第8章 彼女の隠された身分

「万理華、そんな無礼はやめなさい!」

桐生零は眉をひそめ、声を落として言い聞かせた。

「こちらはお前のお姉様だ。桐生瞳……桐生家が長いあいだ探していた、実の娘だ。これからは家で一緒に暮らす。仲良くしなさい」

桐生万理華はぱちりと固まって、信じられないという顔で桐生瞳を見た。

「実の娘? 冗談でしょ!」

「冗談なわけないでしょう」

沢渡令子もどこか気まずそうに、やわらかく言葉をつないだ。

「万理華……あの頃、瞳がいなくなってしまって。あなたは両親を亡くしていて、あまりに不憫で……うちで引き取ったの。今、瞳が戻ってきた以上、あなたたちは姉妹よ。うまくやってちょうだいね」

桐生万理華はしばらく呆然としたまま、ようやくその事実を飲み込もうとした。

否定したくても無理だった。桐生瞳の顔立ちは、桐生夫妻と驚くほどよく似ている。まるで同じ型で抜いたみたいに。

口元を引きつらせ、無理やり笑みを作る。

「……ごめんなさい。さっきは、あなたのこと知らなくて。きつい言い方しちゃった。これから……仲良くしようね……」

桐生瞳は、万理華の瞳の奥をよぎった嫉妬と不満を見逃さなかった。けれど表情は崩さず、淡々とうなずく。

「気にしてない」

そのとき、執事が足早にメインリビングへ入ってきた。

「デザイナーのケビン先生がお見えです」

桐生万理華の目がぱっと輝く。さっきまでの不機嫌など、瞬時にどこかへ消えた。

「きゃっ!」

弾んだ声を上げ、沢渡令子に飛びつくように寄り添って腕に絡む。

「パパ、ママ! やっぱり私のこと一番かわいいのね! ケビンにネックレスをオーダーしたいって言ったばかりなのに、旅行から戻ったらもう呼んでくれてるなんて! 最高!」

そう言いながら、執事に向けて手をぱんっと叩くように急かす。

「早く! ケビン先生を控えの間に通して待たせて。私、すぐ行くから!」

だが執事は困った顔のまま、その場から動かなかった。

桐生万理華は眉を寄せる。

「何ぼーっとしてるの? 早く行ってよ!」

沢渡令子の気まずさがいっそう濃くなる。万理華の手をそっと引き、低い声で言った。

「万理華……ケビン先生は、あなたのために来たんじゃないの」

万理華の笑みが凍りつく。信じられない、と沢渡令子を見上げ、声が跳ねた。

「私のためじゃない? じゃあ誰のためよ!」

メインリビングに、しんと沈黙が落ちた。

桐生零はやれやれとため息をつき、視線でそっと示す。――向こうだ、と。

万理華がその先を追うと、ソファに座る桐生瞳が目に入る。瞳孔がきゅっと縮まり、嫌な予感が背中を這った。

桐生明人が軽く咳払いをして説明する。

「ケビン先生には、瞳の成人式用のジュエリー一式をデザインしてもらう。お前の成人式は去年終わっただろう。瞳のほうが一か月だけ年上だが……長いこと辛い思いをさせた。桐生家として、渡すべきものは一つも欠けさせない。きちんと埋め合わせをする」

「成人式の……一式?」

桐生万理華の顔色がさっと青ざめた。

そして桐生瞳を頭の先から足元まで値踏みするように見る。彼女はシンプルなカジュアル服で、身につけているのは飾り気のないものばかり。それが余計に、万理華の心の不均衡に火をつけた。

「どうしてよ! 私の成人式なんて、ネックレスを一本作ってくれただけじゃない! それなのに、この人には一式オーダー?」

悔しさが声に滲む。

「パパ、ママ……結局、私は実の娘じゃないから差をつけるんでしょ! ひどい! 贔屓じゃない!」

言えば言うほど胸が詰まり、目尻が赤くなる。

万理華は桐生瞳をきつく睨みつけた。

誰かが口を開くより早く、彼女は顔を覆って踵を返し、泣きながら二階へ駆け上がっていった。

残されたメインリビングに、また気まずい沈黙。

桐生瞳はその場に座ったまま、ただ困惑していた。

帰ってきたばかりで、何もしていない。それなのに、いつの間にか万理華に敵視されている。――理不尽にもほどがある。

沢渡令子は慌てて桐生瞳の手を取り、申し訳なさそうに頭を下げた。

「瞳、ごめんなさい。万理華は少し甘やかされてしまって……気にしないでね」

そして、迷いを含んだ目で続ける。

「……あの子、両親がいないの。小さい頃からずっと。うちで引き取って長いから、どうしても可愛がりすぎて……もし追い出したら、本当に行く場所がなくなる。お願い、受け入れて……少しだけ、寛大に見てあげられないかしら」

