第3章
リリー視点
「カーターが好きなのか?」
ヴィンセントの詰問は、予告なしだった。
クロエを放り出し、私をそのまま保健室へ引きずり込んだ彼は、目の前にしゃがみ込んで手当てをしている。アルコール綿が赤く腫れた腕に触れた瞬間、痛みで息がひゅっと詰まった。
彼の手が止まる。
そして、さらに距離を詰め――傷口へ、ふっと息を吹きかける。
……近すぎる。親密すぎる。
私は顔を背けた。
「好きじゃない」
「じゃあ何で、抱き上げられた時に突き放さない?」
ヴィンセントは目を細める。
「嬉しそうに笑ってたくせに」
「私は――」
「何だよ?」
両手がベッドの縁につかれ、逃げ道が消える。私を壁との間に閉じ込めて、低い声で追い詰めた。
「ん?」
コロンの匂い。そこに、酒精の気配が混じる。
「よく聞け、リリー」
顎をつままれ、無理やり視線を合わせられる。
「お前は俺だけのものだ。他の奴と分かち合う気なんてない。分かったか?」
私は睫毛を伏せ、恥ずかしそうな顔を作って、小さく頷いた。
ヴィンセントは満足げに笑う。
……ふざけるな、ヴィンセント・アシュフォード。
お前に、何の資格がある。
寮へ戻ると、クロエが入口で待ち伏せしていた。
背後にはチアの女子が三人。マディソン、アシュレイ、ソフィア。腕を組み、見下すような顔。
「おかえり、ヴィンセントの『彼女』」
クロエが冷笑する。
「まさか自分をシンデレラだとでも思ってる?」
「クロエ、怪我――」
「演技やめて」
遮られる。
「あなたは取り巻き。分かる? 私がいなきゃ誰も相手にしない。痩せたくらいで逆転できると思った?」
マディソンが鼻で笑った。
「そうそう。クロエがいなきゃヴィンセントにも会えなかったくせに」
私は俯き、拳を握りしめる。
「それに」
クロエが一歩詰める。
「アシュフォード家があなたを受け入れるわけない。ヴィンセントは遊んでるだけ。飽きたら捨てられるゴミよ」
私は顔を上げ、クロエを見た。
「私たちを紹介したの、あなたでしょ?」
クロエが、一瞬固まる。
「あなたがくっつけたんでしょ?」
一語ずつ噛み締める。
「今さら何。後悔してるの?」
「黙れ!」
クロエが金切り声を上げる。
「今すぐヴィンセントと別れなさい。さもないと、セント・ジュディアに来たこと、後悔させてあげる!」
歪んだ顔が、可笑しくて仕方なかった。
「そう」
私は淡々と言う。
「じゃあ、楽しみにしてる」
それから二週間。
ヴィンセントは、本物の恋人みたいに振る舞った。
朝は車で迎えに来て、昼は席を取って、夜は図書館に付き合う。私がバイトしているカフェの閉店まで待ち、男が近づけば肩を抱いた。
風邪を引いた日、彼はフラタニティのパーティーをサボって薬を持ってきた。
「行かないの? みんな待ってるでしょ」
喉が痛い声で言うと、
「病気の彼女を置いて飲みに行くと思うか?」
彼はそう言って、買ってきた薬の袋を持ち上げた。
「頼む。俺はクズじゃない」
「ヴィンセント、ほんと大丈夫――」
「黙って飲んで寝ろ」
押しつけるように手に握らされる。
「明日もダメなら授業休め」
彼が階段を降りる背中を見送った瞬間、私はすぐ袖で手を拭った。
触られるたび、こっそり手を洗う。
「リリー」なんて呼ばれるたび、吐き気がする。
でも、演じ続けた。
彼は私を好きなんかじゃない。クロエを刺激する道具――そう思っていた。
けれど、少しずつ彼の視線が変わっていくのが分かった。
灰青の瞳に温度が宿る。嘲りだけじゃなく、別の何か。
ある夜、寮へ送ってもらう車内。低いR&Bが流れ、彼は片手でハンドルを握る。
「カフェの仕事、きついか?」
唐突に聞かれた。
「平気」
