第1章
「バンッ!」
ピックアップトラックが猛然と突っ込んできて、私は宙に弾き飛ばされた。
続けて、ドアがきしりと開く音。視界の端に、泥で汚れた古い軍靴が止まった。
痛みを噛み殺して顔を上げる。次の瞬間、その顔を見た途端に血の気が引いた。
「義康……?」
父だった。
「誰かと思えば」義康はいやらしく私を舐め回すように見た。
「旧帝大のエリート気取りのビッチみてぇな格好しやがって。死んだ母親が、ずいぶん立派に躾けたじゃねえか、ユカリ」
「頭おかしいの?!」折れた右腕を抱え込み、私は叫んだ。
「今日は大学の期末の追試なの! カンニングしたって濡れ衣を着せられて、やっとのことで弁明の機会をもぎ取ったのに!」
義康は鼻で笑い、いきなり私の襟首を掴んで引き起こした。折れた骨が軋み、悲鳴が漏れる。
もう片方の手で、私のリュックを乱暴にひったくると、口を開けたまま路面の水たまりへ中身をぶちまけた。
教科書、受験票、それから――私がバイトでウェイトレスをして貯めた、しわだらけの1000円札が数枚。全部、汚い水の上に散らばる。
義康の目がぎらりと光り、獣みたいに飛びついて札をかき集め、ポケットへねじ込んだ。
「返して! それ、学校までのタクシー代と生活費なの!」手を伸ばした瞬間、義康の蹴りが腹に突き刺さり、私は泥水の上に転がった。
「人生語ってんじゃねえよ、ユカリ」義康は私の顔に唾を吐き捨てた。
「お前はスラム生まれだ。体ん中に流れてるのは下賤な血だ、一生貧乏人なんだよ! 金持ちの私立大に受かったくらいで階級が変わると思ってんのか? 寝言は寝て言え!」
義康は車のドアを開け、運転席に乗り込む前に私を上から下まで値踏みする。
「今回はいい薬だ。次から目ぇ見開け。お前みてぇなのが逆らっちゃいけねえ『大物』ってのがいる。親切に教えてくれる奴がいなきゃ、俺だって知らなかったぜ。俺の娘が、いつの間にかずいぶん『出世』してるってな」
言い捨てて、トラックは走り去った。私が血まみれで、腕も折れているのに見向きもしない。
「……大物……」私は地面にへたり込み、喉の奥が冷たくなった。
誰? ここまで執拗に、私を潰したいのは。
――だけど、考えている時間がない。
試験終了まで、あと四十分。
タクシーを呼ぶ金はない。地下鉄の運賃すらない。病院なんて論外だ。救急車を呼べば、それだけで数万円の借金になる。
唇を噛み切って意識を繋ぎ、折れた右腕を抱えたまま、二マイル先の大学へ歩き出した。
カンニングの汚名を背負ったまま退学なんて、絶対に――!
ようやく、よろめきながら階段教室へ飛び込んだとき、壁の時計の針はぴたりと午前十一時を指していた。
試験、終了。
「鈴原ユカリさん?」
教壇の前で、浅野教授が最後の答案を揃えていた。血だらけの私を見ると眉をひそめる。だが、その表情はすぐに落胆へ変わった。
教室に残っていた学生たちが一斉に振り返る。誰も駆け寄らない。代わりに、ひそひそ声が波のように広がり、露骨な侮蔑と嫌悪が降り注いだ。
「なにこの臭い……スラムの下水にでも落ちたみたい」
「窃盗女がまだ顔出せるの? 学術委員会はさっさと退学にすればいいのに」
「どうせその格好も自作自演でしょ……」
私は残った力を振り絞って教壇へ向かい、懇願した。
「きょ……教授、途中で事故に……手が折れて……お願いです、問題用紙をください。左手でも書けます。式は全部わかります、私はカンニングなんて――」
「もう結構です、鈴原さん」浅野教授は私の言葉を遮った。「試験は一分前に正式に終了しました。規則は規則です。ここは、言い訳で騒いでいいコミュニティ・カレッジではありません」
「ま、見て。誰かと思えば」
教室の後方から、悪意そのものみたいな女の声が響いた。
人垣が、あまりにも自然に道を割る。
古井貴美が歩いてきた。
「貴美……」私は彼女を睨み据えた。
義康が去り際に吐いた「大物の報せ」という言葉が、脳裏で反響する。
この学校で、私と利害が真っ向からぶつかり、金と権力で父を動かせる人間――それは彼女しかいない。
展示会で私の核となるアイデアを盗み、それどころか私を盗作扱いした、お嬢様。
貴美は私の前に立つと、鼻をつまんだ。
「ユカリ、そこまでして何がしたいの? みんな知ってるよ。あなたが嘘つきの盗作屋だって。追試の結果が怖いなら、最初から認めればよかったのに」
彼女が耳元へ顔を寄せる。私たち二人にしか聞こえない声で、笑いを含ませて囁いた。
「試験から逃げるために、自分の手まで折るなんてさ。スラムのドブネズミって、自分にも容赦ないんだね」
そして、甘く残酷に告げる。
「でももう――最後に噛みつくチャンスも、なくなっちゃった」
