第3章

 ここ数日、私は手を変え品を変え、准一の会社へ顔を出した。

 月曜は体に沿うシャツで、ボタンは三つ目まで外す。火曜はVネックのセーターに替えて、屈んだ瞬間、見えるものは全部見えるようにする。水曜はもう、キャミワンピで突撃。

 私が現れるたび、受付の女性はにこにこしながら声をかけてくる。

「奥様、今日も羽山さんに会いに?」

 私はいつも微笑んでうなずき、そのままエレベーターで上へ。

 准一の同僚たちの視線は、驚きから「またか」に変わっていった。何人かは、ついに向こうから挨拶までしてくる。

 そして准一は、私を見るたび毎回同じ顔をする。最初は驚き、次に緊張、最後は諦め。

 心の声を聞くのも、これがまた面白い。

 今日は金曜。

 階下へ降りながら、今日はどんな理由で会社へ行こうかと考えていたら――リビングのソファに准一がいた。スマホを眺め、コーヒーを飲んでいる。

「今日、会社行かないの?」

 准一はびくっと固まり、ひと口すすってから言った。

「うん。前に進めてた分、仕事はだいぶ片付いたから。休み取って、ちょっと休憩」

 頭の中に、彼の本音が流れ込んでくる。

「毎日お前が来るせいで、会社の連中の目が変なんだよ。って言えるわけないだろ……。しかも、正直しんどい。最近どうしたんだ。別人みたいで……」

 笑いそうになるのを必死でこらえる。

 なるほど。私に追い詰められて、休みを取ったわけだ。

 准一は立ち上がった。

「……じゃあ、ジムで少し鍛えてくる」

 そう言って地下へ降りていく。

 閉まった扉を見つめ、私は小さく笑った。

 待ってた。

 私は寝室へ駆け戻り、数日前に買ったヨガパンツとスポーツブラに着替える。ぴったりした生地が脚のラインを完璧に拾い、上は体に張り付いて――出るところは出て、引き締まるところは引き締まる。

 完璧。

 階下へ降り、トレーニングルームの扉を押し開けた。

 准一は懸垂をしていた。白いタンクトップ、腕の筋がくっきり浮いている。

 扉の音に気づいて降り、振り返る。私を見た瞬間、固まった。

「……それ、どうした?」声が少し硬い。

 私は彼の前まで歩き、見上げる。

「最近ちょっと太った気がして。私も運動したいなって」

 一拍置いて、いちばん無垢な声を作る。

「ねえ、教えてくれない?」

 准一がごくりと喉を鳴らす。喉仏が大きく上下し、掠れた声で言った。

「……いいよ」

「まずはストレッチから」准一は一メートルほど距離を取り、わざと離れて立つ。

 私は言われたとおりに体を伸ばす。わざと深く前屈し、動きに合わせてトップがずり上がり、腰が少しだけ覗く。

 彼の視線がそこに落ちる。私が見ているのに気づくと、慌てて目を逸らした。

「次、スクワット」准一は背を向けて見本を見せる。

 私は隣に立ち、ゆっくり、わざと遅く動く。

「これで合ってる?」一番低いところで止め、振り返って尋ねた。

「……合ってる。すごく、いい」声が震えている。

「でも、ここがちょっと変な感じ」私は自分の太ももを指さした。「見てもらえる?」

 准一は私の後ろへ回った。

「もう一回やって。どこが変か見るから」

 もう一度姿勢を作って腰を落とすと、彼の手が私の腰の横に添えられる。薄い生地越しでも、手のひらの熱がわかる。

「背中、もう少し真っすぐ」耳元で囁く声。吐息が首筋をくすぐった。

 私はわざと後ろへ体重を預けた。背中が彼の胸に触れる。

 准一の呼吸が止まり、手に一瞬だけ力が入る。

「……よし」彼は急に手を離し、一歩引いた。「フォームは問題ない。次、腹筋やろう」

 私はヨガマットに仰向けになった。

「足、押さえる人が必要だな」准一が足元にしゃがみ、手で私の足の甲を押さえる。

 私は起き上がる。起きるたび、顔が近い。

 一回目。私は彼の目を見る。准一はすぐ視線を外した。

 二回目。私はもっと上まで起きる。鼻先が、彼の鼻先に触れそうになる。

 五回目、私は「うっかり」前へ傾きすぎてバランスを崩し、そのまま彼に倒れ込んだ。

「危ない!」

 准一は反射的に受け止める。二人いっしょにマットへ倒れた。

 私は彼の上。彼の腕が私の腰を抱いている。

 心臓の音。彼のものか、私のものか――わからない。

 体温が伝わってきて、溶けてしまいそうだった。

 そして私は、彼の下腹部の反応をはっきり感じる。硬くて、私に当たっている。

 顔を上げる。彼の顔が目の前。まつ毛の一本一本が数えられる距離。

 私は目を閉じた。待つ。彼が、私にキスしてくれるのを。

 頭の中に、准一の慌てた声が飛び込んでくる。

「目を閉じた……待ってるのか? キス、してほしいのか? したい……くそ、したい。でも駄目だ。怖がらせる。全部壊す。駄目。押し返せ。今だ」

 そして彼は、私を突き放した。

 熱いものに触れたみたいに、乱暴に。

 准一は身を翻し、逃げるみたいにトレーニングルームを飛び出していった。

 階段を駆け上がる音。続いて、浴室の扉が閉まる音。

 私はマットに寝転んだまま、目を開ける。

 笑いがこみ上げて、止まらない。

 十分ほどして、浴室から准一の気まずそうな声がした。

「……日奈」

「ん?」

「……悪い。客間に、着替え……あるだろ。取ってきてもらえる?」声がさらに小さくなる。

 私は立ち上がった。

「いいよ」

 二階へ上がり、客間の扉を開ける。きちんと整えられた部屋。三年の間、私が掃除しようとしても、准一は入らせてくれなかった。

 クローゼットから清潔な服を一式取り出し、それから私は耳を澄ませる。浴室のほうでは、まだシャワーの音がしている。

 ベッドサイドの引き出しを見る。

 一瞬だけ。見るだけ。

 私はそっと引き出しを開けた。

 そして、全身が凍りついた。

 数日前になくした黒いレースの下着が、そこにあった。

 それだけじゃない。私のブラ。白いやつ。別の下着。ピンクの。ほかにも――。

 黒いショーツをつまみ上げた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 廊下から慌ただしい足音。

「待って、さっき言い忘れて――」

 振り向くと、准一が入口に立っていた。目を見開いたまま、髪から雫を落とし、腰にはバスタオル一枚だけ巻いて。

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