第6話
吹っ切れてから、和也とはもう一切関わりたくないと思っていた。
彼と寧々のことなんて、なおさらどうでもいい。
和也の今の評判や立場を考えれば、この件は間違いなく彼にとって大きなダメージになるはずだ。
だが、それは私の考えすぎだった。騒ぎが大きくなっても、和也は全く動こうとしない。気づいていないのか、それとも黙認しているのか。
それに比べて、寧々の方はよほど焦っているらしく、わざわざ電話をかけてきた。
夜の静寂を切り裂くような着信音が、やけに耳障りだ。出る気にはなれない。
しかし相手は諦めることを知らないのか、何度もしつこく鳴らし続けてくる。
私はスマホをマナーモードにして、放置することにした。
だが、私は寧々の執念を甘く見ていたようだ。
電話が繋がらないとわかると、今度は別のアカウントを使って次々とメッセージを送りつけてきた。
画面が点滅を繰り返し、その眩しい光のせいで完全に目が冴えてしまった。
無意識のうちにあの親密そうな写真が脳裏をよぎり、心がざわついて仕方ない。
もうすぐ離婚するのだから気にするなと、自分に言い聞かせていた。それでも、寧々に真正面から挑発されると、完全に割り切ることなんて到底できなかった。
どうしても眠れず、私はとうとうスマホを手に取り、寧々に折り返した。
発信して数秒も経たないうちに繋がった。まるでずっと待っていたかのように。
受話器の向こうから、寧々の苛立ちに満ちた声が飛んでくる。
「葵、ネットにあんなの上げるってどういうこと? わざとでしょ!」
私は鼻で笑い、当然のことのように言い放った。
「もちろん、藤原さんと同じ意図よ。藤原さんがどういうつもりであの写真を送ってきたのか――それと同じ目的で、私も投稿しただけ」
その一言に寧々は言葉を詰まらせた。怒りのあまり、数秒間沈黙が落ちる。
向こうから喧嘩を売ってきたのだ。こちらが遠慮してやる義理はない。
どんな事情があろうと、私は最初から最後まで、和也に借りなど一つもないのだから。
数秒置いて、再び寧々が口を開いた。今度は打って変わって、勝利者を気取るような口調だった。
「あなたが何をしようと、兄さんは私を信じるわ。兄さんと私は小さいころからずっと一緒なの。あなたみたいなよそ者とは絆が違うのよ」
「勝手にすれば。私はゴミがどう思おうと興味ない。ゴミ拾いが好きなら、どうぞご自由に」
笑える話だ。法的な妻である私が、彼女の口にかかればただの「よそ者」扱いなのだから。
そのとき、受話器の向こうから聞き覚えのある男の声がした。
「寧々、薬を飲んだんだから、早く休め」
間違いない。私の夫であり、寧々の兄である和也だ。
その声は驚くほど優しく、隠しようのない気遣いに満ちていた。
私は無意識にスマホを強く握りしめ、視線を落とした。
こんな状況になっても、二人は一緒にいるのか。
和也がそばにいるからか、寧々の声から先ほどの刺々しさが消えた。わざとらしく甘えるような声色に変わる。
「兄さん、苦しくて眠れないの。今日は一緒にいてくれる?」
和也はすぐには答えなかった。
二人のやり取りを聞きながら、私の胸の内に名状しがたい感情が渦巻く。
数秒の沈黙の後、和也の断る声が聞こえた。
「こんな時間まで残るのはよくない。葵の具合が悪いんだ。一度戻らないと」
その言葉を聞いて、私は一瞬息を呑んだ。
――知っていたのだ。あの時、私が苦しんでいたことを。
それでも彼は、私を置き去りにすることを選んだのだ。
今さら取り繕おうとしたところで、私にとってはもう何の意味もない。
驚いたのは私だけではなく、寧々も同じだったようだ。
