チャプター 2
エミリーはしばらくパトリシアと遊んでいたが、ほどなく眠気に負け、パトリシアの腕の中でうとうとと舟をこいだ。
まだ三歳とはいえ、パトリシアがよく食べさせていたせいで、抱えるには少し重い。
「ほら、エミリーは僕が抱くよ」チャールズが進み出て手を伸ばしたが、パトリシアはそれを制した。「起こさないで」
そう言うと、近くにいた給仕の女性にエミリーを渡し、休ませるように言いつけた。
少し離れたところでそれを目にしたアイリーンは、顔が瞬く間に強ばり、伸ばしかけた手が宙でぎこちなく止まった。
ワインを取りに行っていただけなのに、パトリシアが出てきている――。
チャールズの視線がパトリシアに釘づけになっているのを見て、アイリーンは怒りに奥歯を噛みしめた。
いったい誰が自分の命令に背いて、パトリシアを出したのか。突き止めたら、ただでは済ませない。
だが、腹の底で煮え立ちながらも、アイリーンは取り乱さなかった。舞踏会の相手にはすでにチャールズを指名している。
舞踏会でチャールズと踊りさえすれば、恥をかくのはパトリシアのほうだ。
アイリーンは息を整え、いつもの優雅さを取り戻してチャールズのほうへ歩き出そうとした。そのとき、パトリシアがふいに進路を塞ぎ、怒りを露わにして立ちはだかった。
アイリーンは警戒するように目を細めた。「いったい、何をするつもり?」
アイリーンより背の高いパトリシアは、片目の端から見下ろすように彼女を捉え、視線を逸らさない。柔らかな声が、ゆっくりと沈黙を割った。
「ジャクソンさん。ずいぶん堂々と、悪いことをなさるのね」パトリシアは目を離さずに言った。
パトリシアは、アイリーンが昔からチャールズを好いていることを知っていた。
前の人生で、アイリーンは彼女を奥の部屋に閉じ込めた。ようやく解放されたときには、皆に嘲笑されていた。
アイリーンは慰めるふりをし、その場を利用して自分の株を上げた。あの夜以来、誰もがアイリーンの美しさと優しさを褒めそやした。
パトリシアの冷たい眼差しに、アイリーンはぞくりと身を震わせた。赤い唇がわずかに開き、その穏やかな声は凍りつくほど冷ややかだった。
「私を閉じ込めておいて、監視カメラがあるかもしれないって、考えなかったの?」
アイリーンは身体をこわばらせた。パトリシアが皆の前で自分を暴くつもりだと悟り、焦りながら逃げ道を探す。
チャールズが近づいてくるのが見え、アイリーンは素早く哀れっぽい表情を貼りつけた。「パトリシア、何のことか分からないわ」
「そう? じゃあ、防犯室へ行って映像を確認しましょうか」パトリシアの声は氷のようだった。
アイリーンはパトリシアを踏み台にしてのし上がるつもりだったが、パトリシアはその機会を与えなかった。
ここへ来る前、パトリシアは防犯室に立ち寄り、高価なネックレスをなくしたから監視映像を確認したい、と申し出ていた。
政財界の要人が多く集まるホテルとしては、手落ちは許されない。結果、パトリシアに映像確認を許可した。
パトリシアはその映像を記録していた。
チャールズが素早く前に出て、パトリシアの腕を掴んだ。「パトリシア、騒ぐのはやめろ」
声は低く、聞こえるのは三人だけだった。
チャールズが自分を庇うのを見て、アイリーンは内心ほくそ笑んだ。
だが、パトリシアは引く気配がない。涙を浮かべた目でチャールズを見上げ、袖をきゅっと掴んだ。
「パトリシアは私のことを誤解しているのよ。私はずっとあなたと一緒だったでしょう? そんなこと、できるはずがないわ」
周囲の人々も異変に気づき、ひそひそと囁き合い始めた。
会話の内容と刺すような視線を感じながら、チャールズは今が対立の場ではないと悟った。パトリシアが大げさに騒ぎ立てることに苛立ちが募る。
