第9章
あまりに奔放な夜だった。
終わったのは空が白む頃。
服を着る気力さえ残っておらず、私は泥のようにベッドに伏したまま動けなかった。
結局、けんが私を抱きかかえてバスルームへ運び、体を洗ってくれた。
その後、私は深い眠りに落ちた。
次に目を覚ました時には、日はすでに高く昇っていた。
けんの姿はなかったが、テーブルには書き置きがあった。『朝食を用意しておいたから、忘れずに食べるように』と。
私は微かに口元を緩め、半信半疑でリビングへ向かう。
朝食はシンプルに、サンドイッチと牛乳。
一口食べてみると、驚くほど美味だった。
あのバーの従業員研修は、よほど徹底されているらしい。
専門技術だけでなく、料理の腕まで仕込まれるとは。
温かい朝食が胃に落ち、体調も整った。
私は服を着替え、バレエ団へ向かおうとドアを開けた。
その瞬間――目の前に、どす黒い表情の立花謙一が立っていた。
上向いていた気分が、瞬時にして地に落ちる。
「何のご用?」
立花謙一は殺気立った目で私を睨みつけると、自身のスマートフォンを目の前に突き出した。
「説明してもらおうか!」
画面を見て、全身の血が逆流した。
私がマットの上で佐川団長に組み敷かれ、弄ばれている写真だ。
怒りに震えながら、私は問い詰める。
「どうしてあなたがこの写真を?」
「よくも聞けたな?」
立花謙一はスマホを引っ込め、怒鳴り散らした。
「小林紗夜、お前はどれだけ飢えてるんだ? 神聖な稽古場で、あんな男とやるなんて!」
「今日この写真を見なければ、俺はずっと騙されたままだった。プライドが高いんじゃなかったのか? 俺と別れた途端にそんな安っぽい女に成り下がり、来る者拒まずか!」
怒りで頭の中がガンガンと鳴り響く。
十年間も付き合っておきながら、彼には私への信頼など欠片もないのだ。
「あなたには関係ないわ。忘れないで、婚約はもう破棄したのよ!」
立花謙一の怒りが、その顔に張り付いたまま固まった。
しばらくして、ようやく彼は口を開く。
「婚約破棄したとしても、お前は金を受け取って俺と演技をすることに同意しただろう。こんな真似をするのは一方的な契約違反だ。十倍の賠償金を払ってもらう」
彼の厚顔無恥さに呆れ果てる。
「十倍の賠償なんて約束した覚えはないわ」
立花謙一は断言した。
「ルールは俺が決める。俺の言うことがすべてだ」
「あなた――」
立花謙一は強引に遮った。
「契約を結んだ以上、義務を果たせ。これからは勝手な真似は許さない。もし祖父がこの写真を見たらどうなるか……俺が容赦すると思うなよ!」
彼の顔も見たくなくて、私は顔を背けた。
「写真は事実じゃないわ。自分で調べて」
昨日、レッスン室を出てから会ったのは周防春香だけだ。
彼女は物音を聞いて来たのだと思っていたが、どうやら最初からドアの外にいたらしい。
私が佐川団長に辱められているのを見て、止めるどころか、こんな写真を撮って立花謙一に送るとは。
本当に、ご苦労なことだ!
