第7章 実の両親はお金持ち?
「千絢の部屋のことは、母さんに任せよう」
夜見槙夫がそう言った。
遠野千絢は小さくうなずく。――きっと、埋め合わせをしたいのだろう。自分が外で苦労してきたと思っているから。
「千絢。父さんと母さんね、あなたがどんな部屋が好きか分からなかったの。だから先に用意してみたんだけど……今から見に行かない? 気に入らないところがあったら、すぐ直させるから」
雲田伊津美が甘やかすような眼差しで、千絢に尋ねた。
「うん」千絢は軽くうなずいた。
そうして雲田伊津美と夜見槙夫は、千絢を連れて階段を上がる。
「千絢、ほら。ここがあなたの部屋よ。どう? 気に入った?」
雲田伊津美は千絢の手を引き、部屋の中へ入っていった。
視界いっぱいに広がるのは、夢みたいに甘いカートゥーン調の内装。
ぬいぐるみ、ドール、フィギュア――女の子が好きそうなものが、あちこちに飾られている。
遠野千絢は、言葉に詰まった。……これは、子ども向けだ。小さい子が喜ぶ類のやつ。
「この部屋の飾り付け、全部君の母さんが一生懸命やったんだぞ。今の子が一番好きなスタイルなんだってさ!」
夜見槙夫は嬉しそうに目を細め、千絢へ告げる。
けれど千絢の顔に、二人が期待するような「わあ!」は浮かばなかった。
雲田伊津美が何かを察し、すぐに声を落とす。
「千絢……前に住んでた雰囲気と違いすぎて、ちょっと戸惑った?」
そして、さらに気遣うように続けた。
「無理しなくていいのよ。慣れないなら、今すぐあなたが落ち着く感じに作り直させようか?」
千絢はこのテイストが好きではない。けれど、ここまで整えるのに、二人が相当手間をかけたのも分かる。
「いいよ。このままで。……住んでて飽きたら、そのとき変えればいい」
帰ってきたばかりで、これ以上二人を疲れさせたくない。何より、せっかくの愛情を空振りにしたくなかった。
その言葉に、雲田伊津美と夜見槙夫の表情がぱっと明るくなる。
「じゃあ、まずはゆっくり慣れてね。私たちは先に下りるわ」
雲田伊津美は千絢の手をぎゅっと握って言った。
「それと……」千絢が少しだけ目を見開く。
だが二人は何も言わず、微笑んで扉を閉め、階下へ戻っていった。
遠野千絢は部屋を見回す。――ぬいぐるみ、多すぎ。幼すぎ。
とはいえ、親にまた模様替えを頼む気にもなれない。自分で少しずつ、どうにかするしかないか。
救いなのは、眺めが最高なことだ。広いテラスがついていて、視界が抜ける。ここでコーヒーでも飲みながら海を眺めたら――たぶん、たまらなく気持ちいい。
千絢はテラスのブランコに腰を下ろし、スマホを取り出すと、友人へ短いメッセージを打って送った。
『遠野工場、出資引き上げ準備』
送信した直後、スマホが鳴った。
千絢は通話に出る。
「もしもし」
「おいおい、今日どうした? やっと目が覚めた? 遠野家から手を引く気になったのか?」
大塚翔太の声は、驚き半分、喜び半分だ。
「別に。出たなら、もう遠野家のことに関わる必要もないでしょ」千絢は淡々と言った。
「出たって……!」翔太が息をのむ。
「なんでだよ? ここ数日、遠野家が娘を見つけたって話は聞いたけど……まさか遠野周生のジジイ、そいつを理由に君を追い出したのか!?」
千絢は思わず白目を剥きそうになる。……当たりすぎ。
本当は言うつもりもなかったが、ここまで当てられたら隠す意味もない。
「よく聞いて。追い出されたんじゃない。私も、自分の家を見つけたの」
苛立ちを隠さず、短く返す。
「そんな都合よくあるかよ。遠野家の娘が戻ったタイミングで、君も実家が見つかるって……」
翔太は一拍置き、急に声を弾ませた。
「まさか、遠野家が戻ってきた娘に気を使って、君を適当な家に押し込んだとかじゃ――」
「くだらないこと言わないで」千絢は眉を寄せる。
「親子関係は調べた。私の実の親の家で間違いない」
「……そっか。ならよかった」
翔太が心底ほっとしたように息を吐く。
「一つの穴から抜けたと思ったら、別の穴に落ちるとか、マジで笑えないからな」
そしてすぐ、心配性が顔を出す。
「で、新しい家はどうなんだ? また支えが必要な感じか?」
遠野家の工場がここまで持ったのは、千絢の金があったからだ――それを翔太は一番よく知っている。だからこそ、出資を引き上げると言い出した千絢が、別の家のためにまた背負い込むんじゃないかと不安なのだろう。
千絢はため息をついてから答えた。
「必要ない。今回は安心して」
必要ないどころじゃない。ここは、空気まで金の匂いがする。
「へえ? そんな自信あるってことは……実の親、金持ちなのか?」
翔太の好奇心がむき出しになる。
千絢は雑談に付き合う気が失せ、声を冷やした。
「いいから、出資引き上げの手続き、早く片付けて。余計な揉め事が増える前に」
遠野家のあの恩知らず二人は、工場の旨味にずっと目を光らせている。これ以上、血を吸われるつもりはない。
「君に落ち着き先があるなら、俺も安心だ。ずっと言い続けてきた甲斐があったわ」
翔太がしみじみ言う。
「はいはい。苦労かけましたね。じゃあ、お礼にご飯でも奢ればいい?」千絢は無表情のまま言った。
「苦労はまあ……でも飯は奢ってくれ」翔太の声が露骨に弾む。
「食い意地、いい加減直しなよ。撤資の件が終わってから」千絢が釘を刺す。
「ケチだな。そうだ、さっきデカい注文取ったぞ」
翔太は得意げに続ける。
「超金持ちが、君のデザインのジュエリーと服と靴とバッグ、まとめて大量に買った。ついでに在庫も全部さばいといた。こんな大口、飯100回奢っても足りないだろ?」
千絢はわずかに目を見開いた。あの在庫は、昔気まぐれに作った限定品とはいえ、半分は趣味の産物だ。それを売り切るとは――やるじゃない。
「分かった。じゃあ一回だけね。手続き終わったら連絡して」千絢は折れた。
「よっしゃ」翔太は満足そうに電話を切った。
スマホを置き、遠くの景色へ視線を投げる。
……ここが、本当に自分の家?
遠野家で長く暮らしてきたせいか、現実感が薄い。夢の中みたいだ。しかも、家族がこんなに金持ちだなんて。
遠野千絢は、目の前に広がる豪奢な屋敷と敷地を見渡した。――どう見ても、ただの「金持ち」では終わらない気配がある。
コンコンコン。
ノックの音に、千絢は扉の方を見た。
「……誰?」
