第2章
山崎川は優しい眼差しで、さっと自分のスーツジャケットを脱ぎ、それを山本桜の肩にそっとかけてあげた。
彼は片手で山本桜を抱き寄せながら優しく慰め、もう片方の手で彼女の背中をリズミカルに軽く叩いていた。
山本桜がまだすすり泣いている間に、林田澄子はすでに交通警察から簡単に状況を聞き出していた。
山本桜の弟が運転する車が交通規則に違反し、曲がり角で直進車両に道を譲らなかったため、両車が衝突。さらにその直進車両が後続の3台に追突される事態を引き起こしていた。
責任は山本桜の弟にあった。
相手の車の運転手はかなり重傷を負い、腕を骨折し、意識不明の状態だった。
一方、山本桜の弟は額をぶつけただけで、本人の症状から軽度の脳震盪が疑われ、すでに救急車で病院に搬送されていた。
林田澄子は山崎川の背後に立ち、無表情で夫と愛人が耳元で囁き合う様子を見つめ、心に苦さと苛立ちを覚えた。
彼女は思わず山本桜を観察してしまった。
山本桜は丸襟のワンピースを着て、愛らしい顔立ちをしており、特にあの丸くて明るい瞳と、笑うとできる二つの小さなえくぼが印象的だった。
容姿も気質も体型も、間違いなく山崎川の好みどストライクだった。
清楚系女子。
何年経っても、山崎川の好みは変わらないままだった。
山本桜は涙を浮かべ、体を小刻みに震わせながらも、懸命に笑顔を作っていた。
「川くん、あなたって本当に優しいわ。あの時、私は助手席に座っていて、車が衝突した瞬間、もう二度とあなたに会えないかと思って...うぅ」
山崎川は辛抱強く慰めた。
「大丈夫だよ、すべて俺が処理するから」
「川くん、弟を助けてください。彼はわざとじゃないんです。まだ若くて、分別がないだけで...」
「分かった。秘書に指示して対応させる。君の弟に何も問題が起きないよう約束するよ」
山本桜は嬉しそうに頷き、無邪気な目で天真爛漫な笑みを浮かべた。
「川くん、本当に優しい」
林田澄子はそれを聞いて眉を上げ、心の中で冷笑した。
清楚系女子に魅了されて理性を失い、何が起きたのかもろくに確認せずに手助けを約束するなんて。
山本桜の弟は無免許運転をしていたのだ。
もっとも、山崎川にとってはそれは厄介ではあっても難しい問題ではなく、モラルを捨てるだけの話だった。
そのとき、後から気づいた山本桜は、遠くに立つ林田澄子の存在に気がついた。
彼女が林田澄子を初めて見た瞬間、その美しさに驚き、一瞬我を忘れた。
林田澄子は着飾る気もなく、シンプルなワンピース姿で、表情も冴えない。
そのかわいらしい装いは、林田澄子の冷たく気高い雰囲気を大きく損なっていた。
しかし、彼女の整った顔立ちは、化粧をしていなくても、その美しさを無視できないものだった。
山本桜は我に返り、心の中で密かに対抗心を燃やし始めた。
彼女はわざと山崎川の視界から外れたところで、林田澄子に挑発的な笑みを向けた。
その後、山崎川の腕の中に身を縮め、震える声で言った。
「川くん、この方は？どうして私をそんな風に見てるの？」
山崎川は顔を下げ、山本桜の濡れた無邪気な大きな瞳と視線を合わせた。
彼の心は柔らかくなり、子供をあやすように山本桜の背中を優しく叩いた。
そして顔を上げると、林田澄子に視線を移し、その目から優しさが消え、皮肉な口調で言った。
「ああ、彼女は山崎奥様だよ。人を見下すのが癖なんだ」
林田澄子は嘲笑した。この男は本当にベッドの中と外で別人のようだった。
彼女は彼らの駆け引きの一部になる気はなかった。
山崎川の言葉は山本桜の推測を裏付けた。
最初、彼女は目に見えて緊張し、大敵を前にしたかのように慌てていた。山崎川の妻に予想よりも早く会うことになるとは思っていなかった。
山本桜が会社に入ったばかりの頃、よく皆が噂話をしているのを聞いていた。
誰もが林田澄子の優れた容姿と驚異的な医学の才能を絶賛していた。
後に彼女は偶然秘書課に選ばれ、山崎川との関係がますます艶めかしくなり、野心満々と山崎奥様になりたいと思うようになった。
彼女は山崎川との関係が確定する前に、林田澄子に発見されることを恐れていた。
不安でいっぱいで、林田澄子と会った時に自分が見劣りするのではないかと心配していた。
山本桜は山崎川のシャツを握っていた手を思わず緩めた。
しかし、山崎川の言葉に含まれる皮肉に気づくと、山本桜の瞳が一瞬輝き、突然自信が湧いてきた。
愛されていないのは浮気相手の方だ。山崎川は彼女に対して、林田澄子よりずっと優しかった。