「親父に言って、会社で楽な――」
「いらない」
私は遮った。
「自分でやれる」
沈黙。指がハンドルをとん、とん、と叩く。
「リリー。お前さ……あいつらと違う」
私は黙ったまま。
「五分おきにメッセージ寄越さない。スマホも漁らない。インスタのコメ欄で存在感出そうともしない」
横目で私を見る。
「時々思う。お前、俺のこと何してようがどうでもいいんじゃないかって」
私は俯いて、甘い声を作る。
「そんなことない……本当に好きだよ」
ヴィンセントは笑い、頬をつまんだ。
「本気で言ってるならいい」
視線が深くなる。
「俺、弄ばれるの嫌いなんだ。ミラー」
ホームカミング当日。
クロエが昔くれた蛍光ピンクのタイトドレスを見て、私は鼻で笑ってゴミ箱へ放り投げた。
前世、あれで私は「締め付けられたソーセージ」みたいになって、ゴシップの的になった。
代わりに選んだのは、黒のサテンのスリップドレス。Vネックは鎖骨の少し下、スリットは太腿の真ん中まで。メイクはスモーキーアイにヌードリップ。髪は大きく巻き、片側をビジューのピンで留めた。
鏡の中の私は、もう冴えない太った女の子じゃない。
迎えに来たヴィンセントは、言葉を失った。
「……マジか」
頭から足まで見て、口笛。
「クソ綺麗だ」
腕を組んでホールへ入る。DJの音が身体を揺らすほど大きい。みんながこちらを見て止まる。
ヴィンセントは腰を抱き寄せ、こちらを見ている男たちに眉を上げた。
「見るなよ。こいつは俺のだ」
パンチボウルの横で、クロエが女子と笑っている。
でも私を見た瞬間、笑顔が凍りついた。
トイレに行くふりをした。クロエは当然ついてくる。
彼女が私を塞いだのはプールサイド。人気のない、死角。
「金目当てのビッチ」
クロエが冷笑する。
「ドレス替えたくらいで、玉の輿気取り?」
「何焦ってるの?」
私は手すりに寄りかかる。
「焦ってる?」
甲高い声で叫ぶ。
「新鮮味だけよ! すぐ捨てられる!」
私はゆっくり近づいた。
「じゃあ、なんでそんなに怖いの?」
クロエが歯を食いしばる。
「これ、全部ゲームなんでしょ?」
私は声を落とす。
「本当なら、彼は私を断って、あなたへの忠誠を証明するはずだった。なのに――」
耳元へ囁いた。
「彼は、私を選んだ」
「黙れ!」
クロエが手を上げる。
私は手首を掴み、反対の手で頬を叩いた。
ぱん、と乾いた音が夜気に弾ける。
クロエは頬を押さえ、信じられない顔で私を見た。
次の瞬間、わざと後ろへよろけて、悲鳴を上げながらプールへ転げ落ちた。
「助けて――!」
私は冷たい目で、ばしゃばしゃ暴れる姿を見下ろした。
扉が勢いよく開く。ヴィンセントが飛び込み、迷いなくプールへ跳んでクロエを引き上げた。
ずぶ濡れのクロエが泣き喚く。
「押されたの! 溺れるところだった!」
ヴィンセントはクロエを抱えたまま、眉を寄せて私を見る。
「……本当か?」
私は静かに言った。
「違う」
泣くクロエと、冷静な私。
ヴィンセントの視線が行き来し、迷いが滲む。
前世の記憶がフラッシュバックする。
この瞬間、彼はクロエを信じ、私を「冷静になれ」とプールへ放り投げた。私は溺れかけた。
ヴィンセントが深く息を吸う。
「リリー、クロエに謝れ」
心が、すとんと沈んだ。
……やっぱり。
「なんで?」
私は冷笑する。
「これ以上ややこしくするな」
ヴィンセントが眉を寄せる。
「ごめんって言えば終わる」
「謝らないなら警察呼ぶ!」
クロエが騒ぎ立てる。
「傷害よ、傷害!」
私はヴィンセントを見て、はっきり言い切った。
「私は何もしてない。謝らない」
ヴィンセントの顔が暗くなる。
「俺が謝れと言ったら?」
「じゃあ――別れる」
