第3章
それはあのシマのために血を流した忠実な兵士たちへの、あからさまな侮辱に他ならなかった。だが、今の私にはそんなことを気にかける気力など微塵も残っていなかった。
肉体は崩壊しつつある。十年前の毒が臓器を容赦なく蝕んでおり、残された時間がもう長くないことは、他ならぬ私自身が一番よく分かっていた。
命の灯火が尽きる前に、たった一つだけ、どうしても叶えたい悲願があった——父の遺品である年代物の特注品、Browningの拳銃を取り戻すこと——宮村家の神聖な家宝でもあるそれは、成人の金庫に厳重に保管されたままになっている。
翌日、私は彼のプライベート用の番号に電話をかけた。
四回目のコール音が鳴り終わる頃、ようやく通話が繋がった。
「やっと泣きついてきたか、早美」
「父の銃を返して」
喉を焼かれるような痛みに耐えながら、私は掠れた声で告げた。
「笹谷に持って来させて。そうすれば、私たちもこれで完全に終わりよ」
耳障りで、嘲るような笑い声が受話器の向こうから弾けた。
「お前に条件を出す権利があるとでも思っているのか?」
成人は鋭く言い放った。私が未だに屈服しないことに対し、彼の声には理不尽な苛立ちが混じっていた。
「成人、あれは父の形見なの」
引き裂かれるように痛む胸を必死に押さえつけながら、私は低く哀願した。
「お願い」
「あのBrowningが欲しいなら、てめえの足で本部に直接取りに来い」
彼は冷酷に命じた。
「毎日俺に癇癪をぶつけるんじゃなく、少しは本物の敬意ってもんを身につけるんだな」
通話は無情にも切られた。
焼けるような高熱に浮かされ、今にも限界を迎えそうな体を這うように引きずりながら、私は降り止まない豪雨の中を歩き続けた。
戸川グループ本部の重厚な扉を押し開ける。
会議テーブルの上座に腰を下ろした成人は、気怠げにウイスキーグラスを磨いていた。私がよろめきながら室内に転がり込んでも、彼は顔を上げようとすらしない。
「惨めなツラだな」
ようやくこちらへ一瞥をくれた。全身ずぶ濡れで、まるで朽ち果てんばかりの私の姿を冷ややかに見下ろし、その口角が嘲笑の形に歪む。
「また死にかけの被害者ごっこか?」
「銃よ、成人」
全身の力を振り絞り、息も絶え絶えにその言葉を紡ぎ出す。ドアの枠に寄りかからなければ、立っていることすらままならない。
「それを返して。そうしたら、もう出て行くから」
彼がグラスをテーブルに叩きつけると同時に、その瞳に激しい怒りが燃え上がった。
「どうしてそう意地を張るんだ? あの日歓楽街で喘息の発作のフリをしたのは、単なる嫉妬からだと、なぜ素直に認めねえ!」
反論の言葉を口にする間もなく、背後の両開き扉が乱暴に蹴り開けられた。
笹谷が会議室へと駆け込んでくる。顔面は紙のように蒼白で、肩で激しく息をしていた。
「ボス! 湾岸の倉庫のほうで!」
極度のパニックで声を震わせながら、笹谷が叫ぶ。
成人は弾かれたように椅子から立ち上がった。その瞬間、私の存在など彼の頭から完全に消え失せていた。
「湾岸の倉庫がどうした? 雪見が今、新しいルートの点検であそこに向かっているはずだぞ」
「火災です!」
全身の力を振り絞るように、笹谷が怒鳴る。
「激しい爆発が起きました! 雪見さんは暴走した連中に拉致され、火の海に閉じ込められています!」
成人の顔から瞬時に血の気が引いた。彼は笹谷の胸倉を乱暴に掴み上げる。
「今、なんと言った?!」
「それに、もう一つ……」
笹谷はためらいがちに言葉を濁し、恐怖と信じられないといった感情が入り混じった視線を、ちらりと私へ向けた。
「言え、笹谷!」
成人は咆哮し、側近の体を激しく揺さぶる。
笹谷は小刻みに震える手で、煤けたタブレットを取り出した。震える指先で、セキュリティログの画面をスワイプする。
「倉庫を襲撃した傭兵どもが……証拠を残していました」
笹谷は生唾を飲み込み、無意識に半歩後ずさった。
「デジタルの痕跡、使い捨ての携帯電話の通話記録、口座の送金履歴……そのすべてが、早美さんを指し示しています」
部屋の中が、一瞬にして死のような静寂に包まれた。
聞こえてくるのは、私自身の途切れ途切れで、掠れた呼吸音だけ。
「ログによれば、三十分前に彼女自身が襲撃の指示を出し、それらの助燃剤も自ら購入したことになっています」
笹谷はようやく、力なく最後まで言い終えた。
成人が、ゆっくりと私の方へ首を向ける。
「成人、私じゃない」
言葉を絞り出すのもやっとの状態で、私は弱々しく首を振った。
「ここに着いたばかりなのに……立っているのさえ、やっとの状態で……」
「この狭量で嫉妬に狂ったクズめ!」
成人は吠えた。その声は、制御不能な激怒によって震えている。
私の弁解など、彼は一言半句たりとも聞いてはくれなかった。
彼の頭の中では、私の罪はとうに確定していた。私が嫉妬のあまり狂気に走り、彼の女を焼き殺すという残虐極まりない計画を自ら首謀したのだと、心の底から固く信じ込んでいるのだ。
「ルートを一つ奪われたくらいで、あいつを焼き殺そうとしたのか?!」
烈火の如く怒鳴り散らしながら、彼は猛然とこちらへ突進してくる。
「やってない!」
絶叫した直後、激しくむせ返り、赤黒い血を板張りの床に吐き散らす。
「雪見の罠よ! 私を見て、成人!」
「黙れ!」
彼が怒号を上げる。
強引に間合いを詰めると、その両手が鉄の輪のように、傷だらけの私の首をきつく締め上げた。
そのまま壁へと力任せに打ち付けられる。窒息感が瞬時にすべての空気を奪い去り、視界の端で無数の黒い点が狂ったように飛び交い始めた。
「もしあの火事で、雪見の髪の毛一本でも傷ついてみろ……」
成人が喉の奥で唸る。熱を帯びた吐息が顔に吹きかかり、その瞳には微塵の慈悲も宿っていなかった。
指先の力がじりじりと強まっていく。ただでさえ内出血でむせ返り、呼吸すらままならない私の状態など、彼は完全に無視していた。
「十年前のあの抗争で死んでおけばよかったと、後悔させてやるからな」
