った。
別の使用人、黒いショートヘアの小柄で物静かな女性に案内され、彼女は大きな螺旋階段を上った。使用人の女性はしきりに荷物を持つと言ってくれたが、ロリは自分のスーツケースを渡そうとはしなかった。彼女には重すぎるだろうと言って断ったのだ。
実際、その通りだった。それは誰にとってもかなり重いものだった。
廊下の突き当たりにある部屋に着くと、女性は合鍵でドアを開けた。
部屋に入ると、彼女は窓を開け、ベッドを軽く叩いて整えた。
「こちらがお部屋でございます」
彼女が言い、ロリは頷いた。
「ありがとう」
室内を見回しながらロリは言った。
完璧な部屋だった。狭すぎず、かといって広すぎもしない。二つの窓からは屋敷の裏手の景色が見渡せる。大きな楕円形のプールと、その隣にはビーチハウスがあり、さらに広大な芝生が続いていた。
部屋にはナイトスタンド、白いシーツが敷かれた大きな天蓋付きベッド、姿見、そして小さなクローゼットと専用のバスルームが備わっている。
バスルームに入ると、彼女は感嘆のため息をついた。ああ、完璧だわ。白いタイルに白い洗面台、そしてバスタブまで! 彼女は急いで着替えようとしたが、楽な服にするか、それとも少しフォーマルなものにするかで迷った。結局、グレーのスウェットパンツと黒のTシャツに決めた。どうせこの家で暮らすのだから、堅苦しい格好をする必要はないだろう。
髪をまとめるヘアバンドを探していると、ドアを控えめにノックする音が聞こえた。
「私よ、グレース!」
ドアの向こうから興奮した声がした。
ロリがドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべたグレースが立っていた。ロリも思わずつられて微笑んでしまう。彼女の笑顔には伝染力があった。
「来てくれて本当に嬉しいわ! ようこそ!」
部屋に入ってくるなり、彼女は嬉しそうに声を上げた。
「お腹は空いてない? 何か食べる?」
ロリは首を横に振った。
「いいえ、いいえ。大丈夫よ。平気」
「ケイン様が後ほど説明にいらっしゃるわ。ご自身で話したいそうですって」
「この仕事を引き受けてくれて本当によかった。あなたなら完璧だと思ってたの」
ロリは目を丸くした。
「本当に?」
グレースは頷いた。
「もちろんよ。病院であなたを見かけた時からね。……改めて、息子さんのことは本当にお悔やみ申し上げます」
ロリは肩をすくめた。
「いいの」
「その話は、あまりしたくないの」
彼女が付け加えると、女性は頷いた。
「そうね。わかったわ」
彼女は神妙な面持ちで言った。
「エミリアに会う? 今はお昼寝中だけど、こっそり覗くくらいなら大丈夫よ。子供部屋はあなたの部屋のすぐ隣だから」
ロリは頷いた。
ここ数週間、母乳を提供し続けてきた赤ちゃんに、ようやく会えるのだ。
グレースと共に部屋を出て、彼女がそっとエミリアの子供部屋のドアを開けるとき、ロリの心臓は早鐘を打っていた。
いよいよだ。
今、その瞬間が訪れようとしている。