桐生瞳は、令子の瞳にある誠実さと苦しさを見て、軽く首を振った。

「大丈夫です。長い時間を一緒に過ごしてきたんだもの。ああなるのも、自然だと思う」

実の親は、養父母とは違う。打算だけで動く人たちではない。万理華への愛情は、年月が積み重なって生まれた本物の情だ。

だから万理華の敵意も、今ある居場所を失う怖さから来ているだけ――そう理解できた。

そんなこと、取るに足らない。

桐生瞳の落ち着いた返答に、沢渡令子の胸の痛みはむしろ深くなった。失って、ようやく戻ってきた娘が、いっそう愛おしい。

ほどなくして、執事が一人の男を連れてメインリビングへ入ってくる。

仕立てのいいスーツ。品のある佇まい。冷ややかな目元。

名の知れたケビンは気位が高く、滅多に依頼を受けない。動かせるのは一流の名門ばかり――そんな男だ。

桐生明人と沢渡令子は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。

「ケビン先生、本日はわざわざお越しいただきありがとうございます」

ケビンは小さくうなずくだけ。態度は淡泊で、視線がメインリビングを一巡する。

そして最後に、桐生瞳へ留まった。

「桐生さんと、少し二人で話したい。デザインの方向性を決めたいので」

「ええ、もちろんです」

沢渡令子はすぐにうなずき、使用人へ指示した。

「お嬢様とケビン先生を、瞳の部屋へご案内して」

桐生瞳は立ち上がり、ケビンと使用人と共に二階へ向かった。

部屋は丁寧に整えられていた。花の意匠が彫り込まれた壁、足が沈むほど柔らかな絨毯、クローゼットには名のあるブランドの服がずらり。どこを見ても、両親の愛情が形になっている。

――その空気に、まだ慣れきれない。

そう思った矢先、背後から震える声がした。

「ボス! も……申し訳ありません。こちらにいらっしゃるとは存じ上げず……私、目が腐ってました。本当に……!」

桐生瞳が振り返る。

さっきまで氷みたいに冷たい顔をしていたケビンが、両手をそわそわと前に揃え、背を丸め、青い顔で立っていた。彼女を前に、頭すら上げられない。

先ほどの孤高と傲慢は、どこにもない。別人だ。

桐生瞳は眉を上げ、どこか面白がるように言う。

「ケビン。ずいぶん出世したじゃない」

ケビンはびくっと肩を震わせ、慌てて愛想笑いを浮かべた。声はさらに低く、ひたすら恭しい。

「ボス、勘弁してください……! 俺が有名になれたのも、全部あなたのおかげです。世に出た俺の代表作は、全部ボスのデザインです。俺は表に立って売ってるだけで……」

業界では周知の事実がある。

トップデザイナーのケビンには、師と仰ぐ“謎の天才”がいる――イヴァン。

そのデザインは出るたびに争奪戦になり、値が跳ね上がる。だが誰も、イヴァンの正体を知らない。

いつしか世間は、イヴァンはケビンの別名義なのだろうと勝手に思い込んだ。

――違う。

イヴァンは桐生瞳、その人だ。

名作と持て囃された数々のデザインは、彼女が暇つぶしに描いたスケッチをケビンに渡し、販売だけ任せていただけ。本人はずっと裏にいて、名も顔も出さなかった。

「ボス……どうして桐生家の大きなお嬢様なんですか?」

ケビンは堪えきれずに尋ねた。

桐生瞳は苦く笑い、少しだけ目を伏せる。

「長い話になる。今はいい」

それから顔を上げ、淡々と言った。

「両親があなたを呼んだなら、成人式のアクセサリー一式、お願い。派手じゃなくていいから」

ケビンは反射的にうなずきかけ、すぐ首を横に振る。

「いえ、ボス……俺なんかに、あなたのためのデザインなんてできません」

言い募るように続ける。

「だったら……身元を公表しませんか。ボスの才能なら、デザイン界をひっくり返せます。今は桐生家という後ろ盾もある。もう隠れる必要なんてないはずです!」

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