彼はパトリシアを引き寄せた。「彼女がそんなことをするはずがない。きっと誤解だ。話はあとでしよう」
パトリシアは彼を睨みつけ、手を振りほどいた。「私を支配しようとしないで。自分のことだけ心配してなさい」
チャールズは面食らった。「……何だと?」
広間にはピアノの音が満ち、給仕が客たちに、まもなくダンスが始まると告げた。
チャールズはパトリシアに向けて腕を差し出し、軽く揺らして、手を取れと合図する。
だがパトリシアは見向きもしない。高い踵を鳴らし、すたすたとその場を離れていった。
駆け寄ってきたポールは、その光景を目にして膝が崩れそうになった。
なんてことだ。パトリシアは大胆すぎる。あれほど露骨にチャールズを袖にするなんて! 今のチャールズがどれほど怒っているか、想像するだけで背筋が寒くなる。
独身も既婚も、男女がダンスフロアの縁に並び、相手を選ぶ準備を整えていた。
体に沿うドレスがパトリシアの優雅な曲線を際立たせる。先ほどまで声をかけたがっていた男は多かったが、彼女がチャールズの妻だと聞くや、皆さっと引いていった。
少し離れた場所に立つチャールズは、ぼんやりと座るパトリシアを見つけた。腹を空かせた狼のような目で男たちが彼女を囲んでいる。
声をかけようとした、その瞬間――誰かの手が彼の腕に絡みついた。
チャールズは眉をひそめて振り返る。顔には露骨な苛立ちが浮かんでいた。
アイリーンは自分が最も魅力的だと思う姿勢を作り、はにかむふりをする。「チャールズ、私と踊っていただけますか?」
通りかかったカルヴィン・スコットが二人に目を向け、にこやかに笑った。「ジャクソン嬢とアンダーソン氏はずいぶんお近い。危うくジャクソン嬢をアンダーソン夫人と間違えるところでしたよ」
褒め言葉にアイリーンの胸は得意げに膨らんだが、表情は慎ましく取り繕う。「カルヴィン、そんなこと言わないで」
――もっと言って。そう、もっと。
チャールズは眉間に皺を刻み、視線を深く鋭くした。
カルヴィンはチャールズの顔から目を外し、礼儀正しい微笑を残して立ち去った。
騒ぎに気づいたパトリシアは、アイリーンがチャールズの腕にしがみついているのを見て、汚らわしいものでも見たかのように眉をひそめた。
前世で舞踏会に出損ねたあと、アイリーンとチャールズの噂が広まり始めたことを思い出す。どうやらこの頃から、二人は絡み合っていたのだろう。
そう考えた途端、胃の奥がむかついた。
チャールズがこちらを睨みつけているのが見えても、パトリシアは構わなかった。顔を向けると、カルヴィンが近づいてくる。
「このダンス、いただけますか?」カルヴィンが紳士的に手を差し出す。
パトリシアは、じっと自分を見据えるチャールズに視線を投げ、薄く笑った。そして細い手をカルヴィンの手に預ける。
チャールズの目が一瞬で冷えきり、凍えるような怒りが満ちた。
それを見たアイリーンは内心で小躍りし、パトリシアを愚か者だと罵った。アンダーソン夫人のくせに、どうしてこんな真似ができるの?
「チャールズ、パトリシアはあまりにも失礼です。こんなふうに恥をかかせるなんて、ひどすぎます!」
アイリーンは仲を裂こうとしたが、チャールズが黙ったままなのを見ると、さらに腕に縋りつき、甘ったるい声で言った。「私なら、あなたと踊れますよ」
チャールズは腕を引き抜き、一歩退いた。「踊りたいなら、他の相手を探せ」
信じられない。チャールズは、彼女をそこに置き去りにしたのだ。
チャールズは給仕に酒を頼み、二階へ向かった。
二階は酒と菓子のセルフサービスの区画になっていて、下のダンスフロアを見下ろせる。
彼は一人で杯を傾け、視線を決して外さなかった。フロアの中央で、踊りながら笑い合う二人から。
