第84章

笹谷幽々子は、彼の声に滲む距離感を聞き取ってしまった。身体がぴくりと固まり、リンゴを差し出した手が宙で止まる。

『仕事ならもう断ってきたの。戻ってから片づければいいし』

――あなたのために、私は仕事を捨てた。そう言いたかった。

けれど江原翼は、あっさりと言った。

『じゃあ先に戻って仕事しろ。俺は世話なんか要らない』

「翼さん……」

笹谷幽々子は思わず数歩、近づいてしまう。瞳には未練が滲んでいた。

いつから、こんなふうに変わったのだろう。

歯を食いしばる。けれど、問いただす資格なんて自分にはない。

江原翼は淡々とまぶたを持ち上げた。

『本当に要らない。帰れ』

さっき、水宮...

ログインして続きを読む