立花謙一の表情が少し和らいだ。
「祖父が会いたいと言っている。来い」
そう言って、彼は私を無理やり車に押し込んだ。
立花のおじい様の手前、抵抗はしなかった。
しかし、まだ道半ばというところで、立花謙一の携帯電話が鳴った。
二回コールした後、自動的に通話が繋がる。
『謙一、足を挫いちゃったの。病院まで迎えに来てくれない?』
周防春香の甘ったるい声が車内に響いた。
立花謙一は顔色を変え、すぐにBluetoothを切って携帯電話を耳に当てた。
私は音もなく冷笑し、窓の外を見た。
心の中で十秒数える。
十……
九……
八……
……
四……
「キキーッ」
車が道端に急停車した。
私が座っている助手席のドアロックが解除される。
「ここで降りろ。周防春香が怪我をしたんだ、そばに誰もいないから、俺が行かないと」
以前、私が思い立って彼に昼食を届けたときは、立花グループ本社のロビーで三十分も待たされてようやく通されたというのに。
周防春香が足を挫いたと言えば、彼は十秒も我慢できずに駆けつけるのだ。
比べると、私は本当にちっぽけな存在だ。
私はシートベルトを外して車を降りた。
立花謙一は私が何も言わないのを見て、不自然な表情で言い訳をした。
「小林紗夜、変に思うなよ。俺はただ……」
「説明はいらないわ」私は冷ややかに彼を見た。「私……気にしてないから」
立花謙一の顔色が途端に悪くなった。
アクセルを踏み込み、車は轟音を上げて走り去った。
私はスマートフォンを取り出してタクシーを呼んだ。すぐに運転手が捕まった。
十五分もかからず病院に着いた。
絶対に立花謙一より早く着いたと思ったが、病院の入り口に行くと、周防春香が車椅子に乗り、立花謙一が自ら押して検査室へ向かうのが見えた。
理性が、関わるなと告げている。
しかし感情が私を突き動かし、後をついていってしまった。
立花謙一が周防春香を検査室の前まで送り届けた後、彼女の前に回り込み、わざわざ身を屈めて何か言い聞かせているのが見えた。
周防春香は笑顔で頷いている。
立花謙一はようやく安心したように、背を向けて別の方向へ歩いていった。
胸が痛んだ。
立花謙一は私に優しく接したことなど一度もなかった。
付き合い始めた頃でさえ、私が病気になっても薬を買ってくるだけだった。
ある時、私が四十度の高熱を出して彼に電話し、病院へ送ってほしいと頼んだことがあった。
しかし彼は、学校にいないから戻れない、誰か他の人に頼んで病院へ行けと言った。
私は一晩中熱にうなされ、目が覚めたとき、ベッドの横には誰もいなかった。
結局、両親がわざわざ駆けつけてくれたのだ。
考えれば考えるほど、心が冷え込んでいく。
どうしてあんなに彼が好きだったのか、もう思い出せないほどだ。
「小林紗夜」
ハッと我に返ると、周防春香が目の前に来ていた。
彼女は私を見て、隠しきれない優越感を漂わせていた。
「言ったでしょう、私には勝てないって。もう諦めて、謙一のそばから完全に消えたらどう?」
私は静かに笑った。
「周防春香、人間の本性は隠せないものよ。もし立花謙一が、あなたが見た目ほど優しくて素直じゃないと知ったら、きっとあなたへの優しさを引っ込めるでしょうね」
周防春香は顔を曇らせた。
「私がどうするか、あなたに心配される筋合いはないわ。それよりあなた、主役の資格を失って、佐川団長まで殴って、もうおしまいね」
瞳孔が収縮する。
「じゃあ、あの時本当にドアの外にいたの?」
「そうよ。ドアの外にいたし、佐川団長を呼んだのも私よ」
私が固まっているのを見て、周防春香は嬉しそうに笑い、続けた。
「彼があなたを懲らしめたがっているのは知ってたけど、団長の手前、手を出せずにいたの。だから私がわざわざ教えてあげたのよ、あなたが立花謙一を怒らせたって。それで彼は怒り心頭であなたのところへ行ったの」
佐川団長が来たのは、彼の器が小さく、人を許容できないからだと思っていた。
まさか、その裏で周防春香が糸を引いていたとは!
私は彼女を傷つけるようなことは何もしていないのに、彼女は何度も私を傷つけ、死地へ追いやろうとする!
我慢の限界だった。反撃しようとしたその時。
周防春香が突然頭を抱えて叫んだ。
「殴らないで! 小林紗夜、話せばわかるわ、もう殴らないで!」
彼女の様子を見て、立花謙一が戻ってきたのだとわかった。
私は躊躇なく振り返り、立花謙一を止めて説明しようとした。
「立花謙一、彼女は嘘をついてる! 私は何も……」
言葉が終わらないうちに、立花謙一に強く突き飛ばされた。
無防備だった私はバランスを崩した。
膝を近くのベンチに激しく打ち付ける。
目の前が真っ暗になるほどの激痛が走り、しばらく動けなかった。
「小林紗夜、お前の毒婦のような姿には、本当に反吐が出る」
立花謙一の言葉を聞いて、体の震えが止まらなかった。
痛い。
本当に痛い……。
