第7章 九条玲奈に謝れ!

オフィスにいる全員が、まるで初めてこの寡黙な社長夫人を認識したかのように、恐怖を孕んだ眼差しで彼女を見つめていた。

これまでは、彼女の目の前で亡くなった両親のことを噂しても、一言の反撃もなかったというのに。

葉山立夏は口元を歪め、嘲るような笑みを浮かべた。

「私の体調も、能力も、あなたたちごときに評価される覚えはないわ。私の不幸を笑うつもりなら、まず自分たちがその資格を持っているか確認することね」

葉山立夏のこの言葉の余韻は、丸一日、戦略開発部を支配し続けた。

翌日、オフィスの空気は微妙なものへと変化していた。

かつてのような、あからさまな軽蔑の視線は随分と鳴りを潜めている。

葉山立夏はそれを気にも留めず、オフィスの隅に座り、イヤホンをつけて外界の音を遮断していた。

パソコンの画面には、彼女自身が表示させた金融市場のリアルタイムデータが映し出されている。赤と緑が交錯するその曲線は、彼女の目にはオフィスにいる人間たちの顔よりもずっと真実に映った。

昼近く、部長の田中が書類を手に、九条玲奈のもとへ直行した。

「九条副部長、大変です! 昨日の午後目を通していただいたあの草案、社長室から今電話があって、西園寺社長が今日見ると仰っているんですが……み、見当たらないんです!」

それを聞いた九条玲奈は、美しい眉をわずかに寄せ、驚きと困惑を絶妙に演じてみせた。

「田中部長、落ち着いてください。昨日、いくつかデータの確認が必要だと思って、ついでに立夏お姉様にお渡ししたんです。彼女はこの部署のベテランですから、業務は私より詳しいはずですし、チェックをお願いしようと思って」

そう言って、彼女は隅にいる葉山立夏に視線を向けた。

田中は三歩並ぶ大股で葉山立夏のデスクに歩み寄り、切羽詰まった口調で言った。

「葉山立夏、あのレポートはどこだ? 西園寺社長がお待ちだ。遅れたら、我々の部署全員が叱責されるぞ!」

葉山立夏は顔を上げ、静かに彼を見つめた。

「レポートなんて見ていません」

言葉が落ちるや否や、九条玲奈が歩み寄ってきた。顔には少しの悔しさを滲ませている。

「立夏お姉様、どうしてそんなことを仰るの? 私が確かに手渡しましたわ。机の上に置いた時、イヤホンをしてらしたから聞こえなかったのかもしれませんけど、確かにここに置きました」

板生がすぐに割り込んだ。

「あ、私も見たような気がします。昨日の午後、九条副部長はこちらにいらっしゃいました」

「そうだそうだ、俺も見た!」

オフィス内で同調する声が次々と上がる。

田中は冷や汗を流して焦った。

「もう一度よく思い出して、よく探してくれ! 冗談じゃ済まないんだ!」

葉山立夏の視線は、焦る田中の顔から、無実を装う九条玲奈の顔へ、そして周囲の野次馬根性丸出しの同僚たちへと滑り、すべてを悟った。

彼女は、机の上の書類をめくる気さえ起きなかった。

あのレポートはここにはない。

弁解して何になる?

