第3章

栞奈視点

『なんなのよ、一体……!?』

世界が、ぐらぐらと揺れ始めた。哲也の顔は紙のように真っ白になり、その目には恐怖が閃いた。

「哲也」紗矢の声は、悪意に満ちた勝利の響きを帯びていた。「あの夜のこと、覚えてる? 銀行の休憩室でのことよ。栞奈が夜中の十二時まで残業してた、あの晩」

彼女は私に向き直り、残酷な満足感を瞳に浮かべた。

「ねえ、彼があの夜、あなたのことをなんて言ってたか知りたくない? ベッドじゃ退屈で死にそうだって。それに、あなたの家族は金蔓みたいなものだって言ってたわよ」

『嘘。嘘よ。そんなの嘘……』

その言葉は、まるで殴られたかのように私を打ちのめした。今朝の甘い時間も、哲也が交わした約束も、優しい肌のぬくもりも――そのすべてが毒となって、私の血管を巡っていく。信頼していたこの男は、同僚と寝ながら、私を嘲笑い、利用していたのだ。

哲也が、必死に手を伸ばしてくる。声が震えていた。

「栞奈、説明させてくれ。これはただの誤解なんだ――」

火に触れたかのように、私はその手を振り払った。涙で、視界が滲む。結婚式の招待客たちが囁き始め、その視線がナイフのように私に突き刺さる。彼らの憐れみ、裁き、そして私の屈辱を嘲笑う声が、聞こえるようだった。

『みんなに裏切られた。みんなに!』

「栞奈、聞いてくれ」哲也の声が、狂乱じみてくる。「愛してるんだ。あの子はどうでもいい。この問題は、僕たちがなんとかすれば……」

『問題? 自分の子供を、問題ですって?』

その無神経で残酷な言葉に、吐き気がした。私が愛したこの男は、まだ生まれぬ我が子を、まるでビジネスの取引のように語っている。

紗矢が、嘲るように笑った。

「なんとかする? なんとかすべきは、あなたが現実と向き合うことだけよ、栞奈。哲也はあなたを愛したことなんて一度もない。あなたは、彼が私と楽しんでる間の、ただの都合のいい女だったの」

『私と楽しんでる間』

その言葉が、死刑宣告のように響き渡った。

怒りが、胸の中で爆発した。私は哲也を――初めて本当の意味で彼を――見た。そこにいたのは、見知らぬ男。嘘つき。欺瞞で塗り固められた臆病者。

『もう、たくさん』

私はウェディングドレスを掴むと、激しい力で引き裂いた。白いシルクが、ビリビリッと小気味いい音を立てて破れる。

「こんなクソみたいな結婚式は、もうおしまいよ!」

私の声が、神聖な空間に響き渡った。

哲也が、私に飛びかかってくる。

「栞奈! 落ち着け! 家に帰って話そう――」

「気安く触らないで!」私は彼を突き飛ばした。涙は、純粋な怒りによってすっかり乾いていた。「話すことなんて何もない! あんたは孕ませたあの女とでも、幸せに暮らしなさいよ!」

破れたドレスの裾を引きずって、私は走り出した。哲也の必死の叫びが背後から追いかけてきたが、教会の扉を突き破って外へ飛び出すまで、一度も振り返らなかった。

破れたウェディングドレスを引きずりながら、アパートに転がり込んだ。ドアを閉めた瞬間、世界中の音が遮断されたように感じた。空っぽのリビングに、私の荒い息遣いだけが響いている。

『本当に、何もかもなくなっちゃった』

壁に飾られた写真に目がいく。哲也と二人で撮った、浜辺での甘い写真。居心地のいいレストランでのひととき。彼がプロポーズしてくれた、あの時のショット。どの写真も私の愚かさを嘲り、どの笑顔も私の恥辱の証拠となっていた。

『この写真を撮った時、彼は何を考えていたの? 私の純真さを笑っていたの?』

怒りが、胸の内で渦を巻いた。私は壁に駆け寄り、狂ったように額縁を引き剥がした。ガラスの破片が指に食い込み、血が白いドレスの切れ端に滴り落ちたが、痛みは感じなかった。

