第7章
周防春香がそう簡単に私を見逃すはずがないとはわかっていたが、まさかこれほど性急に、しかもバレエ団の中で直接難癖をつけてくるとは予想外だった。
「たかが一度くらい、どうってことないわ」
周防春香の表情が一瞬強張った。嫌がらせが不発に終わったからだ。
だが、何かを思い出したのか、彼女は再び軽蔑の眼差しを私に向けてきた。
「小林紗夜、これは一度きりじゃないわ。始まりよ」
彼女は私を上から下まで値踏みするように見た。
「医者に行ったこと、まだ団長に報告していないんでしょう? もしあなたの足の怪我を団長が知ったら、まだバレエ団に置いてくれると思う?」
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
頭の中が真っ白になる。
どうして彼女が私の診断結果を知っているの!
焦りの中、私は声を潜めて警告した。
「周防春香、口を慎みなさい!」
私の動揺を見て取ったのか、周防春香は満足げな笑みを浮かべた。
「怖くなった?」
「口をつぐんでほしければ、それなりの態度を見せなさいよ」
私は唇を噛み、沈黙した。
周防春香は鼻で笑った。
「チャンスはあげたわよ。あなたが無能なのが悪いの。私のせいにしないでね!」
そう言い捨てて団長室へ向かう彼女の背中を見て、心臓が縮み上がった。
怪我のことを暴露させるわけにはいかない。そうでなければ国際バレエコンクールへの道が閉ざされてしまう!
止めなきゃ!
絶対に止めなきゃ!
「周防春香、待って!」
私は衝動的に駆け寄り、彼女の腕を掴んで止めようとした。
周防春香は勢いよく振り返り、怒って私の手を払いのけようとした。
だが、私の手に触れようとした瞬間、彼女の目つきが変わった。
彼女は自ら、壁に向かって倒れ込んだのだ。
苦痛に顔を歪め、肩を押さえて私を見る。その目は悲劇のヒロインのように潤んでいる。
「紗夜、話し合えばいいじゃない。どうして突き飛ばすの?」
私は呆気にとられたが、すぐに状況を察して振り返った。
フォーマルなスーツを着た立花謙一が、陰鬱な顔で立っていた。
周防春香の言葉を聞いて彼の顔色が変わり、大股で近づいて彼女を助け起こす。
「小林紗夜、また何の発作だ!」
「どうしてそんな言い方をするの!」私は怒りに任せて問い返した。
「謙一、紗夜を責めないで。団長が本来彼女のものだった主役を私にくれたから、彼女も腹が立って、私に八つ当たりしただけなの。私は大丈夫」
周防春香は立花謙一の手をしっかりと握り、しおらしく首を振った。
立花謙一の視線が、さらに冷たくなる。
「主役を降ろされたなら、自分自身を反省すべきだ。トラブルを解決してやった人間に無能な八つ当たりをするんじゃない!」
八つ当たり?
その言葉は鋭い棘となって私を刺した。私は思わず問い詰めた。
「立花謙一、私たち何年も一緒にいたのに、あなたの心の中で私はそんな人間だったの?」
「お前のことはとっくに見えなくなっている」
心臓をハンマーで殴られたようだった。
息ができないほど痛い。
「謙一」周防春香がまた猫をかぶり始めた。「肩が痛いの。筋を違えたかもしれないわ」
「病院へ送ろう」
立花謙一は私から視線を外し、周防春香を庇いながら去っていった。
私を通り過ぎるとき、周防春香が挑発的に眉を上げた。
まるで、小林紗夜、またあなたの負けよ、と言わんばかりに。
立花謙一の心にいるのは私じゃないと認めたとき、すぐにこの感情を捨てられると思っていた。
でも毎回……彼に会うたびに、私の防御壁は跡形もなく崩れ去る。
彼のほんの些細な言葉が、私には絶大な殺傷力を持つのだ。
周防春香の言う通りだ。
この恋の戦において、私は確かに負けた。
完膚なきまでに。
私は無表情で更衣室に入り、隅に隠れた。
口を強く押さえ、音もなく涙を流す。
一通り発散すると、少し気持ちが落ち着いた。
ただ、心の傷はまだ疼いている。
着替えて、レッスン室で動作の練習をした。
自分の愛することに没頭しているときだけ、心の痛みを忘れられる。
練習は夜明けから日暮れまで続いた。
体の痛みが、心の痛みを少し紛らわせてくれた。
ブランケットを羽織ってシャワーを浴び、自分の服に着替えて帰ろうとしたときだった。
入り口まで来たところで、携帯電話が鳴った。
メッセージだ。
こんな時間に誰だろう?
