第3章

朝の光がアトリエのブラインドを抜け、床にまだらな影を落としていた。その床では、隼人がカメラ機材のセッティングをしている。銀色のレフ板、三脚、そして私には名前もわからない様々なレンズが、いつものタトゥー用の作業台の周りに散らばっていた。

「緊張してる?」隼人が顔を上げ、私を見つめる。その深い瞳には、プロとしての安心感のようなものが宿っていた。

「少しだけ」私は鎖骨のタトゥーに触れながら認めた。「仕事の写真をプロに撮ってもらうなんて、初めてだから」

「わざとポーズしなくていい。いつも通りに仕事をして」隼人はレンズの角度を調整しながら、リラックスした声で言った。「君は、集中しているときが一番美しい」

私は固まった。そんなことを言われたのは、初めてだった。

「特別なデザインを彫っていると想像して」隼人は続けた。「完全に没入している状態――僕が撮りたいのは、それだ」

私は次第にリラックスし、ニードルを手に取って練習用のスキンに線をスケッチし始めた。手の中に感じる馴染みのある重み、そのコントロール感覚が、カメラの存在を忘れさせてくれる。インクが紙に広がるように、線が私の手の下から流れ出し、一筋一筋がそれぞれの命を持っていた。

「そう、それだ」カメラのシャッター音の向こうから、隼人の声が聞こえた。「止めないで」

私は百合を描いていた。白い花びらが幾重にも重なり、まるで新雪のように清らかだ。なぜだか、明里のことを思い出した――彼女も、この穢れのない百合のように、純粋で、どこか儚げな雰囲気を持っていた。

どうして、あの人のことなんか考えてるんだろう。

私は手を止め、顔に不満が滲み出るのを感じた。苦々しい表情を浮かべてしまったのだろう、静寂を破って隼人の声が響いた。

「それは、彼らがアートを理解していないからだ」隼人はカメラを下ろし、私の顔をじっと見つめた。

「え?」私は混乱して彼を見つめた。

「今の君の表情」彼は続けた。「自分の作品は評価されるに値しない、って思っているような顔だ」

彼の言葉は的確すぎた。私は確かに、自分のタトゥーのデザインは品格に欠ける、医者の世界にふさわしいようなものではない、と感じていた。

突然、私のスマホが鳴った。画面には始の名前が点滅している。

「出ていいよ」隼人は言った。「待ってるから」

「遥!」スピーカーから、子供のようにはしゃいだ始の声が飛び出した。「よかった、出てくれて。助けてほしいんだ」

「どうしたの?」私は声が普通に聞こえるように努めたが、隼人が近くで静かにこちらを見ているのを感じた。

「今夜、明里とちゃんとしたデートなんだ!でも、彼女に何か特別なものを用意したくて」始の声には、私が今まで聞いたことのないような幸せが満ちていた。

喉に何かが詰まったような気がした。十年も一緒にいて、彼は私がどんな花が好きかなんて一度も尋ねたことがなかったのに。

「彼女は……」私の声が震え始めた。「たぶん、百合が好きだと思う。真っ白な百合が」

「完璧だ!なんて言えばいいかな?自分の気持ちを伝えたいけど、あまりがっつきすぎたくないんだ」

私は目を閉じ、涙がこぼれそうになるのを感じた。「ただ……彼女は特別だって、そう伝えればいいんじゃない」

「遥、本当に助かる!」始は笑った。「君なしじゃどうしていいかわからないよ。今夜が終わったら、絶対盛大にディナー奢るからな」

電話を切った後、私はもう自分を抑えきれなかった。決壊したダムのように涙が溢れ出し、肩が震え始める。両手で顔を覆い、世界が崩れ落ちていくような気がした。

「少し、休む?」隼人がそっと尋ねた。

私は首を横に振ったが、涙は止まらなかった。隼人は何も言わず、ただ静かにティッシュを差し出し、私の隣に座ってくれた。

「十年、彼を愛してたの」長すぎた秘密のように、言葉が口からこぼれ落ちた。「十年も、彼を愛してきたの」

隼人はやはり何も言わず、ただ静かに耳を傾けていた。

「彼は一度も私を見てくれなかった」涙で視界が滲む中、私は続けた。「十年間、私は彼の良き友人で、愚痴の聞き役で、恋愛相談役だった。でも、彼の恋人じゃなかった」

「本当に君を大切に思っている人は、君をそんな風に苦しませたりしない」隼人がようやく口を開いた。彼の声は低く、優しかった。

「でも、私なんて……」私は彼を見上げた。「私たちは、友達だから」

「それは友情じゃない」隼人は首を振った。「一方的な奉仕だ」

彼の言葉は、私の心の最も痛いところを突いた。そうだ、これは本当の友情なんかじゃなかった。本当の友達なら、十年も気づかずに相手を苦しませたりしない。

「さっき撮った写真、見てみる?」隼人は立ち上がり、カメラの方へ歩いていった。

「私……うん」

彼がカメラを私に向けると、スクリーンにはさっきまで作業していた私の写真が映っていた。それが自分だとは、ほとんど信じられなかった。写真の中の女性は集中していて美しく、その瞳には自分でも見たことのない光が宿っていた。

「これが、僕に見えている君だ」隼人は言った。「真のアーティストだよ」

「私……綺麗?」こんな質問をしている自分が信じられなかった。

「目が離せなくなるほどに」

顔が熱くなるのを感じた。こんな風に私を見つめ、こんな風に褒めてくれた人はいなかった。

隼人はゆっくりと、手際よく機材を片付け始めた。「明日の夜、市街地の明光ギャラリーで、僕の写真展のオープニングがあるんだ」彼は一旦言葉を切り、続けた。「僕と一緒に来てくれないかな?」

私はためらった。始が私を必要とするかもしれない……。

いや、もういい。こんなこと、もう続けていられない。

「はい」思ったよりも決然とした声が出た。「行きます」

隼人の顔に、目じりに皺が寄るような、心からの笑みが浮かんだ。「よかった。八時からだ。入り口で待ってる」

彼が荷造りを終え、帰ろうとしたその時、再びスマホが震えた。始からのメッセージだった。

『遥!明里がまた会うのが楽しみだって。次のデートプランを考えるのを手伝ってほしい。今週末、空いてる?』

私はそのメッセージを見て、それからドアから出て行こうとする隼人の後ろ姿を見た。十年目にして初めて、私には選択肢があった。

「隼人さん」私は彼を呼び止めた。

「ん?」

「本当の私に気づかせてくれて、ありがとう、ありがとう」

「違うよ、遥」隼人は振り返って私を見た。「君はずっとそこにいた。ただ、君はずっとそこにいた。ただ、本当の君を見ようとしてくれる人が必要だっただけなんだ」

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