チャプター 7
テッサ視点
未知の世界へと車が走り続ける中、期待と不安がない交ぜになった感情が私の胸を締め付けていた。
私が熟知していた近隣の小さな町は、車が進むにつれて瞬く間に賑やかな大都会へと姿を変えた――そこは、私がこれまで一度も訪れることを許されなかった場所だった。
やがて車は速度を落とし、見るからに高級感を漂わせる建物の外にある、薄暗い照明に照らされた駐車場へと滑り込んだ。
係員たちがスポーツカーを預かるために近づいてくる。緑の瞳をした狼が車を降り、誰かが私の側のドアを開けてくれるのを待つ間、期待のこもった視線をこちらに向けていた。私も彼に続いて車の外へと出る。
私たちは気品あふれる扉へと向かった。私のヒールが舗装された地面を短く叩き、やがて大理石の階段に差し掛かると、その足音はさらに高く響き渡った……。
「この街で一番美味い食事へようこそ」
彼は謎めいた口調でそう言い、入り口を手で示した。私は彼の前を通り過ぎ、中へと足を踏み入れる。
店内に足を踏み入れると、落とされた照明と洗練された装飾が、ここが高級なラウンジレストランであることを物語っていた。彼は私をエレベーターへと案内し、「4」のボタンを押した。扉が開いた瞬間、芳醇な料理の甘い香りが漂ってきて、心地よい話し声のさざめきと溶け合い、まるで調和のとれたBGMのように私たちを迎えてくれた。
私たちはいくつもの二人掛けテーブルを通り過ぎていく。一体どこへ向かっているのかと、私は困惑して眉を寄せた……。
歩きながら、私たちに向けられる多くの好奇の視線に気づいた。特に近くにいた七人組の女性客のテーブルからは、熱烈な視線が彼に注がれ、くすくすと笑い合う声が聞こえる(それも無理はない)。彼女たちはきっと、なぜ彼のような男性が、よりによって私のような女と一緒にいるのかと不思議に思っているに違いない!
緑の瞳の狼に導かれて二つ目の扉を抜けると、そこにはキャンドルの灯る隔離された個室のテーブルが用意されていた。あまりにロマンチックな演出に、私の心臓がトクリと高鳴る……。
「このキャンドルだの何だのは店が用意したんだ……俺が自分でここに来て火をつけて回ったなんて思うなよ!」
彼が念を押すように言う。あまりにも真剣な顔つきだったので、私は吹き出しそうになるのをこらえ、唇を噛んで笑いを飲み込んだ。
彼らが「軟弱に見られるのを嫌う」と言った私の考えは、どうやら正解だったようだ……。
それでも彼は私のために椅子を引いてくれた。私は小さな声で「ありがとう」と伝え、頬を赤らめながら腰を下ろす。そして彼が私の周りを回って向かい側の席に着くのを見守った。
私は大きな窓へと視線を移した。眼下には街の景色が広がり、無数の光が瞬いている。
「この段階においては、二つのルールを課されているんだ……。アルコール禁止、それから、書類にサインするまではお前を連れて逃げないこと……」
彼の言葉に私は視線を戻す。彼の瞳が、私の瞳を射抜くように見つめていた。
私が頷いて聞いていることを示すと、彼は小さく首を横に振った。「一つくらいなら破ってもいいだろう……カクテルを選んでくれ。酒は飲んだことがないんだろ?」
そう言って彼はドリンクメニューを私の手に押し付けた。思いがけない提案に、私は驚いて口をぽかんと開けてしまう。
これは試されているの? 断るべき? それとも選ばないと彼を怒らせてしまう?
