第4章

「絶対なしってわけでもないけど、まずは氷室弁護士が引き受けるって言ってからでしょ」

篠はわりと本気で考え込んでいた。

ストリップ?

数百億の相続権に比べたら、そんなものどうってことはない。

「……ふっ」

悠は冷たく鼻で笑い、彼女を放した。

帝都じゃ、篠は口から出まかせで有名だ。

悠はそんな手に乗る男ではない。

「氷室弁護士、待ってよ! 話し合えるでしょ。ストリップが気に入らないなら、別の方法にしたっていいし」

悠は手首のサポーターを外し、ゴルフ場を後にしようとした。

そのとき篠が目ざとく直樹を見つけ、数歩で追いつくと、悠の腕に自分の腕を絡めた。

「篠?」

「直樹、奇遇だね!」

直樹の表情が翳る。

視線は、篠が絡みついている悠の腕に落ちた。

「篠、氷室弁護士と知り合いだったのか?」

「あっ」

篠はわざとらしく声を上げた。

「紹介するの忘れてた。私の彼氏」

直樹の胸がどくんと跳ねる。

この女……先に手を打ってきたのか。

「また彼氏替えたのか?」

篠は内心で舌打ちした。

またって、何よ。

「篠、氷室弁護士は帝都でも名の知れた若手エリートだ。ちゃんと大事にしろよ。前みたいに目移りして、三日もしないうちに相手を替えるなよ」

言いながら直樹は悠へ視線を向ける。

まるで、篠は浮気っぽい女だと忠告しているみたいだった。

篠は腹も立てず、甘えるように顎を悠の肩へ乗せ、直樹を見返した。

「だいじょうぶ。私が替えるのは彼氏だけだし。財産分与でもめたりしないから」

あんたみたいに、妻を三人も作って、そのたびに何億も持っていかれるような間抜けとは違う――。

もちろん、そんな言葉は胸の内で毒づくだけだ。

「じゃあ、私たちはこれで」

篠は悠の腕を抱えたまま休憩室までついていった。

「……もう放していいか?」

「つまんないなあ」

悠は呆れ半分、可笑しさ半分で息をつく。

利用するときは猫なで声なくせに、用が済めば即座に手のひらを返して、ついでにひと蹴りまで入れてくる。

「じゃあ不二さんは、もっと気の利いた相手に弁護してもらえばいいだろ」

悠は着替える気すらなく、脇に置いてあった服をひったくるように羽織って出ていった。

篠はそのまま駐車場まで追いかける。

「本当に私の案件、受ける気ないの? 報酬なら好きに交渉してくれていいよ」

「氷室弁護士、他人の金を稼ぐのも金、私の金を稼ぐのも金でしょ。それとも私のこと好きだから、四六時中一緒にいるのが怖いとか?」

自意識過剰か。

悠は呆れて笑った。

「どうしてお前の案件を受けないかわかるか?」

「どうして?」

「面倒くさいからだ」

篠はまるで自覚がない。

「えー、そうかな。私がそんなに面倒くさいなら、ベッドであんなに相性よくならないでしょ」

「お前ら、やったのか?」

「ニュース、本当だったのか?」

悟は心底信じられないという顔をした。

悠の目は節穴か、節穴なんだな――とでも言いたげだ。

「失せろ」

「黙れ」

二人の声がぴたりと重なった。

悟は黙った。

悠が車のドアを開けて乗り込む。

篠もすかさず追いすがり、ドアを閉めさせまいと必死にしがみつき、中を覗き込んだ。

「こんなに誠意見せてるんだからさ、一回くらい情けをかけてくれてもよくない?」

人に頼みごとをしているくせに、篠にはどこか、

この私が頼んであげてるんだから感謝しなさいよ――そんな尊大さがにじむ。

悠は篠を見つめた。

脳裏に、学生時代の面影がふっとよぎる。

危ないところだった。

またこのサキュバスに惑わされるところだった。

昨夜だって、結局はこの顔にやられたのだ。

でなきゃ、あそこまで好き勝手に振り回されるものか。散々尽くした挙げ句、最後は蹴飛ばされるなんて。

「篠。この車、前に誰かに糞ぶっかけられたことがあるんだが。それでもしがみついてるつもりか?」

「…………」

バタン――。

悠は電光石火でドアを閉め、そのままアクセルを踏み込んで走り去った。

「はは、不二さん。頼み方ってのは、そうじゃないだろ」

悟は内心ちょっと面白がっていた。

篠が人に頭を下げる日が来るなんて、なかなか見られるものじゃない。

「あなた――」

その瞬間。

キィッ――。

物陰から、何台ものバイクがいきなり飛び出し、篠へ突っ込んできた。

篠はすばやく身をかわす。

バイクは地面を擦るように尾を振って鋭い弧を描き、すぐさま向きを変えて再び突っ込んでくる。

篠は一気に車の後ろへ退き、トランクを開けてバットを一本引っ張り出した。

身をひねってかわしざま、ライダーの頭にごつんと一発叩き込む。

「うわっ、何だよこれ、法治国家だぞ!」

悟もようやく我に返り、慌てて駆け寄って加勢した。

「お前、誰に恨まれてるんだよ?」

篠は鼻で笑う。

恨み?

