第3章

 翌朝、運転手が車をサン・ミシェル墓地の入り口に寄せた。雨に煙る窓越しに、すでにそこに佇むビアンカの姿が見えた。

 彼女はヴァレンティノの黒いスーツに身を包み、腰を真珠のベルトで締め、銀の縁取りが施された傘を差している。髪を撫でつけようと手を上げた瞬間、金色の閃光が走った。

 心臓が凍りついた。

 あれはダンテの祖母の指輪――代々受け継がれてきたファルコーネ家当主の指輪だ。胡桃ほどの大きさのルビーを、家紋が取り囲んでいる。

 三年間の結婚生活で、ダンテが私にその指輪を贈ってくれたことは一度もなかった。

 それが今、ビアンカの指に収まっている。

「奥様、中までお送りしましょうか?」と運転手が尋ねた。

「必要ないわ」

 私は車のドアを押し開けた。冷たい雨が瞬く間にコートへと染み込んでくる。墓地の入り口には数十人の招待客が群がっていたが、誰一人として私のために道を空けようとはしない。門の上には巨大な横断幕が掲げられていた。「ミア・ファルコーネの快気と帰還を祝して」。

 私に気づいたビアンカが、完璧な笑みを浮かべる。「マデリン、やっと来たのね」

「息子の追悼式ですもの」

「あら、そうだったわね」彼女は左手を上げて髪を直し、薄暗い光の中で指輪をこれ見よがしに輝かせた。「ダンテがくれたの。当主の指輪を」

「それはファルコーネ家の家宝よ」

「ええ」ビアンカの笑みが深くなる。「ダンテが言っていたわ。ミアこそが真の後継者だって。私はその母親なのだから、当然この指輪は私のものになるべきだとね」

 彼女はわざとらしく指を回し、内側に刻まれた家紋を私に向けた。

 周囲の客たちがそのやり取りを目撃し、ざわめきが波紋のように広がる。

「あの指輪、正妻が受け継ぐものじゃないのか?」

「ビアンカ様があれをつけているということは……ファルコーネ様は本気なのか?」

「マデリン様は自分の息子さえ守れなかったんだ。あの指輪にふさわしいわけがない」

 私は奥歯を噛み締め、レオの追悼会場へと歩き出した。雨が髪を伝って流れ落ちる。タオルを差し出してくれる者は誰もいない。

 一台の黒いロールスロイスが墓地の入り口に滑り込んだ。ダンテが傘を差して降り立ち、後部座席からミアを抱き上げると、ビアンカの方へと歩み寄る。

 その小さな少女は、煌びやかなカチューシャにピンクのプリンセスドレスという出で立ちで、ダンテの首筋に顔を埋めていた。

「車で待っているべきだっただろう」ダンテはビアンカの横に並び、傘を彼女の頭上へと差し掛けた。その声には、私には向けられたことのない優しさが滲んでいた。

「招待客の皆様に直接ご挨拶したかったの」ビアンカが彼の肩に寄りかかる。「今日はミアにとって大切な日だから」

「ミアを控室へ連れて行け」ダンテは子供と傘の両方をビアンカに渡した。「風邪を引かせるなよ。退院したばかりなんだから」

 ビアンカはミアを受け取ると、勝ち誇ったような視線を私に投げかけ、背を向けた。その時ようやく、ダンテが私の方を向いた。その瞳は冷たく、よそよそしい。

「なぜ傘を持ってこなかった?」義務感だけで発せられたような口調だ。

「忘れたの」

 彼はため息をつき、ボディガードから予備の傘を受け取ると私に手渡した。「あまり惨めな格好をするな。客が見ている」

 そして彼は追悼会場へと歩き出した。私はその後を追ったが、傘を叩く雨音が耳をつんざくようだった。

 レオの追悼会場は墓地の片隅に設けられていた。献花台のカーネーションはすでに萎れている。安っぽいプラスチックの額縁の中で、レオが無垢で輝くような笑顔を見せていた。三歳の誕生日の時の写真だ――テディベアを抱きしめ、瞳を星のように輝かせている。