開いてみると、健からだった。
【紗夜、今夜は俺が奢るよ。場所はここだ。】
すぐにレストランの位置情報が送られてきた。
タクシーで目的地に着き、そのレストランの佇まいを見て驚いた。
ロビーに吊るされたシャンデリアだけで一千万は下らないだろう。
壁一面のワインセラーや、プライベートかつ広々とした食事スペースは言うまでもない。
ここは決して一般人が利用できる場所ではない。
健はどうしてこんな高級店を知っているの?
疑念を抑え、ウェイターに健の名前を告げた。
相手はすぐに案内してくれた。
ホールに入ると、窓際の席に座っている健が見えた。
彼も私と同じで、窓際の席が好きなようだ。
ただ、今日の彼の服装は以前とは違っていた。
仕立ての良いキャメル色のトレンチコートを着て、全身から歳月を経て洗練された温かさと静けさが漂っている。
「どうしてまたじっと見てるんだ?」
彼の問いかけに、私はバッグを奥の椅子に置き、淡然と笑った。
「トレンチコート、よく似合ってるわ」
健は少し驚いたようで、私が褒めるとは思っていなかったらしい。
そして、口角をわずかに上げた。
「あんたに褒められたのは初めてだ。嬉しいよ」
私は目の前の水を一口飲み、また彼を見た。
「このレストラン、高そうね。どうして知っていたの?」
健は座り直し、堂々とした様子で言った。「こういう場所には来たことがなかったんだが、あんたを招待するなら環境の良い場所じゃないといけないと思って、いろんな人に聞いてここにしたんだ」
私はコップを置いた。「そうなの。じゃあ、あなたの友達はすごいわね。この店、私も来たことがないわ」
健は眉を上げた。「あんたから大金を貰ってるんだ、ケチケチするわけにはいかないだろう。最高のレストランを選ばないと」
それは確かに理に適っている。
私は疑うのをやめ、それ以上追求しなかった。
しかし健は私の沈黙から何かを感じ取ったのか、体を起こして私の目を見た。
「泣いたのか?」
私は一瞬狼狽えた。
あれから随分時間が経っているし、目も腫れていないはずだ。バレるはずがない。
私は後ろに寄りかかり、照明の当たらない影に身を隠した。
「いいえ。突然そんなこと聞くなんて、失礼ね」
「すまない」健はすぐに謝ったが、続けて説明した。「以前、お互いに隠し事はなしだと言っただろう。だから聞いたんだ」
やましいのは私の方だ。彼が謝ったので、それ以上は言わなかった。
「大丈夫、泣いてないわ」
健は軽く頷き、窓の外に視線を移した。「ここの夜景は好きか?」
私は彼の視線を追って外を見た。
目を奪われた。
夜の帳が下り、星が瞬いている。
遠くを行き交う車のライトが流れる天の川のように、街全体を照らしていた。
「ええ、とても綺麗」
私の答えを聞いて、健は視線を戻し、再び私に向けた。
「気に入ってくれてよかった」
「俺の目には、あんたの方が夜景よりも美しく見えるよ」
その言葉が、そっと私の心を叩いた。
私はゆっくりと顔を向け、視線を夜景から健へと移した。
その深く、しかし誠実な瞳を見つめていると、心の底の苦しみがようやく解けていくようだった。
「ありがとう」
「どういたしまして。もし誰かが君を不愉快にさせたなら、直接その相手に言えばいい。そうすれば相手もわかって、変わってくれるかもしれない」
私は少し呆然とした。彼は私を励ましてくれているのだろうか?
でも彼は知らない。立花謙一は他の人とは違う。
たとえ私が言ったとしても、彼は信じない。
ましてや、変わることもない。
