第3章

見慣れないけれど高級そうな調理器具に囲まれて、台所に差し込む朝の光の中、私は途方に暮れて立っていた。

昨夜、治郎が血を咳き込む音が、まだ頭の中で響いている。何かをしなければ。たとえそれが、簡単な朝食を作ることだけだったとしても。

そっと冷蔵庫を開ける。中身は充実しているとは言えなかったが、卵、牛乳、食パン、いくつかの野菜といった新鮮な食材は揃っていた。卵に手を伸ばした時、近くにあった薬の整理ケースが意図せず視界に入ってしまった。

きちんと並べられた処方薬の分包。その一つ一つが、治郎の苦しみを突きつけてくるようだった。私は無意識にそこから視線を外し、フライパンを探そうと向き直った。

アイランドキッチンにはエスプレッソマシンが置かれていた。そばに歩み寄り、慣れた手つきで豆の挽き具合を調整する。バリスタをしていた頃に使っていたのと同じモデルで、その操作は身体が覚えていた。

「その機械、手慣れたものですね」

背後からの治郎の声に、私はびくりとして危うくコーヒーをこぼしそうになった。

振り返ると、グレーの部屋着を着た治郎が立っていた。髪は少し乱れていたが、その黒い瞳は、探るようにじっと私を見つめている。その視線に、なぜだか胸がざわつき、私の虚勢すべてが見透かされているような気分になった。

「そうでしょうか?」私は努めて平静を装って言った。「きっと身体が覚えているだけですよ。医者も、手続き記憶は残りやすいって言っていましたし」

治郎はすぐには答えず、ただ私を見つめ続けている。値踏みするようなその視線に、背筋が冷たくなった。

「今日は顔色がずっといいですわ」私は慌てて話題を変えた。「龍也兄……」

言葉を口にした瞬間、致命的な失態に気づく。どうして兄の名前を間違って言ったのだろう?

部屋の空気が一瞬で凍りついた。

「龍也?」治郎が感情の読めない声でその名を繰り返す。「誰のことでしょうか?」

心臓が激しく鼓動するが、必死で平静を装う。「私……どうしてその名前を口にしたのか、自分でも分からないのです。病院で聞いたのかしら……? 」

治郎の視線が、さらに鋭さを増す。彼は私の問いには答えず、ダイニングテーブルまで歩いていくと腰を下ろした。

「朝食、いい匂いですね」と彼が言ったが、その無理に装った気軽さが、かえって場の緊張を増幅させた。

コーヒーと、簡単なアボカドトーストと卵料理を運ぶ私の頭は、完全に混乱していた。治郎はもう私を疑っているのだろうか?

私たちは時折短い言葉を交わすだけで黙って朝食を食べたが、探るような雰囲気は消えなかった。

朝食の後、治郎はリビングの飾り棚へ歩いていき、写真立ての位置を直し始めた。私は皿を片付けるふりをしながら、密かに彼の反応を窺う。

昨日私が気になった写真立てを彼が手に取った時、その動きがぴたりと止まった。

「彼女も絵を描くのが好きで、いつも……」写真に向かって呟く治郎の声には、切ない響きが滲んでいた。「いつも絵の具をあちこちにつけては、『芸術の指紋』だなんて笑って……」