 ダンテは献花台の前に立ち、咳払いをした。客たちが集まってくるが、その多くは距離を置いている。

「本日はお集まりいただき感謝する」ダンテの声は落ち着き払っており、事務的だった。「レオ・ファルコーネはミアの命を救った。彼はその目的を果たしたのだ」

 目的? 私の息子は「目的」なんかじゃない。無理やり骨髄を提供させられ、そのせいで命を落としたのだ。

「ダンテ」震える声を必死に抑える。「レオにお墓は建ててあげないの?」

 ダンテは、まるで私が愚かな質問をしたかのように眉をひそめた。「レオは水葬にする予定だ。墓地の区画には余裕がない。一番良い場所は確保してある――ミアのためにな」

 胸を殴りつけられたような衝撃が走った。「何ですって?」

「あの子の回復は容易ではなかった」ダンテの声に苛立ちが混じる。「レオはもう、目的を完遂したんだ」

 目的。

 ダンテの口にかかれば、私の息子は測定可能で、消費可能な「目的」というモノに成り下がってしまう。

 客たちの間で囁き声が交わされ、頷く者もいる。世界が回転しているように感じられ、顔を濡らすのが雨なのか涙なのか、もう区別がつかなかった。

「マデリン」背後からビアンカの声がした。彼女は高価な傘を差している。「レオに感謝すべきよ」

「あの子はミアを救った。それがあの子の生涯で唯一、意味のある行いだったわ」彼女は声を潜めた。「庶子が正当な後継者の健康のために命を捧げるなんて、名誉なことよ。ただ息をして空気を無駄に消費するだけの人間と違って、価値ある死を遂げられたことを喜ぶべきね」

 最後の言葉を告げる時、彼女の瞳は私の目を真っ直ぐに見据えていた。

「黙って」私の声は震えていた。

 ビアンカは嘲笑い、スマートフォンを取り出して建物の完成予想図を見せつけてきた。「見て、この十二階建ての豪華な複合施設。ミアの再生を祝して建てられるの。ダンテの話では来月着工よ。これもすべて、レオが彼女を救ったおかげね――あなたの息子も、ようやくまともな役に立ったってわけ」

 周囲の客たちが携帯電話を覗き込もうと群がり、背伸びをして感嘆の声を上げた。

「なんて寛大な父親だ」

「あの娘は幸せ者だな」

「あの子の死も、決して無駄ではなかったということか」

 私は息をするのもやっとだった。

「マデリン」ダンテの声が空気を切り裂いた。明らかに不機嫌だ。

 振り向くと、彼はビアンカの横に立ち、眉を顰めていた。

「お前が恐ろしい形相で睨んでいたと、ビアンカが言っているぞ」その口調からは非難の色が滴り落ちんばかりだ。「彼女はお前を慰めようとしただけだ。それなのに、なんだその態度は。レオが本来為すべきことを果たしたからこそ、ミアは生きているんだ。感謝すべきだろう」