彼らは信じたいものを信じるだけだ。西園寺社長が連れてきた九条副部長が、ミスをするはずがないと。

体の中から虚脱感が波のように押し寄せてくる。昨夜針を抜いた後遺症がまだ消えず、胃もしくしくと痛み、口を開く力さえなかった。

心も、とっくに痛みで麻痺している。

いいわ……どうせもうすぐ去るのだから。

彼女は背もたれに寄りかかり、目を閉じて、コミュニケーションを拒絶する姿勢をとった。

その沈黙は、衆目には黙認と映った。

田中は完全に絶望し、覚悟を決めて九条玲奈と共に社長室へ謝罪に向かった。

戦略開発部全体に通報処分が下り、今月のボーナスは全額カットとなった。

オフィスは阿鼻叫喚となり、すべての恨みが無形となって隅の影に向けられた。

葉山立夏は部署全体の罪人となった。

昼休み、葉山立夏は給湯室で胃を温めるために熱いお茶を淹れていた。

首には淡いブルーのシルクのスカーフを巻いている。それは葉山蓮がアルバイトで稼いだ最初の給料で、彼女に贈ってくれた誕生日プレゼントだった。

この数年、彼女はずっと大切にしまっていて、めったに使うことはなかった。

「立夏お姉様、お一人?」

九条玲奈が挽きたてのコーヒーを持って、しなやかに歩いて入ってきた。午前の不愉快な出来事などなかったかのようだ。

葉山立夏は彼女を無視し、立ち去ろうとした。

「きゃっ!」

九条玲奈が突然悲鳴を上げ、手が滑ったふりをして、カップ一杯の熱いコーヒーを葉山立夏の首元のスカーフめがけてぶちまけた。

コーヒー液は瞬く間にスカーフに染み込み、大きなシミを作った。熱さが葉山立夏の皮膚を刺す。

「ごめんなさい、立夏お姉様、わざとじゃないの!」

九条玲奈はすぐにティッシュを取り出し、拭くふりをしながら、口では謝りつつも目には得色の光を宿していた。

「このスカーフ、いい生地に見えるけど、きっとお高いんでしょう? 汚れが落ちなかったらどうしましょう」

「そうだ、私が新しいのを弁償するわ。エルメスの今年の新作、京夜お兄様が私に似合うって仰ってたけど、立夏お姉様がつけてもきっと素敵よ」

彼女の言葉は、一字一句が自慢であり、挑発だった。

葉山立夏は台無しになったスカーフを見つめた。これは葉山蓮がくれた最初のプレゼントなのに。

パチン!

乾いた平手打ちの音が、静まり返った給湯室に響いた。

九条玲奈は頬を押さえ、信じられないという表情で、瞬く間に目元を赤くした。

葉山立夏は痺れた手を振り払い、胸を激しく上下させた。

仕事も名声もどうでもいい。だが九条玲奈が私の物に触れるのは許せない!

その時、給湯室のドアが開いた。

西園寺京夜の長身が入り口に現れた。

会議を終えてラウンジへ向かう途中だったが、まさかこんな場面に出くわすとは。

後ろに続いていた数人の幹部も呆然とした。

九条玲奈は西園寺京夜を見るなり、糸が切れた真珠のように涙をこぼした。

「京夜お兄様……わざとじゃないの、ただ不注意で立夏お姉様のスカーフを汚してしまって、謝ろうとしたのに、お姉様が……」

彼女は赤く腫れた頬を押さえ、途切れ途切れに訴え、極限まで委縮して見せた。

誰もが西園寺京夜が激怒し、意中の人である九条玲奈のために乗り込んでくるだろうと期待した。

しかし、西園寺京夜はその場に立ち尽くし、眉をひそめて葉山立夏を見つめていた。

彼女の血の気のない顔、そして首のコーヒーによる火傷の痕を見て、眼差しは複雑になり、すぐには発作を起こさなかった。

九条玲奈は彼が動かないのを見て焦り、奥歯を噛み締め、切り札を切った。

彼女は葉山立夏の首の汚れたスカーフを指差し、泣き声混じりに、何気なさを装って言った。

「立夏お姉様がこのスカーフをとても大事にしているのは知ってます。弁償しますわ。ただ、このモデルはずいぶん昔のカップル向けのデザインで、もう手に入りにくいものですから……」

カップル向け。

葉山蓮からの贈り物か。

西園寺京夜の周囲の気圧が瞬時に氷点下まで下がった。

なるほど、午前のレポートも、今の平手打ちも、すべてあの男のためか!

彼の眼差しは急激に冷酷になり、一歩一歩葉山立夏に近づいた。

「葉山立夏、会社で暴力を振るう度胸を誰が与えた?」

葉山立夏は彼の視線を受け止め、唇を震わせたが、一言も発せなかった。

「謝れ」

その言葉に、葉山立夏の体が凍りついた。

西園寺京夜が……九条玲奈に謝れと?

正妻が愛人に謝れと言うのか?

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