彼の声は次第にかすれ、ほとんど聞こえなくなる。ふと、私が聞いていることに気づいたように、彼は慌てて写真立てを元に戻した。

治郎がこれほど取り乱すのを初めて見て、その苦しげな様子に胸が締め付けられる。

「絵を描くのが好きだったのは、誰?」私はわざとリビングへ歩み寄りながら尋ねた。「今、話していた人のこと?」

治郎は複雑な表情を浮かべ、口ごもる。「いや、何でもない……。勘違いだ。たぶん、テレビか何かで見た話を……」

だが、彼の目は嘘をつけずにいた。その顔には、苦痛と、思慕と、そして罪悪感に似た感情がはっきりと浮かんでいた。

私は、ふいに理解した。あの少女、本物の妹は、もうこの世にいないのだと。そして私は、彼女の居場所を占拠しているただの偽物、詐欺師なのだと。

罪悪感が津波のように押し寄せ、私は溺れそうになった。

――私はただの嘘つきじゃない。誰かの思い出を踏みにじっているんだ。

午後の陽光が和らぐ頃、私たちはダイニングルームで向かい合って座っていた。息が詰まるような沈黙の中で。このままではいけないことは、分かっていた。

深呼吸をして、私はさらに探りを入れる危険を冒すことに決めた。

「治郎兄さん、家のこと、少し思い出しましたの」私は彼の目を見つめて言った。「まだぼんやりしているんだけど、でも、覚えてます……」

わざとそこで言葉を切り、彼の反応を窺う。治郎の瞳孔がわずかに収縮したが、表情は穏やかなままだった。

「何を思い出したんですか?」彼は静かに尋ねた。

「誰かがいなくなったことです」私は続けた。「大切な誰かが。そして、すべてが変わってしまいました」

治郎の指が、テーブルを軽く叩く――神経質な癖だ。空気中の緊張が、限界点に達しようとしていた。

突然、治郎が私の目をまっすぐに見つめた。その強烈な視線に、私は裸にされたような気分になった。

「真由美」彼の声は落ち着いていたが、その一言一言が槌のように私の心を打った。「君は、記憶喪失なんかじゃなかったんだろう?」

一瞬、呼吸が止まった。私たちは見つめ合い、無言の対峙を続けた。否定し続けることも、この茶番を演じ続けることもできた。だが、彼の目に浮かぶ疲労と理解の色を見て、私は突然、嘘をつき続ける勇気を失った。

「いつから、分かってたの?」私は静かに尋ねた。声がわずかに震えていた。

治郎は、安堵と悲しみの両方を含んだ苦笑を浮かべた。

「最初の日からだ」と彼は言った。「本当に記憶喪失の人間なら、見慣れない環境でそこまで落ち着いてはいられない」

私の顔が羞恥で燃えるように熱くなった。床が裂けて、私を飲み込んでくれればいいのにと思った。

「それに」治郎は続けた。「本物の妹なら、兄をそんな目では見ない。君の視線には、警戒心と、他人行儀な感じが強すぎた」

私はうつむいた。涙が堪えきれずにこぼれ落ちる。「ごめんなさい、私――」

「謝る必要はない」治郎の声は、穏やかなままだった。「誰にだって、事情はあるものだ」

彼を見上げると、涙でにじむ視界の向こうに、これまで出会ったことのないような、ある種の理解と受容が見えた。

太陽が傾き始めた頃、私たちはリビングから続くバルコニーへと移動した。

「本当のことを、知りたいか?」治郎は手すりに寄りかかり、遠くを見つめながら言った。

心は不安でいっぱいだったが、私は頷いた。

「俺は妹の星奈を失った」治郎の声は、何か壊れやすいものに触れるのを恐れるかのように、優しかった。「白血病で、二年前だ。そして君は……」彼は私の方を向き直り、「君は、兄に捨てられたんだろう?」

心臓が痛いほどに収縮した。再び涙が込み上げ、今度はそれを隠そうとはしなかった。

「私たち、二人とも、捨てられた人間なのね」私は声を詰まらせながら言った。

治郎が手を伸ばし、そっと私の手を取った。「しばらく、寄り添っていられるかもしれないな」彼は静かに言った。「嘘も、見せかけもなしで。ただ、二人の孤独な魂が、互いに慰めを与えるんだ」

私は彼を見た――自身の苦しみを抱えながらも、見ず知らずの他人に温もりを与えようとする、その優しさが胸を締め付けるこの男性を。

「本当に、あなたの世話をしたい」私はきっぱりと言った。「妹としてじゃなく、あなたの優しさに報いたい人間として」

治郎の目に驚きが浮かび、次いで深い感情が宿った。

「そうしよう」彼は静かに言った。「もう、どちらも一人でいる必要はない」

沈む夕日が、バルコニーに私たちの影を長く伸ばし、まるで二つの壊れた魂が互いを見つけたかのように、絡み合わせていた。

この始まりは嘘で築かれたものだったけれど、この瞬間から、私たちの間に生まれる思いやりは、すべて本物になるだろう。

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