第3章

 私の目はセレンに釘づけになった。

 彼女は、淡く光る脱出の魔法陣のそばにひとりで立っていた。黒髪は汗で額に貼りつき、戦闘用のジャケットは肩口が裂けている。

 見た目は、間違いなく――私の友だちそのものだった。

 だが今、この場で「友だちに見える」ことには何の意味もない。

「セレン」私は呼びかけた。

 淀んだ空気を、刃物みたいに声が切り裂く。

 セレンは瞬きをして、小首をかしげた。「……なに?」

「私の戦利品感知が、ノイズしか拾わない」平坦な声色を崩さず、私は嘘を吐いた。「でも、レアの肩はまだ黒いヘドロが血みたいに滲んでる。ニクスは足を引きずってる」

 私は、わざとらしいほどゆっくり一歩踏み出した。

「セレンは私たちの治癒術師だ。掘り進める前に、まず治して」

 短剣の柄を握る手に力が入りすぎて、指の関節がミシッと鳴った。

 ――ここだ。

 ボスは、怪物じみた擬態の魔物だった。六時間ぶっ通しで私たちに叩きのめされ、今は命をつなぎとめているだけのはず。

 記憶を奪える。顔を被れる。

 だが、超常のパーク――生命そのものを燃料にする治癒魔法は?

 瀕死の魔物には、そんなものは偽れない。

 もし、ためらったら。もし、魔法が霧散したら。

 私は喉を詰まらせる。

 セレンは私を見つめ、黒い瞳を揺らしながら、背後に立つ三人の少女へと視線を走らせた。無言の歩哨みたいに並ぶ彼女たちへ。

「……わかった」セレンが囁く。

 彼女はゆっくりこちらへ歩いてくる。

 私は息を止め、重心をずらした。いつでも飛びかかれるように。

 セレンが両手を上げる。

 金緑色の光が、掌から迸った。

 目の錯覚じゃない。幻でもない。

 指先からこぼれた純粋なエネルギーの光糸が、レアの肩に刻まれた深い呪いの裂傷へ絡みつく。ニクスの脚の、打撲と裂傷でずたずたの肉へ沈み込んでいく。

 黒いヘドロが、シューッと嫌な音を立てて蒸発した。新しい桃色の皮膚が、数秒で縫い合わされるように塞がっていく。

 本物の魔法だ。

 だが代償は、即座に――そして、ぞっとするほど残酷に現れた。

 セレンが息を呑み、膝が崩れる。

 金緑の光がさらに眩しく燃え上がり、彼女から命をまっすぐ吸い上げていく。

 私は一言も発せず見ていた。セレンの髪の、深く豊かな茶色の毛先から色が抜けていくのを。

 一本が、骨のように白くなる。次の一本も。やがて太い束がまるごと白に変わった。

 これが彼女の犠牲だ。私たちを癒すために、自分の寿命を燃やしている。

 生き残りたい魔物が、そんなことをするはずがない。魔物には、そんなことはできない。

 セレンはボスじゃない。

 光が消えた。

 セレンが崩れ落ち、硬い石床に鈍い音とともに倒れ込んだ。

「セレン!」ペトラが息を呑み、一歩踏み出す。でも距離は保ったままだ。

 セレンは起き上がろうともしない。四つん這いのまま、激しく荒い息を吐く。汗が顎から滴り、血に染みた床を濡らした。

 彼女はゆっくり顔を上げた。

 視線が、私とぶつかる。

 そこに迷いはなかった。あるのは、鋭く刺すような明晰さだけ。

「残ってた分は全部、あの子たちに使った」セレンが掠れ声で言う。疲労で声が震えていた。

 弱々しく、そして苦い笑みを無理に作る。

「戦利品感知が働いてるといいね、マレン……もう、これ以上は手伝えないから」

 血の気が一瞬で引いた。

 私は、彼女を見下ろしたまま固まる。

 残ってた分は全部。

 戦利品感知が働いてるといい。

 彼女が言っているのは治癒のことじゃない。

 ――嘘のことだ。

 セレンは知っていた。私のスキル表示が追っているのはボスだけだと。「戦利品感知」なんて、苦し紛れのでっち上げだと。

 それでも彼女は、自分の命を燃やしてまで本物だと証明した。私の側にいると示した。

 潔白を、突きつけてきたんだ。

 私は、震える息をゆっくり吐き出した。

 安堵が全身を洗い流したのは、たった一秒。

 次の瞬間、混じり気のない恐怖が津波のように胸へ押し寄せてきた。

 レアはオーバードライブで南京錠を壊した。よし。

 ペトラは幻影の手でランタンを落とした。よし。

 ニクスは位相移動で床に沈んだ。よし。

 セレンは生命力で治した。よし。

 四人ともパークを使った。

 四人とも本物だ。

 なのに、視界の隅に浮かぶ光文字は変わっていない。

【ボス状態 生存】

【偽装中】

 胃が底のない奈落へ落ちていく。

 あり得ない。筋が通らない。

 ――あり得るとしたら。

 私はレアの光る腕を見た。ペトラの震える手を。ニクスの揺らぐ影を。セレンの白い髪を。

 恐ろしく、そして信じがたい真実が、爪を立てて脳内へ食い込んできた。

 ボスは、ただ顔をコピーしただけじゃない。

 ただ記憶を吸い上げただけでもない。

 奴は――超常のパークそのものを、コピーしたんだ。

 ボスは私たちの力を、私たちに向けて使える。

 擬装で弱まってなんかいない。擬装で武装している。

 今この場で、私の分隊に完璧に溶け込み、手のひらの上で踊らされるように右往左往する私を眺めている。

「マレン?」レアの声が沈黙を破った。張り詰めていて、棘がある。

 私ははっと目を上げた。

 四人全員が、今は私を見ていた。

 恐怖と期待を同じ形にした、四つの表情。

 そのうち一つは完璧な鏡像だ。欠点のない偽物。

 そいつが私をまっすぐ見返し、次の一手を待っている。

「まだ見つからないの?」ニクスが訊く。わずかに目を細めて。

 喉が引きつった。

 全員を試した。なのに、完全に失敗した。

 もう、手がない。

 私は視界の表示にあるタイマーへ目を走らせた。

【00:38:14】

 山荘が崩落するまで、残り三十八分。ゲームに失敗して、この煉獄の住人――永久の非プレイヤーキャラクターになるまで、残り三十八分。

「……いや」私は囁いた。

 声が、空っぽに聞こえた。

「まだ見つけてない」

 私は後ずさりし、四人全員から距離を取る。

 ――誰なんだ?

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