第1章 相打ちで終わる

太平洋の孤島。鋼鉄と海水に囲まれた刑務所が、ぽつんとそびえ立っていた。

地下七階、特別監禁エリア。

菅田汐里は容赦なく、死に急ぎの囚人三人の首をへし折った。幽冷な視線が、そこにいる全員を舐め回すように一巡する。

「私のことは夜凰と呼べ。今日から――ここは私が仕切る」

監視カメラ室では、数人の研究員が重苦しい顔でモニターを見つめていた。

「さすがは暗夜組織の首領だ。ブラッド・プリズンに落ちても、このふてぶてしさか」

中年の研究員が眼鏡を押し上げる。

「長くは保たないさ」若い研究員が鼻で笑った。「ブラッド・プリズンにいるのは全員イカれてる。いくら強くても、全員に勝てるわけがない。しかも毒まで食らってる」

「侮るな」木村博士がモニター越しの菅田汐里を凝視し、低く言う。「あいつは『ニューロン同期技術』を握っている。組織は十年かけてようやく内通者を側に潜り込ませ、やっとここへ放り込んだ。目的は一つ――あいつからデータを吐かせることだ」

木村博士は顎を引く。

「ブラッド・シャークに連絡しろ。地下七階へ向かわせろ。夜凰に口を割らせるなら、手段は問わない――そう伝えろ」

室内に、ひゅっと息を呑む音が走った。

ブラッド・シャーク。ブラッド・プリズンの真の支配者。看守でさえ目を合わせない化け物。

深夜。

菅田汐里はベッドの上で胡坐をかき、目を閉じて呼吸を整えていた。

体内の毒が刻一刻と深く回っていく。慢性の神経毒素。反応も体力も、少しずつ削り取っていくタイプだ。

独房の外から、どすん、どすん、と重い足音。

菅田汐里ははねるように目を開けた。

まもなく扉が開き、二メートルを超える巨漢が入ってくる。上半身は裸で、無数の傷跡。胸元には血のように赤い鮫の刺青――見るだけでぞっとする。

血走った眼が、ベッドの菅田汐里をねっとりと捉え、嗜血の光をぎらつかせた。

菅田汐里は気だるげに問う。

「木村博士の差し金?」

ブラッド・シャークは口を裂いて笑い、黄ばんだ歯を見せた。

「伝言だ。技術を差し出せば、体面のある死に方を用意してやる。だが――」

ぺろり、と唇を舐め、表情がさらに凶悪に歪む。

「そうしなきゃ、生まれてきたことを後悔させてやる。やり方なんていくらでもあるんだ」

菅田汐里はゆっくり立ち上がり、手首を軽く回した。骨が小さく鳴る。

「知ってる?」彼女が唐突に言う。「私が捕まったのは、あなたたちの内通者が優秀だったからじゃない」

ブラッド・シャークが眉を跳ねる。

「組織の中に、どれだけ私を売った連中がいるのか――それを確かめたかっただけ」

言い終える前に、菅田汐里の体が消えた。残像。

ブラッド・シャークは視界が白く弾けたように感じ、反射で拳を叩きつけるが、空を切る。

次の瞬間。

左肋に、爆ぜるような激痛。ブラッド・シャークが獣のように吼え、巨体がよろめいて後退した。

まだ立て直す前に、菅田汐里の親指がブラッド・シャークの手首――骨の隙間へぐいと食い込み、ひねり上げる。

ぎちり、と歯が浮く骨裂音。

手首があり得ない角度に折れ曲がり、白い骨片が皮膚を突き破って血が噴いた。

ブラッド・シャークは目を真っ赤にし、無事なほうの手で菅田汐里の喉を掴みにいく。蛮力で気管を潰す気だ。

だが菅田汐里は退かない。

折れた手首を掴んだまま、反動で身を浮かせ――両脚を鋏のようにブラッド・シャークの太い首へ絡め取る。腹腰が一気に締まった。

「――っ!」

鈍い衝撃音。

二メートル超の巨漢が宙を舞い、冷たいコンクリートへ叩きつけられた。

ブラッド・シャークが這い起きようとした瞬間、菅田汐里の足が胸元へずん、と沈む。

動けない。

恐怖が眼に浮かぶ。木村博士は「毒で弱っている」と言ったはずだ。なのに、この戦闘力は何だ――。

菅田汐里は見下ろしたまま、相手の思考を読んだように口角を上げる。

「毒を盛られてるから、好きにできると思った?」

血に汚れた顔が、薄暗い灯りの下で地獄の魔物めいて見えた。

「お前らみたいな屑、虫より価値がない。踏めば潰れる」

言い切ると同時、足に力が籠もる。

「――ぐ、ぁっ……!」

ぱきん、と骨が砕ける音が、独房の静寂に異様なほど響いた。

ブラッド・シャークは人の声にならない悲鳴を上げ、失禁し、悪臭が広がる。

菅田汐里は眉を寄せ、汚物でも踏んだかのように足を退けた。

ブラッド・シャークは泥の塊のように床へ崩れ、夜凰を見る眼には底なしの恐怖だけが残った。

――木村博士は、いったい何をここへ送り込んだ?

