第1章

栞奈視点

全身が鉛のように重い。夜勤明けの体を引きずり、私は肩で玄関のドアを押し開けた。地獄のようなシフトだった。しかし、帰宅した私を待ち受けていた光景に比べれば、そんな疲労など些細なものだった。

弟の水瀬仁助が、昨日と同じ汚れた服のままソファに寝そべっていた。片手にはゲームコントローラーを握りしめ、周囲には空のビール瓶が墓石のように転がっている。コーヒーテーブルはピザの空き箱や食べかけの容器で埋め尽くされ、部屋には澱んだアルコールの匂いが充満していた。

『ここが、私の家』。その事実が、ずしりと胸にのしかかる。

母の真理子は、まるで召使いのように仁助の足元にかがみ込み、ゴミを拾っていた。私に気づいても顔すら上げず、ただ億劫そうに手を振るだけだ。

「栞奈、ちょうどよかったわ。出かける時に、このゴミ袋も出しといてちょうだい」

私はその場で凍りついた。ハンドバッグのストラップを握る指が、白くこわばる。十二時間ぶっ通しで働き、汗で湿ったままのスクラブ姿の私に、かける言葉がそれなのか。沸騰するような怒りが、胸の奥から込み上げてくる。

「お母さん、明日、私の結婚式なんだけど」

母はようやく顔を上げた。まるで、何を馬鹿なことを、とでも言いたげな顔で。そこには、娘の門出を祝う母親らしい喜びも温かさも、ひとかけらもなかった。

「だから何?結婚したって、あんたがこの家の娘じゃなくなるわけじゃないでしょう?家族としての責任を、それで放棄できるとでも思ってるの?」

仁助はゲーム画面から一瞬たりとも視線を外さない。祝福の言葉があるべき沈黙を、けたたましい銃声と爆発音が満たしていた。

『この家で、私はいつも二の次』。その考えが、鋭利な刃物のように心を切り裂いた。

一時間後、私は疲れ果てた体でキッチンテーブルに座っていた。母が請求書の束を乱暴にかき混ぜ、まるで罪状を突きつけるかのように、私の前に叩きつける。パンッ、という乾いた音が部屋に響いた。

「今月の生活費、まだ五万円足りないのよ」有無を言わせぬ口調で母は告げた。「それと、仁助が新しいゲーム機に三万円いるって。すぐに必要なの」

私はこめかみを押さえた。こめかみがドクドクと波打つ。「お母さん、私、明日結婚するのよ。少しでいいから、準備する時間をくれない?」声には、疲れ果てた懇願が滲んでいた。

その時、仁助がようやくゲームから顔を上げた。心底うんざりしたように、大げさに目を眇める。

「姉ちゃんは安定した仕事があるだろ。俺には何もないんだぞ。他に誰に頼めって言うんだよ。それに、金持ちと結婚するんだから、これくらいの端金、どうってことねえだろ?」

母は勢いよく立ち上がり、腰に手を当て、ナイフのように鋭い声で言い放った。

「あんたを産んで、ここまで育ててやったのは、投資なのよ!これからはきっちり回収させてもらうから!」

『投資』。その言葉は、平手打ちのように私を打ちのめした。娘でも、家族でもなく――投資。息が詰まるような痛みが、胸を締め付けた。

涙をこらえ、自分の部屋に逃げ込むように駆け込んだ。機械的に、最後の荷物をスーツケースに詰める。結婚式の後、私は婚約者である高峰哲也の家に引っ越すことになっていた。クローゼットの奥から、古い靴箱を見つけ出す。震える指で蓋を開けると、中には、私の人生を物語る写真が詰まっていた。どれもこれも、同じ残酷な物語を語りかけてくる。

銀行の窓口に立つ、七歳の私。母のために、必死で通訳をしている。緊張で小さな顔は真っ赤だ。銀行員が私に優しく微笑む隣で、母が誇らしげに言った言葉を、今も覚えている。『この子は将来、たくさん稼いで家族みんなの面倒を見てくれるんです』

『私の運命は、もうあの時から決まっていた』

次の写真は、マクドナルドの制服を着た十五歳の私。腕には、フライヤーで火傷した痕が痛々しく残っている。あの日、客に理不尽に怒鳴られ、泣きながら家に帰った。けれど、母は私の涙を一瞥しただけだった。『仁助が学校で大変なのよ。あの子のストレスを増やさないでちょうだい』

最後の一枚は、高校の卒業式。観客席にぽつんと一人で座る私の目には、失望の色がはっきりと浮かんでいた。その日、母は仁助が免許を取ったお祝いだと言って、彼を運転免許センターに連れて行っていた。同じように大切な日のはずなのに、母は私ではなく、弟を選んだ。