「私はそんなつもりじゃ……」

「お前の負のオーラが二人に悪影響を与えている」ダンテが言葉を遮った。「ミアは退院したばかりなんだ。あの子にこんな醜い部分を見せる必要はない。ビアンカに謝れ」

 客たちは一斉に会話を止め、私の方を振り返った。

「ダンテ、これは私の息子の追悼式なのよ――」

「謝れと言ったんだ」彼の声はさらに冷え込み、瞳から温かみが消え失せた。

 ビアンカは頭を垂れ、ありもしない涙を拭うふりをした。「私はただ、彼女に前向きに考えてもらおうと……」

「ビアンカ様はなんてお優しいんだ」

「謝罪して当然だ」

「恩知らずな女だ」

 私は頭を下げた。「ごめんなさい」

「それでいい」ダンテは満足げに頷き、ロールスロイスの方へと向き直った。

 雨足が強まる。私はレオの追悼会場の前に立ち、豪雨の中で揺れるカーネーションを見つめていた。突然、車から小さな人影が走ってきた。

 ミアだ。

 ピンクのプリンセスドレスを着た彼女は、献花台まで駆け寄ると、花を見て顔をしかめた。「このお花、すっごくブサイク」金切り声だ。

 ダンテが大股で歩み寄り、しゃがみ込んだ。「どうしたんだい、ミア?」

 ミアはレオの写真を指差した。「あの額縁、ダサい。あいつ誰?」

「ミアに骨髄を提供した人間だよ」ダンテは吐き捨てるように言った。

「ふーん」ミアは小首をかしげた。「じゃあ死んでも関係ないじゃん。どうせ私を助けるためにいたんでしょ」

 彼女はダンテに向き直った。「お父さん、ここ私の墓地でしょ? あの汚い額縁どけてよ!」

「もちろんだとも、ミア」ダンテは立ち上がり、ボディーガードたちに手を振った。「ここを片付けろ」

「駄目!」私は前に飛び出した。「そんなことさせない――」

 だが、手遅れだった。ボディーガードたちが飾りを解体し始め、客たちまでがそれに加勢した。

 レオの写真が墓地の隅にあるゴミ箱へ投げ捨てられるのを、私はただ無力に見つめるしかなかった。安っぽいプラスチックの額縁がゴミ袋に当たり、心臓が砕けるような音を立てた。

「嫌ぁっ!」私はゴミ箱へ向かって走り、泥の中に膝をついて額縁に手を伸ばした。

 雨が服を濡らし、泥がスカートに跳ねる。震える指が額縁の端に触れた。その瞬間、ドンと肩を突き飛ばされた。

 私は地面に倒れ込み、肋骨をゴミ箱の縁に強打した。

「触らないで!」ミアが私の前に立ち、小さな顔を歪めていた。「それゴミじゃん!」

 ダンテがすぐに駆け寄ってきた――私を助けるためではなく、真っ先にミアを抱き上げるために。「大丈夫か、ミア?」

「あのおばさんが私を呪おうとしたの!」ミアは私を指差して金切り声を上げた。「自分の息子が死んだからって、私が生きてるのが気に入らないんだわ!」

「誰も呪ったりなんかしないよ」ダンテが優しくなだめる。

 私は泥水の中に崩れ落ちたまま、全身を震わせていた。誰も助け起こしてはくれない。私が怪我をしていても、誰も気にも留めない。

 私は必死に立ち上がり、ヒビの入った額縁を拾い上げると、胸に強く抱きしめた。砕けたガラス越しに、レオの笑顔が私を見ていた。

 私は背を向け、ナイフの上を歩くような思いで一歩一歩踏み出した。

 駐車場へ向かう途中、ダンテのロールスロイスの横を通った。窓は曇っていたが、ぼやけたガラス越しに中の動きが見えた。

 ビアンカがダンテの膝に乗っている。彼女の黒いスーツは乱れていた。二人が体を重ね合わせる中、彼の手が彼女の腰を掴んでいる。

 胃が裏返るような吐き気がした。

「レオの追悼式が終わったばかりなのに、もう……」ビアンカの声は息切れし、悦びに満ちていた。

「奴は目的を果たした」ダンテの声は低く、冷淡だった。「ミアは助かった。それで十分だ。道具のために悲しむ必要などない」

 道具。

 ビアンカは笑い、彼のネクタイに指を絡ませた。「じゃあ、レオの遺灰はどうするの?」

 ダンテは一瞬沈黙した。「明日、水葬の手配をしている」

「水葬なんて無駄よ」ビアンカの声は甘えを含み、動きが早くなる。「もっといい考えがあるわ――遺灰をミア・タワーの基礎に混ぜるのよ。あのビルはミアのために建てられるんでしょう? レオをその土台の一部にしてあげるの。最後の貢献としてね」

 ダンテは躊躇した。「それは……適切だろうか?」

「何がいけないの?」ビアンカの言葉が早口になる。「どうせ彼はミアを救うためだけに存在したのよ。それに、その方が経済的じゃない――ボートを借りる必要もなくなるし」

「君の言う通りだ」ダンテの声が掠れた。「そうしよう。明日、遺灰は基礎に混ぜる」

「マデリンはどうするの?」

「怪我が治ったら、離婚届にサインさせる」ダンテの理性は完全に崩壊していた。「あの女はもう用済みだ。君こそがファルコーネ家の真の奥様だ」

「あなたって最高」ビアンカの満足げな声が聞こえた。

 私は吐き気を催し、よろめきながら駐車場の反対側へと逃げた。雨が顔を打ちつける。それが雨なのか自分の嘔吐物なのか、もう判別できなかった。

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