「何でもいいから選びな……俺たちだけの秘密だ」
彼はそう言ってウインクしてみせた。私は開いたままの口から鋭く息を吸い込むと、顔が熱くなるのを感じて、慌てて視線をメニューへと落とした。
まさか彼が私にウインクするなんて……。
「あ……えっと、その……ストロベリー・ダイキリを、お、お願いします」
私は一番新鮮でフルーティーそうなものを見つけて指差し、上ずった声でそう言った。
「ん……フローズンにするか、それとも普通のか?」
彼は自分のメニューに没頭しながら鼻歌交じりに尋ねる。私は考え込み、何度か瞬きをした。
せめてもう少し彼と会話をしなきゃ、テッサ……。私はそう自分に言い聞かせると、椅子に座る背筋をほんの少しだけ正した。
「あの……ど、どれがおすすめですか?」
私が尋ねると、彼は顔を上げ、その瞳に明らかな輝きを宿して私を見つめ返した。
「フローズンがいいんじゃないかな」
彼の提案に、私は頷いて少しだけ微笑む。これまでのところ、二人の会話は順調に進んでいるように思えた。
次に私たちは食事のメニューへと移った。彼が、私が色々な味を楽しめるように小皿料理をいくつか頼もうと提案してくれたのだ。その提案には私も賛成した。正直なところ、高級すぎてメニューの内容がほとんど理解できなかったため、自分で選ばなくて済むのはとても助かった。
親切そうなウェイターがやって来て、私たちの注文をすべて取ってくれた。何を言えばいいのか見当もつかなかった私に代わって、彼がやり取りをすべて引き受けてくれたことに安堵する。
「待っている間、ゲームでもしないか?」
彼はそう提案すると、テーブルに心地よさそうに肘をつき、身を乗り出してきた。不意を突かれて、私はどぎまぎしてしまう。
「ゲ、ゲームって?」
私は頷きながら問い返し、少しでも落ち着けるように座り直した。
「質問を五つ。俺が聞いて、次は君。お互いのことをもっと知るために、好きなことを聞いていいんだ」
彼が説明する間、私はまたあの惑わされてしまいそうなアフターシェーブの香りを吸い込み、頷いた。
「わ、わかりました……そちらからどうぞ……」
この『ゲーム』でどんな質問をすればいいのか、大まかな感じを掴むために、私は彼に先を譲った。
もちろん、彼に聞きたいことは山ほどあった。けれど、その半分でも実際に口に出せるかどうかは、まったく別の話だ……。
「いつもどもるのか?」
彼は気になっていたことを、そのまま最初の質問としてぶつけてきた。
きっと私のことを馬鹿だと思っているに違いない!
頬がまた少し熱くなるのを感じた。この歳にもなって、忌々しい吃音なんてものに呪われている自分が恨めしい。
「えっと……すご、すごく緊張している時とか、し、知らない人の前だけです……」
高鳴る鼓動を落ち着かせようと、私は手元をもじもじと動かしながら説明した。
彼は一度頷き、私の答えに納得したようだった。そして手で合図をして、次は私の番だと促した。
しまった! 何を聞くかまだ考えてなかった……。
考えた末、最初は一番無難な選択肢で行くことにした。私は彼に尋ねる。
「もし答えるのがい、嫌じゃなければ……お、お名前は?」
私は彼を見つめた。彼は少しニヤリとしている。頭の中で、彼に似合いそうな名前をいくつか想像してみた……。
「ケイン……正式にはケイン・クラークだ。でも、ただケインと呼んでくれればいい」
その申し出に、私は少し目を丸くした。
名前で呼んでいいの?
「ほ、本当にいいんですか?」
驚く私に、彼は頷いて肩をすくめた。
「大したことじゃないさ……デートに連れ出したんだから、名前で呼んでくれてもいいだろ?」
彼がそう言うと、私は少し微笑んだ。彼が本当に、私に自分のことを知ってもらおうとしてくれている気がしたからだ。
上手くいってるみたい……少なくとも、そう思う。
彼が次の質問をする直前、飲み物が運ばれてきた。私のは鮮やかな赤色で、特大のグラスに入ったスラッシュのような質感のものだった。
うわぁ、すごい……。
彼はここまで車を運転してきたにもかかわらず、ウイスキーを頼んでいた。でも、きっと誰か他に私たちを送ってくれる人がいるのだろうと勝手に解釈することにした。
ウェイターがテーブルを離れると、私は待ちきれずに身を乗り出した。ストローを唇に挟み、その飲み物を長く一口すする。
彼は興味深そうに私を見ていた。自分のグラスの短いストローを指で弾きながら、私の目が輝くのを見て、呆れたように、でも楽しそうに首を振る。
「気に入った?」
彼が尋ねると、私は頷いてもう一口すすった。
すごく美味しい! これなら毎日でも飲めそう!