「私は、いつになったら自分のために生きられるの?」誰もいない部屋で、そう囁いた。涙が写真の上にぽたぽたと落ちる。

『明日よ。明日が、私の逃げ道なんだ』

夕方六時、哲也がネイビーのスーツを着て現れた。まるで、私を救いに来た王子様のように。その笑顔は温かく、心からのもので、私のささくれ立った心を瞬時に癒してくれた。しかし、私たちが結婚式のリハーサルに出かけようとした、まさにその時だ。仁助がソファから飛び起き、書類の束を掴んで駆け寄ってきた。

「哲也さん!ちょうどよかった」仁助の目は、下卑た欲望にぎらついていた。「すげえビジネスチャンスを見つけたんです。フードトラックを始めようと思って。ただ、栞奈に五百万のローンの連帯保証人になってもらうだけでいいんですよ」

私はさっと書類に目を通し、心が凍りついた。

「仁助、これ、事業ローンじゃなくて、ただの自動車ローンじゃない」

「これは……その、事業用の車両だから」彼は動揺も見せず、目をそらしながら嘘をついた。

私はきっぱりと首を横に振り、一歩後ろに下がった。

「絶対にサインしないわ」

瞬間、母が爆発した。顔を真っ赤にして、わめき散らす。

「栞奈!この恩知らず!仁助がやっと一人前になれるチャンスなのに、あんたは助けようともしないの?」

母は私に掴みかかり、爪が皮膚に食い込むほど強く腕を掴んだ。

「はっきり言っとくけどね――仁助を助けないなら、明日の結婚式にあたしが出ると思わないで!」

哲也が、穏やかな、しかしどこか困惑した声で仲裁しようとする。

「まあ、まあ。考えてあげてもいいんじゃないかな……」

婚約者が、無職の弟の借金の保証人になることを提案している。それでも私は、目に涙を浮かべながら、決して首を縦には振らなかった。

「嫌。絶対にサインはしません」

『本気だ』。母の歪んだ、怒りに満ちた顔を見て、それが単なる脅しではないと悟った。

哲也の車の中で、私はとうとう泣き崩れてしまった。彼は優しく私の髪を撫で、柔らかく慰めるように言った。

「ねえ、家族のことで明日の気分を台無しにするのはよそう。君の人生で、一番幸せな日になるんだから」

そんな優しい時間が流れる中、突然、哲也のスマートフォンが鳴った。彼は発信者を一瞥すると、わずかに眉をひそめ、すぐに通話を拒否した。その顔に、何か不自然な表情がよぎり、彼は慌てて携帯電話を膝の上で裏返しに置いた。

『誰だったんだろう?どうして、あんな顔をしたの?』

得体の知れない不安が、胸の奥に広がった。しかし哲也はすぐに優しい笑顔を取り戻し、私の手の上に自分の手を重ねた。

「ごめん、ハニー。仕事の電話だ。大したことじゃない」

私は彼の肩に寄りかかり、胸を締め付ける疑念を振り払うように、彼のコロンの香りを吸い込んだ。

「私の家族を、受け入れてくれてありがとう。彼らが……難しい人たちだって、わかってる」

「明日からは、君は高峰夫人だ」彼は私の額にキスをし、私がずっと渇望していた約束を、その声に込めて言った。「僕たち自身の家族を、僕たち自身の家を持とう。すべてが変わるんだ」

「この日を、ずっと待ってた」私は命綱のように、彼の手を強く握った。

「わかってるよ、栞奈。わかってる」

その夜、子供部屋だった自分の寝室に戻ると、リビングから母と仁助の話し声が聞こえてきた。薄い壁を通して、その声ははっきりと響いてくる。

「あいつ、マジで自己中だよな」仁助が、吐き捨てるように言った。「結婚するからって、急に俺たちより偉くなったつもりかよ。助けられるくせに、お高く止まりやがって」

「本当に、育て方を間違えたのかしらね」母の声は、失望と怒りに満ちていた。「恩知らずな子に育っちゃって」

私は唇を固く噛みしめ、クローゼットからウェディングドレスを取り出し、鏡の前で体に当ててみた。純白のサテンが、希望そのもののように光を放っている。明日になれば、このすべてが終わる。このドレスは、まるで鎧のように感じられた。決して私のものとは言えなかった人生からの、守りの鎧。

『やっと、自由になれる』

スマートフォンの画面が静かに光った。哲也からのメッセージだ。『明日の午前九時、僕の美しい花嫁を迎えに行くよ。愛してる』

私は必死に気持ちを落ち着かせ、笑顔を装って返信した。『あなたの奥さんになるのが、待ちきれないわ!』

明日が待ち遠しくてたまらない。哲也は私の救いだ。この毒のような家族から抜け出す、唯一の道。あと一晩。あと一晩だけ耐えればいい。

ウェディングドレスを丁寧にクローゼットに掛け、ベッドに横になる。けれど、眠気は一向に訪れなかった。天井のひび割れを見つめながら、私は何度も、何度も心の中で繰り返した。

『明日、すべてが変わる。明日、私は自分のために生き始めるんだ』

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