私ってそんなにお行儀悪かったっけ。

「この中の誰かが、うちのクソ親父の隠し子だと思う?」

「…………」

悟は黙った。

そんなこと当てたくもない。命のほうが大事だ。

まともに喧嘩できるやつはさっさと帰ってしまって、残されたのはこの役立たず二人。

最悪だ。

悠は車を走らせながらも、頭の片隅で篠のことを舌打ちしていた。

少し行ったところで、後ろから一台もついてこないことに気づく。

窓を下ろし、バックミラーを覗いた。

外から、バイクが地面を擦る耳障りな音がかすかに届く。

悠は即座にハンドルを切り返した。

戻ってみれば、四、五台のバイクが篠と悟を取り囲んでいる。

悠はアクセルを踏み込み、そのまま突っ込んだ。

二台が派手に弾き飛ばされる。

ドアを開けて降りるなり、篠の手からバットをひったくった。

「それ、私の護身用なんだけど」

「その細腕で護身になるのか?」

言うが早いか、悠は振り向きざま男の肩へ一撃を叩き込む。

頭はだめだ。ヘルメットがある。

狙うなら胴だ。

篠はその手際を見て、ぽかんと目を見開いた。

……この男、やっぱり格好いい。

黙って喧嘩してるときなんて、なおさら。

ベッドで腰を振ってるときより、ずっと。

篠と悟があれだけ手こずっていたのに、悠はものの数分で片づけてしまった。

「ヘルメット、取れ」

男はバットでこつこつと相手のヘルメットを叩く。

悠が振り返って篠を見る。

篠は首を横に振った。

誰一人、見覚えがない。

しばらくして警察が到着し、連中は全員連行された。

三人が警察署で調書を終えて戻ったころには、もう十一時近かった。

「遅くなったし、夜食でも食べようよ。私のおごり。氷室弁護士の命の恩人――じゃなくて、命の恩返しってことで」

悠が運転席に座り、篠は後部座席からシートの背に身を乗り出す。

「俺は賛成。腹減った」

悟は即答した。

「さっきの連中、お前の親父の隠し子が寄越したってことか」

悠はハンドルを握ったまま訊ねる。

篠はゆっくり背もたれに身を戻し、小さくうなずいた。

擦りむいた自分の腕に目を落とす。

「あのジジイ、外の隠し子が十二人。家にいる正式な子どもが五人。今にも死にそうなくせに、書面の遺言はなし、口頭の遺言もなし。そりゃみんな、あの手この手で財産の奪い合いするでしょ」

「一人減れば、その分ライバルも減る。多く取りたいのは誰だって同じ」

篠の父親は、世界長者番付でも五十位以内に入る人物だ。

どういう意味か。

十五人で等分したって、一人頭が何百億にもなる。

武治の若いころの色恋沙汰は、メディアに面白おかしく書き立てられ、本にまでなっている。

篠は考えながら、こんなふうに手をこまねいているわけにはいかないと改めて思った。

「帰ったら直樹を口説く。まずはあいつをこっち側につけて、あの十二人の隠し子を片づけてからだね」

悠は横目でちらりと彼女を見る。

「弁護士として一応言っておくが、それは犯罪だ」

「別にいいよ。どうせ会社の人たちはみんな、私があなたの彼女だと思ってるし。私が犯罪したら、あなたの犯罪ってことでしょ」

悠は黙り込んだ。

恋人関係に法的効力など一切ない――そう教えてやりたくなったが、もう口にする気も失せた。

篠とは話が通じない。

「氷室弁護士、私のこと可哀想だと思わない? こんなに可哀想なのに、助けてくれないの?」

篠は運転席の背もたれにしがみつく。

「もし助けてくれなくて、私がそのうち本当に一文無しになったら、お母さん連れてボロい茶碗持って毎日あなたの会社の前で物乞いするからね」

「金持ちのお客さんたちに見せてあげる。資本家の薄情な顔ってやつを」

「不二さん、安心しろ。乞食はうちのビルには入れない」

「じゃあ入口で横断幕でも掲げる」

「篠」

悠はこめかみを押さえた。

うるさすぎる。

「降りるか、黙るか。どっちか選べ」

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