「落ち着け、人間……酒だってことを忘れるなよ」
彼はぶっきらぼうに笑いながら私をたしなめた。私はすぐに背筋を伸ばして座り直し、わかったとばかりに頷く。
「さて、ゲームの続きといこうか……俺からの次の質問だ。ここを離れることについて、お前が一番恐れていることはなんだ?」
不意を突かれ、あまりに率直な質問に私の手は微かに震えた。
なぜだか私は、好きな色だとか好きな動物だとか、そんな他愛のない質問が続くものだとばかり思っていたのだ……。
「え、えっと……その……」
なんとか言葉を紡ごうとする私をよそに、彼はグラスに口をつけ、酒を味わっている。
「正直に言え。俺がここで、くだらない戯言を聞かされるのが嫌いだってこと、忘れたわけじゃないだろうな!」
彼が断固とした口調で言い放つと、背筋が凍るような戦慄が走った。
こうなれば、彼に真実を話す以外に選択肢はなさそうだ……。
「私がここを離れることで、い、一番怖いのは……二度と、ママや親友のエリンに会えなくなること……です」
私がそう告白すると、彼の鋭い視線が私を射抜いた。この場において、彼が私の言葉に最大限の注意を払っていることが伝わってくる。
「なるほどな……次はそっちの番だ」
彼に促され、私は小さく咳払いをした。
「あー……その、あなたは戻ったら、む、群れでは……普段何をされているんですか?」
当たり障りのない質問だと判断して聞いてみた。別に彼の生活のすべてを根掘り葉掘り知ろうとしているわけではない――そうよね?
「俺の地位(ポジション)のことか?」
彼が訂正するように訊き返してきたので、私はただ頷き、彼が話を進めるのに任せた。
「上のほうの地位にはいる……群れの運営を手伝ったり、まあそんなところだ」
彼は肩をすくめた。私は予想通りだと思いながら頷く。
それなら、この豪華な暮らしぶりや、彼が放つ支配的なオーラにも説明がつく。きっとベータか、あるいは最上位の戦士――もしかするとナンバー3(サード)あたりかもしれない。どれも名誉ある地位だし、彼にはうってつけの役回りに見えた。
「すごいですね……」
言葉を濁しつつ、私は身を乗り出してまた少し酒をすすった。彼は油断なくこちらを見ている。また一気に飲みすぎたら叱ってやろうと待ち構えているのかもしれない。
やがて料理が運ばれてきた。一口サイズの皿にあらゆる種類の料理が盛られている。香りだけで、胃袋が急激な空腹を訴えはじめるほどだった……。
特別に手の込んだ一皿に口をつけながら、今夜が当初の予想とは随分違う展開になっていることに思いを馳せた……。
以前あれほど冷淡な態度を見ていたにもかかわらず、この二人きりの食事の間、彼はまるで別人のようだったのだ。
こんな洗練された場所で、ケインという名を知ったばかりの緑の瞳の狼と食事を共にするなんて、自分でも想像もしていなかった。
その名は彼によく似合っていた……。
彼はすべて味見してみるよう強く勧めてきた。驚いたことに、大半の料理が気に入った――半分は何なのか正体もわからなかったけれど、とにかく美味しかったのだ!
「よし、記憶が確かなら……次は俺が3つ目の質問をする番だな?」
互いに料理をつまみながら、彼が言った。
私が頷くと、彼は少しの間考え、口を開いた。「子供は何人欲しい?」
私は凍りついた。狼のオスができるだけ多くの子孫を残したがることは知られている。急に不安が押し寄せてきた……。
「私……」
言いかけた言葉を、彼がぶっきらぼうに遮る。
「『お前』はどうしたいかと聞いているんだ……俺を喜ばせようとして嘘をつくな。好きなように答えろ!」
彼の言葉に、私は喉の奥に込み上げる塊を飲み込んだ。
「えっと、もし……私の希望でいいなら……その、二人か三人かな……。で、でも、将来的にはもっと増やすことも話し合えればって……わかるでしょう?」
しどろもどろに説明すると、彼は私の答えに鼻を鳴らし、ウイスキーをまた一口あおった。
「いい答えだ」
その一言で、体に張り詰めていた緊張が嘘のように解けていくのを感じた。
その質問はクリアした……嘘をつく必要さえなかったし……。
「さあ、どうぞ」
彼はそう言うと、私に質問を促すジェスチャーをした。お互い、残りの質問はあとわずかだ。
「す、好きな……い、色は?」
子供の話題で生まれてしまった緊張を解そうと、私はあえて簡単な質問を選んだ。
「黒だ」
彼はそっけなく肩をすくめる。私は即座に首を横に振った。
「だめ、黒はなし! たとえば……この世に黒が存在しないとしたら……その時は?」
私が食い下がると、彼は面白そうに小首をかしげた。
「今回は吃(ども)らなかったな」
彼が指摘する。私は目を丸くし、ぽかんと口を開けた。
そうだった? もしかすると私……彼と一緒にいることに、思った以上に居心地の良さを感じ始めているのかもしれない……。
「だが質問に答えるなら、もし黒がどうやっても存在しないとしたら、グレーを選ぶ」
彼がきっぱりと言い放ったので、私は思わずくすりと笑ってしまった。
いかにも彼らしい答えだ!
