第2章 田舎者

その夜、江口雲上はいつものように眠れないということはなく、むしろ安らかに眠りについた。

夢の中で、十年前の光景が蘇った。暗い部屋で、小さな少女が彼を抱きしめ、幼い声で言った。

「怖がらないで。私、すごく強いから、ちゃんと守ってあげる」

江口雲上は夢の中で彼女を見つけた気がした。まるで現実のように。

翌朝。

江口雲上の従妹、江口綾は早朝から従兄の部屋の前で待ち構えていた。これから起こる面白い出来事を期待していた。あの田舎者の女を困らせて、その生意気な態度を見返してやりたかった。

ドアに耳を当てて、部屋の中の様子を窺おうとしたが、かすかな足音しか聞こえず、期待していた怒鳴り声や言い争いは一切なかった。

そのとき、ドアが開いた。江口綾はよろめいて転んでしまい、ゆっくりと顔を上げると、水原葵の得意げな笑顔が目に入った。思わず歯ぎしりをしてしまう。

水原葵は挑発するように言った。

「おはよう!お望み通り、昨夜はお兄様に抱かれて眠ったわ。とても素晴らしい夜を過ごせたわね」

江口綾の瞳が暗く沈んだ。その巨大な敵意は実体化したかのように、周囲の空気までも重くしていた。

江口綾は心の中で思った。

「田舎者め、江口家に入るのはそう簡単じゃないわ!」

水原葵は相変わらず独特の自信に満ちた余裕のある態度を崩さなかった。江口家の敵意など眼中になかった。彼女にとって、こんな場面など珍しくもない。この愚かな女の小細工なんて、いとも簡単に打ち消せる。

三ヶ月。おじいちゃんとの賭け、江口家で三ヶ月暮らして、江口雲上との間に何の感情も芽生えなければ、この婚約は破棄される。

出発前、おじいちゃんは彼女に言った。「葵ちゃん、賭けは賭けだからね。たった三ヶ月、江口爺さんとの約束も果たせる」

水原葵は遊び半分の気持ちで江口家の門をくぐったが、昨日の一連の出来事で、このA市一の名家に嫌悪感を抱くようになった。

家に入るなり、江口家のメイド、田中さんの妨害に遭った。田中さんは消毒用アルコールを水原葵に吹きかけながら、口うるさく言い立てた。

「田舎から来た貧乏娘、どれだけの細菌を持ち込んでるか分からないわ。もしかして細菌に脳まで侵されて、江口家の坊ちゃまと結婚なんて考えちゃったのかしら!」

水原葵も黙ってはいなかった。すぐさま消毒用アルコールの蓋を開け、田中さんに掛けた。

「下々の者は下々の者らしく、特にその汚い口こそ消毒が必要ね!」

田中さんの体中からアルコールの刺激臭が漂い、江口香織の不快感を誘った。田中さんの一連の行動は全て江口香織の指示によるもので、田舎娘に見せしめをするつもりだったが、まさか彼女がこれほど気の強い女だとは。攻撃を受けるや否や、即座に反撃してきた。

江口香織は、この家での自分の絶対的な立場が水原葵によって脅かされていると感じた。

「やっぱり田舎者ね、育ちが悪すぎるわ。体にウイルスや細菌がついてないか心配して、江口家の者に感染したらどうするのかと思って」と江口香織は言った。

水原葵は即座に言い返した。「江口家のメイドの口が臭いのは、きっと奥さんから感染したんでしょうね」

なんて口の利く田舎者!

江口香織は一瞬言葉を失い、目に怒りの炎を燃やした。

江口香織の傍らには水原葵と同年代の女性がいた。江口雲上の妹、江口綾である。江口綾も同様に水原葵を軽蔑的な目で見た。

「あなたが兄さんの婚約者?」水原葵の質素な服装を見て、江口綾は侮蔑的な表情を浮かべ、続けた。

「おじいちゃんも年を取ったわね、目が曇ってきたんじゃない?聞いたところ、電車で来たんですって?早く言ってくれれば飛行機のチケットを用意したのに。まあ、田舎には空港なんてないもんね」

水原葵は思わず笑みを浮かべた。実は、おじいちゃんはプライベートジェットで送ろうとしたのだが、水原葵があまり目立ちたくないと主張して、新幹線で一人で来ることにしたのだ。

ところが、新幹線に乗り込んでみると、車両には誰も乗っておらず、車掌たちは全員彼女一人のために働いていた。

その時になって分かった。おじいちゃんが新幹線を一編成まるごと貸し切っていたのだ!

水原葵は呆れた。おじいちゃんの考える「目立たない」とは、新幹線一編成を貸し切ることなのか?

今、水原葵は江口綾を見て、まるで馬鹿を見るような目つきをした。

江口家の人間は皆、こんなに傲慢なのだろうか?

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