第4章
「別れる、だと?」
司は怒りで顔を真っ赤にした。
「この関係を終わらせるかどうかは、俺が決める」
「司、彼女の言うこと聞きなよ」床に座り込んだ麗奈が鼻で笑う。
「奨学金の貧乏ネズミのくせに、自分が何者だと思ってるの?」
周囲の金持ち連中が囃したてる。
「三日ももたないさ。すぐ泣きついて戻ってくる。お前にすがって、許してくれってな」
相手にする価値もない。私は一言も返さず、迷いの欠片もなく背を向けて歩き出した。
麗奈は手を伸ばして司の腕にすがりつく。
「ねえ、別に本気で怒ってないでしょ? あんなゴミ、いらないじゃん」
司は乱暴に振りほどいた。麗奈に視線すらくれず、漆黒の瞳だけが、遠ざかる私の背中を射抜くように追っていた。
安物のバッグの中で、スマホが容赦なく震え続ける。ひび割れた画面に、司の名前が何度も何度も点滅した。
「電話に出ろ、結衣」
「バカなこと言わないで」
「車を呼んだ。今すぐ戻ってこい」
私はスワイプして電源を切った。
翌朝、女子更衣室。
まだ体操服に着替えもせず、いちばん暗い隅で、黙って靴ひもを結んでいた。
重い扉が勢いよく開く。体育でグラウンドにいるはずの麗奈が、まっすぐ私のロッカーへ向かってきた。
彼女は、ダイヤがぎっしり埋め込まれた重たそうなアンティークのネックレスを取り出し、ロッカー扉の通気口の隙間から無理やり押し込んだ。
私はスマホで録画を開始した。拳が白くなるほど握りしめる。数十万どころじゃない、何十万ドルもの価値がある代物。退学どころか、私を刑務所送りにするつもりだ。
ネックレスが金属の底に落ちる鈍い音を聞いた麗奈は、病的な勝ち誇りの笑みを浮かべ、足早に出ていった。
三十分後、教室のど真ん中で、麗奈がヒステリックに泣き叫んでいた。
「ネックレスがない! おばあちゃんのアンティークのダイヤの形見なの! 五十万ドルもするのに! 誰かが盗んだの!」
涙で濡れた目が、突然、私を捉える。教室が凍りついたように静まり返った。
「私、この目で見たんだから! 結衣が更衣室にこそこそ戻っていくの! あんたが盗んだの?」震える指で私を指さす。
私は冷ややかに視線を返した。
「証拠は? 麗奈」
「証拠なんていらないわよ、貧乏ネズミには! ここでお金に必死なのはあんただけ! ロッカー調べて!」
教室が一気に沸騰した。生徒たちが押し寄せ、首を絞めるみたいに距離を詰めてくる。
「やっぱり奨学金ネズミ! ロッカー開けろ!」誰かが叫んだ。
「どけ」
司が人だかりを割って進み出た。目の下には濃い隈が落ちている。
麗奈は即座に被害者の顔を作る。
「司、あの子が形見を盗んだのに、ロッカーも調べさせてくれないの。どう考えても黒よ」
司は苛立たしげに財布を取り出した。
「それ、いくらだ。小切手切る。もう終わりにしろ」
「私が盗ったって証拠はない」私はきっぱり言った。
司がこちらを向き、口調が硬い命令に変わる。
「結衣、騒ぐな。俺が払う」
真実なんてどうでもいいのだ。彼は私を泥棒だと決めつけ、しかもそれが私のためだと本気で信じていた。
「施しはいらない」私は吐き捨てた。
「だって、盗んでないから」
「こじ開けて見ればいいだけでしょ!」麗奈がクラスの男子二人に合図した。
二人は乱暴に私を押しのけ、ロッカーの扉を引きはがした。
ダイヤのネックレスが転がり落ち、金属の底に重たい音を立てて当たる。
「ほら見たことか! 泥棒! 刑務所行きよ!」麗奈が甲高く叫び、悪意に光る瞳で勝利を味わっていた。
「待て」
結人が群衆をかき分けて前に出た。がっしりした体格が、私を敵意の視線からすっぽり隠す。
「俺、今日部活に遅れそうでさ。チャイムのあと、麗奈が結衣のロッカーのあたりをうろついてるのを見た」
麗奈の顔から血の気が引く。
「嘘よ! あんた、あの子と寝たいだけで庇ってるんでしょ!」
私は無駄口を叩かなかった。スマホを取り出し、送信を押す。
全員のスマホが同じ瞬間に鳴った。誰かが、私が学校の大規模グループチャットに投下した動画を開く。
鮮明な高画質の映像には、疑心暗鬼のネズミみたいに更衣室へ忍び込み、ネックレスを堂々と私のロッカーに押し込む麗奈の姿が映っていた。
沈黙。教室の敵意は一瞬で向きを変え、麗奈へ一直線に突き刺さる。
麗奈は画面を呆然と見つめ、スマホを握る指が骨のように白くなっていた。
「結衣、大丈夫か?」結人が小さな声で訊く。
「大丈夫。ありがとう」私は彼にうなずいた。
司が乱暴に私を結人から引きはがした。怒り狂った獣のような顔だった。
「だから騒いでたのか? あいつと関係持って、俺を人前で恥かかせるつもりか」
私は感情の波ひとつ立たないまま、司の憤った顔を見返した。
「離して」
「昨日言ったでしょ、司。もう終わり。私たち、昨日で別れたの」私は腕を強く引き、鉄のような握力からもぎ取った。
司は勢いに耐えきれず、半歩よろけた。いつもまとっていた傲慢さが、みしりとひび割れる。
「結衣、やめろ」声を落とし、薄っぺらい優しさを無理やり貼り付ける。
「俺はお前を守ろうとしただけだ……金も払うって言った。信じるべきだった。もう二度としない。な? もうこれで終わりにして、忘れよう」
「守る?」私は鋭く、冷たく笑った。
「あんたが金で片づけようとしたのは、骨の髄まで私を泥棒だって思い込んでたからでしょ。最初から人間扱いしてない。あんたの目には、私はただの卑しい百姓にしか見えてない」
司はその場で凍りつき、反論の一言も出せなかった。
今さらの後悔なんて、どうでもいい。
呆けた顔を見つめながら、私は不思議なくらい落ち着いていた。
前の人生の私は、本気で彼を愛していた。尊厳を踏みにじられ、人前で辱められたとき、私は救いようのない馬鹿みたいに泣いた。
けれど今の私は、まるで他人を見るみたいに彼を見ている。あの愛情は、ずっと前に死んだ。