私の軽い笑い声につられるように、彼の口元も緩み、白い歯を見せて笑った。私はフルーティーなカクテルに手を伸ばし、さらに何口か喉に通す。
「ついでに聞くが、君の好きな色は?」
彼が尋ね、私は少し考えた。
「ピンク……あと、赤が好き……」
自分の考えを口にすると、今度は彼が呆れたように目を回してみせた。
「ありがちだな!」
彼が文句を言い、私はまた笑ってしまった。
よく言うわ! 好きな色が黒とグレーだなんて! 彼の方こそ、一番ひねりのない答えじゃないの!
「わ、わかった……じゃあ、最後から二番目の質問は……そうだな……」
私は顎に指を当てて考え込む。聞きたいことを聞けるチャンスは、あと二回しか残っていない。
「どうしてきょ、今日、私にもう一度チャンスをくれようと思ったの?」
あれこれ考えすぎる前に、言葉が唇からこぼれ落ちていた。それはずっと彼に聞きたかった、心からの問いだったのだ――本音の答えが欲しかった。
彼はじっと私を見つめ返し、思案しているようだった。片腕を椅子の背にだらりと回し、もう片方の腕で体を支えている。
「俺は賢い男だからな……あの時の君の様子を見て、誰かに嵌められたんだと察しがついた。おそらく、君の容姿に脅威を感じた他の女たちの嫉妬だろうが……。だから、少なくとも君にも他と同じだけのチャンスが与えられるべきだと思ったんだ――それがルールだからな」
彼が淡々と答え、私はぱちぱちと瞬きをした。自分の耳が信じられなかったのだ。
「今夜君を迎えに行った時、本来あるべき姿の君を見て、確信に変わったよ。今日の昼間、君には公平なチャンスが与えられていなかった。俺はそういう不公平な振る舞いは認めない――だから、君を選んでよかったと思ってる」
言葉尻を濁すように彼は言ったが、それでもその言葉は私を驚かせるに十分だった。
すごい……。
「さて、俺からの最後の質問だ……」
彼はニヤリと笑い、その瞳に意地悪な光を宿した。私は息を呑む。
最後の質問に何を選ぶつもりなの? 今夜の彼は、ここまで私に対してまったく手加減なしなのだから……。
「もし俺が『ステージ4』に進む相手として、君を連れて帰るとしたら……二週間のトライアル期間中、いい子にして俺の言うことを聞けるか?」
彼が低く囁き、私の掌はますます汗ばんでいく。
いったい何を言ってるの!?
「は、はい……」
催眠術にかかったように、唇から答えが漏れた。目の前に座るこの男性に、完全に魅了されてしまっていた。
本気で私をトライアル期間の相手として連れて帰ることを考えているの? 二週間の同棲生活で、私を生涯のパートナーにするかどうか見極めるために?
「いい子だ……さあ、君の番だ。最後の質問、心して聞けよ、テッサ」
彼が私の名前を口にした瞬間、思考回路がショートしそうになった。胸の奥が甘く疼き、舞い上がるようなときめきが全身を駆け巡る。
しっかりしなきゃ……ここで崩れちゃだめ……。
「あ、愛を……信じますか?」
口をついて出たその質問に、私自身が驚いて言葉を詰まらせた。