「兄さん、葵のところへ帰るの? でも、私もすごくつらいのに……お願い、残ってよ」
電話の向こうで、寧々が必死に引き留めている。
私はそのまま通話を切った。和也がどう答えるかなど、もう聞きたくなかった。
聞けば、また失望させられるのが目に見えていたから。
ベッドに横たわり直すと、私は和也の連絡先をすべてブロックした。
その後、どうやって眠りについたのかは覚えていない。疲れのせいか、それとも薬が効いたのか。
再び目を覚ました時、梨乃はもう帰った後だった。
そして今日、私は和也と暮らしていた家へ戻らなければならない。
家を出たとはいえ、あの時は着替えしか持ち出していなかった。
別れると決めた以上、残りの荷物を置いておく理由はない。完全に終わらせるべきだ。
昨夜の写真は大きな波紋を呼び、今もまだトレンドのトップに張り付いている。
和也が火消しに動かないのは意外だった。
家に着くと、留守番をしているのはお手伝いの吉田だけだった。
私の姿を見るなり、吉田は驚いた顔で駆け寄り、諭すように言ってきた。
「奥様、やっとお戻りになられたのですね。ここ数日、奥様がいらっしゃらないせいで、和也様はろくにお食事も喉を通らないご様子で。本当は奥様のことを気にかけておいでなのです。ただ、意地を張っておられるだけで」
その言葉に苛立ちを覚え、私はきっぱりと遮った。
「私は和也と離婚します。今日は残りの荷物をまとめに来ただけ。あの人の話はしなくて結構です」
そう言い捨てて、私は自分が使っていた客室へ向かい、黙々と荷物をまとめ始めた。
私の決然とした態度を見て、吉田もそれ以上は何も言えなくなったようだ。
片付けを終えて家を出ようとした時、見慣れた黒のマイバッハが庭に滑り込んできた。
和也だ。
よりによって、最悪のタイミングで帰ってきた。
私は気にせず、自分の荷物を車に積み込む。
和也も私に気づいた。
彼の目は一瞬で険しくなり、咎めるような口調でこちらへ歩み寄ってくる。
「俺をブロックしたってのはどういうつもりだ。ネットの件、ちゃんと説明してもらうぞ」
私は手を止め、彼と真っ向から視線を合わせた。
「別にどういうつもりもないわ。藤原さんの代わりに公表してあげただけ。連絡先については、もうやり取りする必要がないからよ。離婚の件は私の弁護士を通してちょうだい」
私の冷めた態度に、和也は怒りを隠しきれず、歯を食いしばって言った。
「いい度胸だな、葵。電話が鳴り止まなくて、ようやくお前の仕業だって気付いたぞ」
助手席から寧々が降りてきて、わざとらしく宥めるように言った。
「兄さん、葵は誤解してるのよ。怒らないであげて。全部私のせいなの。昨日、兄さんを呼ばなければ、葵もネットにあんなこと書かなかったのに」
この時になって初めて、私は寧々の存在に気づいた。
その口ぶりからして、適当な言い訳を並べて、すべての責任を私に押し付けたのだろう。
「お芝居はもう済んだ? 本当のところはどうなのか、あなたが一番よく分かってるはずでしょ。今さら何を猫かぶってるの」
私は冷ややかな視線を向け、容赦なく核心を突いた。
寧々の顔が引きつったが、それでも必死に堪え、私に歩み寄るふりをした。
「葵、私と兄さんは本当に何もないの。嫉妬で間違ったことをしないで」
そう言いながらも、横から火に油を注ぐことは忘れない。
「兄さん、私はもう大丈夫だから。この事はもう水に流しましょう」
その手口は、和也には見事に効くらしい。
私は二人の前で、遠慮なく堂々と白目を剥いた。
「あなたたちの三文芝居に付き合ってる暇はないの。どいて」
これ以上説明する気すら起きない。どうせ私が何を言ったところで、和也は信じないのだから。
