第6章

悠という男を、どう言えばいい?

篠は自分の脳内に残っている乏しい語彙から、ぴたりと当てはまる枠を引っ張り出した。

一見おとなしいくせに腹の中は真っ黒な、計算高いタイプ。

篠は学生のころから反骨の塊だった。みんなが中学で真面目に勉強している間、彼女は高校部のイケメンを捕まえて恋愛することに全力投球。どうせなら一人でも多く巻き添えにしてやる、という確固たる信念のもと、ある日グラウンドで悠を見つけた。

勢いで告白の手紙を書いて渡したら、返事はこうだった。

「いいよ」

篠は承諾されたと思い込み、甘えたり媚びたり、差し入れをしたりと大忙し。ところがある日、鞄を片づけていると目に入った返事は「だめ」だった。問い詰めて初めて知る。ペンのインクが不良で、線がかすれて「いいよ」が「だめ」に見えただけだと。

篠はその場で顔を引きつらせた。二人でこっそり甘いことしてるつもりだったのに、悠の認識では彼女はただのしつこい女だった?

この件、篠はずっと仕返ししたかった。だが悠は頭の回転が速すぎて、ことごとく失敗に終わる。

「氷室弁護士があたしの足折るってんなら、あたしはあんたのちんこ切る。どっちも逃げられないってことで」

篠は歩み寄り、長い指先で悠の襟元をくい、と弄んだ。

「氷室弁護士、あたしの脚ばっか見てるけど。あの夜の名残でも思い出してる?」

悠は微動だにせず、襟にかかった爪をつかんで外す。

「不二さん。あなたのファン、そんな厚顔無恥なところ知ってるんですか」

「清純派? その看板、あなたに似合うとでも」

最近のファンは選択的に目が腐っているのか。篠みたいに何をやらせてもダメで、横柄な態度だけは一人前の女が、どうして崇拝される。

「じゃあ氷室弁護士、あたしのこと何だと思ってるの?」

「――淫乱なサキュバスでも?」

篠が顔を近づけて聞く。

悠のこめかみに青筋が立つ。

会話が成立しない。

法の条文で雁字搦めになって生きてきた法曹が、下ネタで篠に勝てるわけがない。

篠は、まさに天敵だった。

…………

警察署。

篠が白いワンピース姿でふわりとロビーに入った瞬間、視線が一斉に吸い寄せられた。

誰も彼も、よだれが落ちそうな顔で見惚れている。

「――ゴホンッ」

横からわざとらしい咳払いが入り、空気が割れる。悠の友人、手塚周助が近づいてきて、周囲の目を避けながら耳打ちした。

「で、マジで寝たの?」

悠「……」

「お前さ、なんで今さら妙に堅いんだよ。最初から素直にOKしてりゃ、もう子どもできてたかもな」

それでさ、お前らが“合奏”してるとき、サービスしてたのってお前のほう?

お前……」

「どこだ」悠が遮った。

周助はそこで噂話を切り上げ、悠の陰った視線に口を噤む。

「こっち。案内する」

篠はその囁き、全部聞こえていた。周助が一歩離れた瞬間、彼女は後ろから悠の腕に絡みつく。

「氷室弁護士、なにが矜持よ。あたしに惚れられるなんて光栄でしょ!」

「離せ」悠は腕にしがみつく手を睨む。

離す? 冗談じゃない。

撮られてるのが分かってて離すわけがない。ここで手を離したら、次のゴシップは“破局”だ。

昨日はホテル、今日は破局。芸能界最大の笑い者になってしまう。

暗室の取調室で、篠は初めて不二瑞代と顔を合わせた。

姉か妹か――そのあたりも曖昧なまま、初対面の場所が警察というのがまず最悪だ。

篠は向かいの椅子を引いて座り、脚を組んで瑞代を見据える。薄暗い中でも、篠の纏う品の良さは隠しきれない。

「あなたが篠?」

篠は笑った。

「確信もないのに、人使ってあたし潰そうとしたの?」

「仕方ないでしょ。だってあんた、あたしの敵だもん」瑞代は反抗的に言い放つ。

あの老いぼれがここ数年、金だけはそれなりに寄越していた。でも、受けるべき扱いは何一つない。

その一方で篠は、待遇も金も思いのまま。しかも“芸能界の清純派”だと?

「ハッ。そんな新鮮な単語、初めて聞いた」

篠は爪先を軽く払ってから目を上げ、瑞代を射抜く。

「敵、ねえ?」

「あなたの敵は他の十二人の隠し子でしょ。あたしじゃない」

「法律上、あたしが法定相続人って事実は消せない。あたしを狙う意味、どこにあるの?」

瑞代の顔色が沈む。

篠は畳みかけた。

「誰かに焚きつけられたんじゃない?」

「――かわいそ」

篠はそう言いながらエルメスのバッグから書類の束を取り出し、瑞代の前に一枚ずつ並べる。ペンを取り、淡々と丸をつけていく。

「もしあたしがあんたなら、まず“枠の外”を片づけてから“枠の中”を叩く。枠の外は年齢順と能力順で、上から順番に潰してく」

「それから親子鑑定まだの連中は除外。残りで鑑定済みは――あんた含めて五人、ってとこ」

篠は鑑定未実施の七人分を抜き取り、残った五人に赤で丸をつけた。

鏡の向こうで、周助が小さく舌打ちする。

「いやー、篠はやっぱエグいな」

「これだよ。瑞代に“講義”して、あとで優しいこと言って『責任は問わないから帰りな』って逃がす。そしたら瑞代は外に出て、あの連中を片づけに行く。まさに借刀殺人」

案の定、周助の言葉が途切れた直後、取調室の篠は情に訴える声色へ切り替えた。

「女が女を苦しめてどうすんの。うちの母親なんて、あの老いぼれに一生ついていって、結局まともな幸せ一つも貰えなかった。何十年も、夫がいるのに独り身みたいな人生」

「老いぼれが死にかけても、母は離れられない。一緒に逝きたいって言うくらい。女のほうが、男よりずっと情が深いのよ」

篠はゆっくり立ち上がり、瑞代を見下ろした。

「……帰りな」

「責任、問わないの?」瑞代が目を見開く。

「問う意味ある? あんたが生きてる限り、老いぼれの財産はあんたにも分け前がある。あんたが死んだら、あたしが犯罪者になって牢に入るだけ」

「割に合わないでしょ」

取調室を出た篠は、勝手知ったる様子で悠の隣へ寄り、腕を絡める。

「不二さん、その手口なら弁護士いらないですね」

篠はサングラスをかけ直した。

「氷室弁護士、知らないかもしれないけど。無法者が法律知らないのって、セックスでゴムつけないのと同じ。安心できないのよ」

悠「……」

警察署の外。

大勢の報道陣が規制線の向こうで騒いでいる。

篠が悠の腕に縋ったまま入口に姿を見せると、フラッシュが狂ったように焚かれた。

悠は反射的に腕を振りほどこうとしたが、篠にぐっとつねられる。

「人として生きなさいよ」

「その台詞、俺が言うべきじゃないのか」悠が返す。

外にはカメラ。篠はサングラス越しに顎を上げ、作り笑いで悠を見た。

「私を抱いた代償、払う覚悟ないの?」

「不二さん、念のため言っておきますが」

「最初から最後まで指示してたのはあなたです。俺はただ、必死に耕しただけ。得はゼロ、それどころか散々侮辱されました」

「……気持ちよくなかったの?」

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