チャプター 5
テアにそう言われると、ミッシーはいっそう腹を立て、噛みつくように言い放った。
「ばかばかしい! 私はあの子の年長者よ! それなのに下りてきて挨拶もしないですって? 自分を何様だと思ってるの? 恥さらしもいいところだわ!」
パトリシアとチャールズが正式に婚姻届を出したのは、すでにひと月近く前のことだった。
パトリシアがアンダーソン邸に移り住んだその日、ミッシーは海外にいた。留学中の娘を訪ね、ついでに小休暇を取っていたのだ。
そこへテアから電話が入った。チャールズに私生児がいて、ウィリアムが「その娘と結婚しろ」と言い張っている――そう告げられたのである。
ミッシーは怒りに震え、その場で帰国便を押さえた。夫がどうしてウィリアムの馬鹿げた話に同意できるのか、問いただしてやるつもりだった。
だが、問いただすどころではなかった。戻った途端、ウィリアムに叱責を浴びせられ、怒りに油を注がれただけだった。
ミッシーには子どもが三人いる。長男のチャールズが群を抜いて優秀だった。
残る二人は、次男は役立たずで何ひとつ任せられず、娘は海外で勉強中だ。
ミッシーは幼いころからチャールズに大きな期待を寄せてきたし、チャールズは一度もそれを裏切らなかった。ウィリアムから商いを学び、仕事も人柄も申し分なく伸びた。
それなのに今、その自慢の息子が、素性も知れぬ女にたぶらかされたという。受け入れられるはずがない。
ミッシーは晩餐会でパトリシアに一度だけ顔を合わせたが、ろくに言葉を交わしてはいない。だがこのところ、パトリシアに関する映像は嫌というほど目にしていた。
どれほど持ち上げられようと、ミッシーは気に入らなかった。チャールズの妻になるべきは社交界の令嬢か、大富豪の娘に決まっている。
ミッシーの怒りを見て、テアは内心ほくそ笑んだ。もっと燃え上がれ、修羅場になれ、と。
「ほんと、あの女、自分が何者かだと思ってるのよね」テアはミッシーの肩を揉み、なだめるふりをした。「エリー、あの女を呼び下ろさないの? この家は、素性の知れない女が仕切る場所じゃないわ」
その言葉にミッシーの気分は少し晴れ、命令口調でエリーを睨んだ。
「エリー、あんた何を突っ立ってるの。今すぐ行きなさい!」
エリーは足が震えた。長年アンダーソン家に仕えてきて、この家で誰が権力を握っているかは骨身に染みている。
だが、この二人の機嫌を損ねるわけにもいかないし、二階のパトリシアを敵に回すわけにもいかなかった。
パトリシアが来て日が浅く、チャールズも彼女に冷淡に見える。それでも食事の手配から日々の細事まで彼が整えているのは、気にかけている証ではないのか……。
エリーは板挟みになり、ミッシーの命令に従うべきか決めかねていた。
エリーが動かないのを見るや、ミッシーは目の前のカップをひっつかみ、床へ叩きつけた。
「私の言うことが聞けないっていうの?」
カップは砕け散り、破片があたりに飛び散った。
床に座って絵を描いていたエミリーは、腰を抜かすほど驚いて、わっと大声で泣き出した。
「泣きやみなさい!」ミッシーは怒りの頂点で、誰も彼もが癇に障った。とりわけ、会ったこともないこの孫娘が。
「母親そっくりで鬱陶しい子! 入ってきてから挨拶ひとつしないじゃない。口がきけないの?」
ちょうど用事があって家に戻ったチャールズが、この光景を目にした。彼はすぐに歩み寄り、エミリーを抱き上げると、ミッシーとテアを氷のように睨みつけた。目の奥に怒りが満ちている。
「ここで何をしている」
チャールズの突然の帰宅にミッシーはぎょっとし、言葉が出なかった。彼女はテアに視線を投げる。
「チャールズ……」テアは緊張で唾を飲み込んだ。
彼女はチャールズが怖く、これまで面と向かって見上げることすらできなかった。現場を押さえられた今、テアは思わず身を縮めた。
「母さんと一緒にパトリシアに会いに来たんです。エリーが、パトリシアは誰にも会わないって言ってて。母さんはわざわざここまで来たのに、彼女は下りてこなかった。私たちは……」
