第2章 死体憑依での転生

「――っ! やだ、離して! 放しなさいよ!」

女子生徒が喉を裂くように叫んで暴れる。だが、びくともしない。

足首を掴むその手は、鉄の万力みたいに彼女を床へ縫い止めていた。

菅田汐里はその力を借り、ゆっくりと立ち上がる。

――身体が、やけに重い。

逞しい腕。太い腿。自分の肉を見下ろして、わずかに眉を寄せた。

死んでいない?

でも、私はブラッド・プリズンで……。ここは、どこだ。

考えるより早く、知らない記憶が濁流みたいに脳へ流れ込んできた。

他人の人生。惨めで、無視され、踏まれ続けた少女の人生。

汐里は目を細める。闇の奥で、瞳がゆっくり光を帯びた。

――借り物の身体で、蘇る。

ふん。科学じゃ説明できないことも、起きるってわけだ。

「くそデブ! さっさと放せ!」

色だけ強い声が、汐里の意識を引き戻す。

汐里は相手を一瞥し、じり、と一歩詰めた。

背丈は頭ひとつ分、こちらが高い。肌を刺すような冷えた圧を纏い、静かに問う。

「昨日の夜。私をここに閉じ込めたのは――お前ら?」

「そ、そうだけど! だから何よ!」

女生徒は虚勢を張って叫ぶ。

「そのツラでデブのヒキガエルが加藤先輩を好きとか、あり得ないんだけど! ちょっと懲らしめただけ――」

言い終える前に、汐里は手を放した。

「うわっ!」

女生徒は勢い余って尻もちをつき、床にべしゃりと座り込む。

「懲らしめる?」

汐里はその言葉をなぞるように繰り返し、ふっと笑った。

その笑みひとつで、そこにいる全員の背筋が凍る。

「いいわ」

固まった指を一本ずつ動かす。ぽき、ぽき、と小さな音。

「本物の『懲らしめ』ってやつを――教えてあげる」

体育倉庫の扉が、ゆっくり閉まった。

五分後。

扉が再び開き、菅田汐里が出てくる。

背後には、女子生徒たちが折り重なるように転がっていた。顔は腫れ、青紫の痣だらけ。だが不思議と、致命的な怪我はない。

数歩進んだところで、汐里の足がふらついた。

壁に手をつき、心の中で舌打ちする。

――この器、最悪。

頭が重い。熱も上がっている。

汐里は洗面所へ向かい、冷水で無理やり熱を落とした。

洗面台の前。鏡の中にいるのは、見知らぬ顔。

十六、十七。花の盛りのはずなのに、赤く腫れた肌と、過剰な肥満で目も当てられない。

汐里はむくんだ頬に触れ、すぐに理解した。

毒だ。代謝を壊すタイプの慢性毒。体重が増え、皮膚が荒れていく――だからこうなる。

この身体の持ち主も、随分と可哀想な子だ。

母は三歳で病死。父は半年もせずに再婚し、継母を家に入れたうえ、同じ年頃の連れ子まで連れてきた。父は仕事で家を空けがち。少女の生活はすべて継母の手の中。

犯人なんて、考えるまでもない。

汐里は鏡の中の自分に、明るい笑みを向けた。

――この身体を借りる以上、あんたの恨みも厄介も、まとめて私が片づける。

今日から私は菅田美波。

地獄から這い戻って、すべてを取り返す菅田美波だ。

洗面所を出ると、冷たい水滴が前髪から頬へ落ち、皮膚の熱を一時的に鎮めた。

そのとき廊下の向こうから、ばたばたと足音。泣き声まで混じって押し寄せる。

「木村先生! さっきの子です! 菅田美波がいきなり狂ったみたいに殴ってきて!」

さっきまで床に転がっていた四人が、眼鏡の中年女性教師を取り囲み、怨毒の目で汐里を指さした。

木村芽衣が早足で近づき、眉を寄せる。

「菅田美波、どういうこと? 高木寧音たちが、あなたに殴られたって言ってる。説明しなさい」

汐里はまぶたを持ち上げ、女生徒たちを一瞥してから木村芽衣へ視線を戻す。

口元だけで笑った。

「証拠は?」

木村芽衣が一瞬言葉を失う。

「……え?」

「言った者勝ちですか?」

汐里は小首を傾げ、高木寧音へ嘲るように視線を向けた。

「証拠、あるの?」

高木寧音が詰まり、すぐ金切り声を上げる。

「この顔が証拠でしょ! まさか自分で転んだって言うの?」

「さあね」

汐里は温度のない笑みを浮かべる。

「人を体育準備室に閉じ込めて冷水を浴びせるような連中なら、自分が歩き損ねて何回かすっ転ぶのも、十分あり得る」

木村芽衣の眉間に皺が深く刻まれた。

「体育準備室? どういう意味?」

汐里は淡々と言い切る。

「昨夜、夜間自習の後で呼び出されて体育倉庫へ行かされました。外から鍵をかけられて、スプリンクラーまで作動させられた。私は一晩、あそこで過ごしたんです」

一拍置き、目が冷たくなる。

「信じないなら、向かいの実験棟の監視カメラを確認してください。倉庫の入口が映る角度です。昨夜鍵をかけたのが誰で、今朝開けたのが誰か――全部残ってる」

高木寧音たちの顔色がすっと落ち、視線が泳いだ。

木村芽衣はその反応を見逃さなかった。真実だと察したのだろう。だが、何かを計算したように表情を硬くする。

「……それでも、あなたが暴力を振るったのは事実よ。性質が悪い。保護者に連絡します」

「ご自由に」

汐里は淡々と返した。むしろ会いたい。あの継母に。

木村芽衣は、目の前の少女の黒い瞳に、言いようのない圧を感じた。

普段は無口で成績も底辺。そんな生徒が、どこか別人みたいだ。

三十分もしないうちに、菅田美波の継母、菅田美幸が継妹の菅田雨子を連れて職員室へ現れた。

菅田美幸はきちんとしたワンピース姿。手入れの行き届いた顔に申し訳なさを貼り付け、入るなり木村芽衣へ深く頭を下げる。

「木村先生、このたびは本当に申し訳ございません。ご迷惑をおかけして……美波はきっと、また気が迷って――」

そう言いながら汐里へ向き直り、いたわるふりをした責めを滲ませる。

「美波、どうして喧嘩なんてしたの? 高木寧音さんたちに謝りなさい」

菅田雨子も母の後ろで小さく頷いた。

「お姉ちゃん、どんなことがあっても手を出しちゃだめだよ。ちゃんと話せば――」

菅田汐里は顔を上げ、母娘を見据え、ゆっくりと言葉を吐き捨てた。

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