菅田汐里はポケットから煙草を一本、それから黒いリモコンを取り出す。

ブラッド・シャークの瞳孔がきゅっと縮む。

監獄の自壊システム――その起動装置。

「不思議?」菅田汐里は煙を吸い、薄く笑う。「私がブラッド・プリズンに来るのに、何の備えもないとでも?」

灰をブラッド・シャークの身体に落とし、輪を吐く。笑みは残忍だった。

「さあ、ゲームの時間」

次の瞬間、刑務所中の灯りがぷつりと消え、闇が落ちる。

警報が命を急かすように鳴り響き、電子機器は一斉に沈黙した。

「正気か! ここには重刑犯が三千人いるんだぞ、制御不能になったら――!」ブラッド・シャークが目を剥く。

菅田汐里はむしろ愉快そうに笑う。

「始まったばかりよ」

全独房のロックが同時に解除され、がちゃり、がちゃりと金属音が連鎖する。

吠え声、狂笑、駆ける足音が四方から押し寄せた。

菅田汐里は床のブラッド・シャークを一瞥もしない。監視カメラ室の方向へ歩き出す。

道中、暴動の囚人が互いを裂き、看守が逃げ惑い、刑務所は血に染まった炼獄へ変わっていく。

メインコントロールルームに辿り着いたとき、木村博士はヘリへ乗り込もうとしていた。

「止めろ!」木村博士が護衛に怒鳴る。

菅田汐里は突っ込んできた警備の首を片手で捻じ折り、淡々と距離を詰めた。

「組織がニューロン同期技術を欲しがってるのも、内通者を仕込んだのも、ブラッド・プリズンで私に吐かせるつもりだったのも――全部知ってる」

コンソールの前で足を止め、指が鍵盤を疾走する。

「だから――乗ったの。あなたたちの策に」

モニターが点灯し、カウントダウンが表示された。

『00:00:59』

「何をするつもりだ……」木村博士の声が震える。

「この島の地下には、千トンの高性能爆薬が埋めてある。暴動が手に負えなくなった時、全部を消すためのもの」

菅田汐里は淡々と言った。

「今、それを起動した」

「狂ってる! お前も死ぬんだぞ!」木村博士の顔から血の気が引き、体が小刻みに震える。

菅田汐里は笑った。眩しいほどに、そして傲慢に。

「暗夜を作ったのは、守りたい人間を守るため。でも、あなたたちは技術のために彼らを殺した。今の私が気にするのは――あなたたちが私と一緒に地獄へ落ちるかどうか、それだけ」

『00:00:30』

木村博士が狂ったようにコンソールへ飛びつく。

だが菅田汐里の一撃が膝を砕き、木村博士は崩れ落ちた。

「最後に一つ」菅田汐里は窓の外、立ち上る火光を見つめ、囁く。

「データはとっくに焼いた。この世に、もうニューロン同期技術は存在しない」

『00:00:00』

天地を割る爆発が、すべてを呑み込んだ。

――

J市・第三高校。

体育倉庫の扉が乱暴に蹴り開けられ、女子生徒数人が鼻を押さえて後ずさった。

「くっさ。あのデブ、ここで一晩過ごしたんじゃない?」

「自業自得だよ。ブスのくせに加藤先輩にちょっかい出すから」

「ねえ、生きてる?」

一人が、隅で丸まっている影をつま先で蹴った。

影が微かに動き、ゆっくりと顔を上げる。

乱れた髪が、赤く腫れたニキビだらけの顔に張り付いている。濡れ切った制服が肥満体を浮き彫りにし、醜悪なはずのその顔で――眼だけが異様に光っていた。

冷たい。血に飢えたような。すべてを壊す狂気。

「なに見てんのよ!」先頭の女子がその視線にぞっとし、もう一度蹴りを入れようとする。

だが今度は――足首が、熱い手に掴まれた。

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