「ちくしょう! ちくしょう!」私は引き裂きながら叫んだ。「どうして? どうしていつも私ばっかり!」

額縁が次々と床に叩きつけられていく。哲也の写真を掴んでズタズタに破り、さらにその破片を踏みつけた。

『半年! 半年も付き合ってたなんて!』

ドレスの破片とガラスに囲まれて床に崩れ落ち、ついに私は完全に壊れてしまった。堰を切ったように涙が溢れ出し、喉がひりつくまでしゃくりあげた。

「どうして私はこんなに馬鹿なの!」誰もいない部屋に向かって叫んだ。「どうしていつも信じちゃうの? どうして傷つくのはいつも私なの?」

涙が枯れるまで泣き続けた。疲労感が全身を襲い、私は破れたドレスの切れ端を握りしめ、割れたガラスに囲まれたまま眠りに落ちた。

翌朝、しつこいノックの音で目が覚めた。カーテンの隙間から差し込む太陽の光が、目をちくちくと刺す。

「栞奈! 開けてくれ! いるのはわかってるんだ!」

哲也の声には、見せかけだけの切迫感がこもっていた。

まるで車にでも轢かれたかのように、こわばった体をなんとか起こす。ドアスコープを覗くと、哲也が赤い薔薇の花束を持って立っていた。その顔には、かつて私が信じていた「反省」の表情が浮かんでいる。

『嘘つき!』

ドアに背を預け、かすれた声で言った。

「話すことなんて何もないわ。帰ってちょうだい」

「栞奈、傷ついてるのはわかる。でも、僕たちは話さきゃならない」哲也は偽りの後悔を装った。「過ちを犯したのは認める。でも、僕は本当に君を愛してるんだ! 紗矢のことは、ただの事故だったんだよ!」

『事故? 半年にわたる事故ですって?』

「私が馬鹿だとでも思ってるの?」私は、冷ややかに笑った。「妊娠六ヶ月が、事故?」

「栞奈、聞いてくれ……」哲也は得意の感情操作を始めた。「僕がどれだけ君を愛してるか、知ってるだろ。僕たちなら乗り越えられる。結婚して、あの子を一緒に育てよう。こんな問題を抱えるカップルなんて珍しくないんだ」

自分の耳を疑った。

「一緒に育てる? あんたがあの女と作った子供を、私が育てるのを手伝えって言うの?」

「栞奈、冷静になれ」哲也の口調に苛立ちが混じり始めた。「僕がいなきゃ、君は何者でもないんだぞ。家柄もない金欠の看護師なんて、他に誰が欲しがると思う?」

『家柄もない金欠の看護師』

それが、彼の本心だったのだ。

怒りが、火山のように爆発した。私はドアを乱暴に開け、彼の手から薔薇の花束をひったくった。

「理性的になれって?」私はその花束を、彼の顔面に叩きつけた。「これが私の理性よ!」

薔薇がそこら中に散らばり、棘が哲也の頬を引っ掻いた。彼はパニックに陥って後ずさったが、私はもう理性を失っていた。

「この嘘つきのクソ野郎!」散らばった花を掴んでは、彼に投げつけた。「半年よ! 半年も私を騙してたのよ!」

哲也は防御的に腕を上げた。その「愛情深い」表情は消え失せ、怒りと羞恥に満ちた顔つきに変わっていた。

「気でも狂ったのか? 栞奈! このキチガイ女!」

「キチガイ女?」私は薔薇の一輪を彼の顔に叩きつけた。「今さら怖くなったの? 紗矢とベッドにいた時、その恐怖心はどこにあったわけ?」

「もうたくさんだ!」哲也は、完全に仮面を脱ぎ捨てた。「自分がイイ女だとでも思ってんのか? 退屈で、堅物で、おまけに吸血鬼みたいな家族付きだ! 少なくとも紗矢は、どうやって楽しむかを知ってるぞ!」

数秒間、私は凍りついた。それから、骨まで凍みるような声で笑った。

「それがあなたの本心なのね。私がどの程度の存在か、はっきり教えてくれてありがとう」

私の笑い声に怯えたのか、哲也は慌てて後ずさった。

「栞奈……そんなつもりじゃ……」

「出ていけ」私は冷たく言い放った。「今すぐ消えて、二度と私の前に顔を見せないで」

私の瞳に宿る氷のような光を見て、哲也はこれ以上ここにいれば、もっと大きな厄介ごとになると悟ったようだった。彼は花を拾うことすらせず、慌てて逃げ去った。

その哀れな後ろ姿を見送りながら、奇妙な満足感が胸に込み上げてくるのを感じた。

『これが、反撃するってことなのね』

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