「私はあの子の義理の母親よ。客として来たのに、顔も合わせないっていうの?」ミッシーはエリーの言葉を聞いて、ますます自分が正しいと思った。
「会うために、そこまで騒ぎ立てる必要があったのか?」チャールズの目は冷たく、ぞっとするほどだった。
ミッシーは言葉に詰まり、とっさに言い訳を探した。「そんなつもりじゃなかったわ。でも、あの子はここに長くいるのに、いっこうに私に会いに来ないじゃない。わざと避けてるのかもしれないでしょう?」
チャールズはじっと彼女を見据えたが、何も言わなかった。
ふいにミッシーは、ネットで見た晩餐会の映像――そこに映っていたアイリーンのことを思い出した。今日は友人のエディス・ウェスト、つまりアイリーンの母親に頼まれて来ている。チャールズに、きちんと説明してもらうためだ。
「チャールズ、アイリーンの件がネットで大騒ぎになってるの。あなたが対処しないと。あの子、相当つらい思いをしてるわ」
ネットではアイリーンが残酷だと叩かれ、怖くて外にも出られないという。
ミッシーはずっと、アイリーンを家族同然に思ってきた。チャールズが突然ほかの女と結婚さえしなければ、ジャクソン家を訪ねて、彼らの考えを聞くつもりでいたくらいだ。
だが今となっては姻戚にもなれず、それでもアイリーンが非難されるのを見るのは胸が痛かった。
「何を説明する?」
「アイリーンはあんな子じゃないの」ミッシーは焦ったように言った。「誰かが裏で糸を引いて、悪意で騒ぎを大きくしてるのかもしれないじゃない」
「映像は本物だ。説明することなどない」チャールズはエミリーの背をやさしくぽんぽんと叩き、エリーに視線を向けた。「パトリシアはどこだ?」
エリーは二階を見上げた。「パトリシア・アンダーソン夫人は二階で休んでいらっしゃいます。お邪魔しないでほしいと」
チャールズは眉をひそめ、エミリーがくすん、と鼻を鳴らすのを聞いた。「パパ……ママ、具合がよくないの」
「……ん?」
「ママ……毎月、数日だけ具合が悪くなるの」
エミリーの言葉に、ミッシーとシーアの顔色がみるみる悪くなった。遠回しに面と向かって叩かれたようなものではないか。
チャールズは二人を一瞥した。「パトリシアは体調が悪い。会うのは数日後だ」
その視線がシーアに落ち、いっそう冷たくなる。「だが次は、こんなふうに娘を怯えさせたくない」
「……はい。二度といたしません」シーアはその目に射抜かれ、頭皮がひりつくようだった。
ミッシーはこれ以上ここにいたくなかった。チャールズに二言三言だけ告げ、シーアを連れて帰った。
外に出るなり、シーアは堪えきれずに嘲るように言った。
「お母さん、さっきのチャールズ、パトリシアに冷たくなかったよね。ふたり、仲が良さそうだった」
シーアは嫉妬していた。名家の生まれの自分は夫に大事にされないのに、出自も知れない女がどうして――。
「仲がいい?」ミッシーは先ほどの一件を思い出して腹が立ったが、チャールズの態度を認めたくはなかった。「あれは子どもが怖がったから気にしただけよ。あの女にどれほど情があるっていうの」
シーアもうなずく。
「私もそう思う。チャールズが大事にしてるのは、あの子どもだよね」
屋敷の中では、エリーが立ち尽くし、どうすべきか迷っていた。
チャールズが尋ねた。「薬は飲ませたか?」
「い、いいえ……まだです。奥さまは休むとだけ……」
チャールズはうなずいた。「あとで蜂蜜湯を持っていってくれ」
「はい、はい」エリーはおずおずと返事をし、恐る恐る訊いた。「アンダーソン様、今夜はご自宅でお食事を?」
それを聞いたエミリーが、チャールズにこっそり囁いた。「パパ、一緒にごはん食べて」
「わかった」
チャールズはしばらくエミリーと遊び、夕食の時間になると別の使用人にエミリーを食事へ連れて行かせた。
そして自ら蜂蜜湯を手に取り、パトリシアの様子を見に二階へ上がった。