山本桜は明るい目をくるりと回し、素早く山崎川の腕から身を離し、甘い笑顔を浮かべて林田澄子に挨拶しようとした。
「お姉さん、こんにちは！私、山本桜です。川くんのアシスタントをしています」
一歩踏み出したとき、「ぎゃっ」という声と共に、山本桜は再び山崎川の腕の中に倒れ込んだ。
彼女は眉をひそめ、左足を指さしながら泣きそうな声で言った。
「川くん、足をくじいたみたい」
「見せて」
山崎川はすぐにしゃがみ込み、山本桜の怪我を確認し、冷静な表情の下には隠しきれない緊張があった。
林田澄子は意味深な目で山本桜を見つめ、視線が交わると、清楚系女子は宣戦布告をしているようだった！
山本桜は心臓が震えた。林田澄子の視線は、まるで人の心を見通すかのようだった。
林田澄子は突然妖艶に微笑み、何気なく肩の長い髪をかき上げ、赤い跡のついた白い首筋を露わにした。
キスマークに気づいた山本桜は顎を引き締め、歯茎をきつく噛みしめた。
嫉妬が雑草のように心の中で広がっていった。
山崎川は山本桜の足首を調べたが、どうすればいいのか分からず、ようやく隣にいる林田澄子のことを思い出した。
習慣的に命令口調で言った。
「林田澄子、早く桜の怪我を見てやれ」
林田澄子は胸の前で腕を組み、びくともしなかった。
山崎川の怒りが増し、無理やり林田澄子を引っ張って山本桜の前に連れてきて、冷たい声で言った。
「林田澄子、お前が医者だということを忘れるな」
林田澄子は目を回し、無表情で頭を下げ、山本桜の足首を見た。
山本桜の下手な演技はすぐに見破れたが、医者としての責任から、林田澄子は辛抱強く質問し、検査を行った。
「どうやってくじいたの？まだ動かせる？」
山本桜は怯えたように言った。
「どうしてか分からないけど、ちょっと動かしただけですごく痛くて...」
林田澄子の手が触れた瞬間、山本桜は息を飲み、目に涙が溢れた。
その速さは、水道の蛇口からの水よりも早かった。
山崎川は不機嫌そうに言った。
「もう少し優しくできないのか。桜は女の子だ、痛がりなんだ」
林田澄子は唇の端をわずかに曲げた。
「表面的には問題ないようだけど、痛みがあるなら筋や骨に傷があるかもしれない。病院で血液検査とCTスキャンをして状態を確認したほうがいいわ」
そんなに演技が好きなら、病院で演じればいい。ついでに彼女の収入にもなる。
山本桜は山崎川のシャツを引っ張り、つま先立ちになって山崎川の耳元に近づいて言った。
「川くん、もう遅いし、あなたとお姉さんはお帰りになって。私一人でも病院に行けますから」
その声は十分大きく、林田澄子にもはっきり聞こえた。
自分を励ますかのように、山本桜はもう一度繰り返した。
「私一人で大丈夫です」
山崎川の眼差しは、林田澄子が見たことのないような優しい愛情に満ちていた。
「大丈夫だよ、俺が付き添うから」
山本桜は顔を上げ、無邪気な目で、少し申し訳なさそうに尋ねた。
「でも、お姉さんはどうするの？怒らないかな？」
林田澄子はもう我慢できず、冷たい声で言った。
「誰をお姉さんって呼んでるの？」
山本桜の目はすぐに赤くなり、彼女は頭を振りながら手を振った。
「すみません、林田先生、わざとじゃないんです」
そう言うと、彼女は体を支えながら、林田澄子に向かって90度の深々とした礼をした。
林田澄子からの反応がなく、山本桜はなかなか身を起こそうとしなかった。
山崎川はすぐに怒り、山本桜の体を起こした。
「林田澄子、桜はお前より年下だ。お姉さんと呼んで何が悪い？なぜそんなに怒る？林田お嬢様の教養はどこへ行った？」
一言一句が林田澄子の心を刺した。
山崎川は知らないのだろうか、彼女の両親が二人目の子供を望んでどれほど必死だったか、そのせいで彼女が無視され、湖に落ちたことを。
それに、なぜ浮気相手に姉さんと呼ばせなければならないのか。彼女は相手に道を開く気はなかった。
「これが怒るって？私の両親は私一人しか産んでないから、彼女の『お姉さん』なんて務まらないわ。彼女の言い方を訂正して何が問題なの？」
林田澄子は嘲笑的な笑みを浮かべた。
「もういいわ、続けてて。私は付き合わないから。検査項目は同僚に伝えておくわ」
そう言うと、林田澄子は振り返ることなく立ち去った。
山崎川は林田澄子が振り向いた時の苦笑いを見て、胸に何とも言えない感覚が湧き上がった。
彼は足を踏み出し、追いかけようとした。
そのとき、山本桜がつぶやいた。
「ごめんなさい、わざとじゃなかったんです...」
